もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

論憲の意味・用法

2022年02月04日 | 野党

 「論憲」という言葉の新しい用法を知った。

 立憲民主党は、25日の「党憲法調査会」で中川正春会長が「与党から憲法審査会を開きたいという要求が来ているが、われわれは、原則(慣例でしかないが)に戻って予算委員会が開かれている間は応じないという方向で頑張っている。我々は『論憲』という立場であり、憲法を中心にして、これからの社会の在り方や日本の国の形についての議論は積極的にやっていく」と述べ、2日の衆院予算委員会では憲法審査会の野党筆頭幹事を務める奥野総一郎議員が「わが党は『論憲』という立場だ。国民の分断を生まないように丁寧に議論して頂きたい」とそれぞれ述べている。
 両者の主張で太字表示した個所、中川会長の「議論は積極的に行うが、審査会の開催には応じない」という矛盾、奥野議員の「…頂きたい」という当事者意識の欠如は何とかならないものであろうか。
 泉代表も先のテレビ討論で「現行憲法のどこが不具合なのか(自民党に)教えて貰いたい」と発言したが、真に教えて欲しいならば審査会で謙虚に耳を傾ける必要があるのではないだろうか。
 憲法を巡っては、護憲、改憲、論憲、加憲、創憲、壊憲、活憲、知憲などの多くの造語(略語)があり、それぞれの字面である程度イメージすることができる。しかしながら、昨今の立憲民主党のレトリックを見る限り「論憲」だけは字面からは判断・想像もできない意味を持っているようで、正しい解釈は「護憲姿勢を隠して議論に参加するふりを装う」であるらしい。
 立憲民主党が主張する予算委員会開催中、特に予算成立までの通常国会中には憲法審査会を開催しないとするのは、慣例であり、与野党勢力伯仲時に何としても年度内に予算を成立させるための妥協の産物・残渣であることを考えれば、その慣例に縋って憲法審査会の開催に応じないとする立民のやり方は、旧弊・慣例の打破を求めるリベラル政党としての看板が泣く所業である。
 国民民主党からは「オールド野党は要らない。論憲ならば出てこい」、維新からは「立民は野党代表として自民党と折衝できる立場にない」と、もはや野党内では四面楚歌であるが、自民党は慣例を尊重しているために、与党との橋渡しという面目だけはかろうじて保っているのが現状であるように見受けられる。

 立憲民主党は新執行部による衆院選惨敗の総括として「共闘で失ったものが大きい。共産党との共闘の白紙」を掲げた。
 これが真実ならば、有権者を騙すための羊頭狗肉は行わないという議会制民主主義下の政党として正常に立ち返ったものかと思う一方で、「共闘関係の破棄」にまで踏みこめないのは、立憲的「論憲」の用法とともに、枝野法皇の威令が端々にまで行き届き、泉代表も金縛り状態かもしれないが、泉代表は進んで金縛りに身を委ねているようにも思える。如何に。