ウクライナ情勢の緊張・緊迫が続いている。
バイデン大統領が表明した「16日侵攻予測」は過ぎたが、さらに緊張の度を増しており、全面侵攻は秒読みの段階と観測する向きもある。
アメリカは、国務長官が「侵攻は既定のシナリオに沿って進んでおり、既にプーチン大統領がGOサインを出したという確実な情報を握っている」と述べたが、ウクライナの親露派住民がロシアに避難を開始したとも伝えられていることを見れば、アメリカの持つ情報の確度は高く、全面侵攻は起こり得るかもしれない。
ロシアとしては、EUとの緩衝地帯であるベラルーシはほぼ手中に収めたものの、同じく隣接するウクライナのNATO加盟は何としても阻止することが必要で、侵攻をあきらめる様子を見せていない。
21世紀になっても、他国を武力で制圧する国盗り物語が大手を振って生きながらえていることに驚くとともに、人間の欲望と狂気は不変で先史時代からの「文明の進歩」とは何だろうかと思う。
アメリカは、NATO派遣部隊とは別に、数千人をポーランドとルーマニアに急派し、さらに1万人規模の兵力が本土で待機中であるが、ロシアがウクライナ国境とベラルーシに展開配備している12万人強の兵力と比べれば、極めて小規模の感が否めない。さらに、現在地中海には仏伊との共同訓練を終えた空母「トルーマン打撃群」が行動中とされるが、他の空母打撃軍の増派は見受けられない。
このように、バイデン大統領の本質が、友邦各国に確約した「強固な民主国家による同盟・友好関係、多国間枠組み・ルールにより裏打ちされた、安定的で開放された国際システムを主導」も、オバマ政権時代の「戦略的忍耐」に過ぎないことが明らかとなり、加えてアフガン撤退の不手際から「弱い大統領」の足元を見透かさてしまったと見受けられる。
現在、世界中がウクライナ情勢を注視しているが、とりわけ熱心なのは習近平主席であろう。おそらく北京五輪の首脳会談で習主席はプーチン大統領から思惑と行動概要を伝えられ、中国としての支援を約しているだろうと考えれば、台湾・尖閣諸島への武力行使に対するアメリカの対応を測る絶好のモデルケースとしているはずである。
憲法は前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と高らかに宣言しているが、パワーバランスによって辛うじて維持されている世界の現状、とりわけウクライナ・香港・新疆・台湾を見ると「諸国民の公正と信義」など窺い知れないし、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」などどこにも見当たらない。
大東亜戦争・第二次世界大戦に倦んだ世界が持った幻想を前提に構築された日本国憲法、時代の先取りと擁護する意見は尊重するとしても時代錯誤の感が否めないが、それでも堅持することが正しいのだろうか。