第7回世界価値観調査結果のうち、新聞に取り上げられた「戦争になった場合、あなたは国のために戦いますか?」という設問の回答結果に関する私見である。
新聞に掲載された国はG7、中露、韓国、北欧の15か国であるが、「戦う」と答えた人は全ての国で37.3%(イタリア)~90%(中国)であるのに対し日本は13.2%と極めて低率である。また「戦わない」と答えた人は日本では48.6%と高い比率を示し、残余の38.1%は「わからない」と答えている。日本での「戦わない」人48.6%が突出しているかと云えば、42%が「戦う」と答えたカナダでは、残りの58%もの人が「戦わない」とキッパリと答え「わからない」と答えた人は見当たらない。15か国での「わからない」比率を見ると前述のカナダを筆頭に軒並み10%以下であり、日本の38.1%という数字は驚異的であるように思える。
何故に日本で「わからない層」が突出しているのだろうかと考えてみたが、「わからない」の真意は「考えたこともない」ではないだろうかと思うが何故日本人は考えずにいられたのだろうか。
おそらく「戦争は民間居住地域を離れた場所(関が原)で正規軍同士が行うもので、非戦闘員は埒外でいられだろう」、「戦闘は米軍・自衛隊が当たれば十分で、非戦闘員(市民)が武器を持つことは悪である」、そして究極は「平和憲法を持つ国を侵略する国は無いから対日戦争は起きない」であり「市民の生活を保障してくれるなら為政者は日本人で無くても良い」であろうと思う。
さらには「税金を払っているのだから、国家(自衛隊)は万民の安全を保障してくれる」という儚い願望に縋っている人もいるかもしれない。
これらの人々は、いま中国が武力侵攻して幾許かの戦闘の後に香港型の一国二制度を提示してきた場合は、容易に同調する危険性をすら内包しているかもしれないとも危惧している。
また、「わからない層」には「武器も扱えないのにどう戦えば良いのかわからない」という存在も考えられるが、ロシアのウクライナ侵攻前に本ブログで「日本でも民兵養成を考慮すべき」と書いた節には、時期尚早・市民が武器操法に習熟する必要は無いという冷ややかな反響を得たが、今回の価値観調査結果を見る限り「荒唐無稽の暴論」では無かったと思っている。
今、西欧・北欧を中心に徴兵制復活の動きが顕著で、既にフランスでは夏休みを利用した選抜的(応召は任意)徴兵で10万人近い高校生が団体行動の基礎や救急法を習得したとされ、将来的には対象者全員の短期の強制徴兵に踏み切るといわれているが、真意は「戦わない層」を減らす以上に10%の「わからない層」に国防とは何かを考えさせる機会を与えることではないかと推測している。
電通総研によると、日本は第7回(波)調査を2019年9月に実施したが、その後に起きた武漢コロナパンデミックによる価値観変化を探る意味合いもあって、独自に2020年11月に2019年と同じ質問票、同じサンプル抽出方法で再調査したとしている。いずれもウクライナ事変が起きていない時期であるので、国防に関する現在の比率・分布は聊か異なっているだろうとは思うが、コロナ禍・ウクライナ・経済不安・難民等によって引き起こされる過度の排他的かつ偏狭なナショナリズムが蔓延する前に、この価値観調査を政策に反映させる必要があると考える。