半月間、テレビ・新聞・ネット情報から遠ざかっていた。
高々半月であったので今浦島になることもなかったが、それでも広島カープは2位から5位と順位を下げ、改造岸田政権が船出していた。
15日間の後半は、持ち込んだ本を読み尽くしたために数独パズルと音楽のみとなったが、アマリア・ロドリゲスの数曲に癒された思いがする。
アマリア・ロドリゲスを知ったのは、北方健三先生の作中で、主人公が訪れるバーのBGMが木曜日は彼女のファドが流される設定となっていたことからである。昨日彼女の足跡をWikipediaでたどると、ポルトガルの国民的歌姫で、日本になぞらえるとポルトガル国民からは美空ひばりさんと八代亜紀さんを併せた以上の支持を得た存在であったとされていた。さらに《1999年に79歳で死去した際、ポルトガルは3日間の喪に服し、2001年にはリスボンのサンタ・エングラシア教会に移送され、エンリケ航海王子、ヴァスコ・ダ・ガマらとともに、国民的英雄10人の一人として眠っている。》と結ばれ、まさに国葬に匹敵する栄誉に彩られているようである。
国葬と云えば、レゲエの先駆者であるジャマイカのボブ・マーリーは国葬でおくられ、世界的FIドライバーのアイルトン・セナが事故死した際にはブラジルは3日間の服喪期間を設けたとされている。
安倍晋三氏の国葬問題に関しては、15日間で沈静化したであろうと思っていたが、溜まった新聞を読み返すと、相も変わらずに怪しげな市民団体が「国葬費用の支弁停止訴訟」を起こしたり、一部識者は旧世界基督教統一神霊協会との関係性等から国葬に対して懐疑的な主張を繰り返しているようである。
歴史・全世界を眺めても、政治・軍事的に類稀な実績を挙げて英雄と評価される人の多くも倫理的には完全無欠の聖人君子でないことも多いし、国葬の栄に浴した著名人を眺めても高い倫理感で人生を全うされたのはマザー・テレサだけであろうとするのは暴論であろうか。
「世の中に 蚊ほどうるさき ものは無しブンブ(文武)ブンブと 夜も寝られず」との狂歌は有名であるが、「心得ぬ 鈴虫ほどうるさき ものは無し リンリ(倫理)リンリと 世情を騒がす」
アマリア・ロドリゲスのファドから導かれた狂歌。どうでしょうか?