産経新聞の読者投稿コラム「朝晴れエッセー」を楽しみにしている。
タイトルの通り、掲載されるのは朝に相応しく心温まるもので、怠惰に生きてきた自分の半生に比して何と多くの人が真摯に生きて来たのかと自責の念に駆られるものばかりである。
本日の投降者は、沖縄出身で大阪市在住70歳男性の、沖縄の方言「ナンクル ナイサー」に関するエッセーであった。「ナンクル ナイサー」は、沖縄出身のタレントが紹介したことで、自分なりに「なんとかなるよ」の意味と理解していた。さらには、言外に沖縄県人特有の、良く言えば「おおらかな」悪し様に書けば「やや怠惰な」南国県民気質の代表例とも考えていた。
しかしながら、エッセーによると「ナンクル ナイサー」の用法は、必ず「人は誠実で嘘をつかずにまっすぐ進めばきっと誰かが援けてくれる」という意味の方言があったのちに「ナンクル ナイサー(だから、なんとかなるよ)」と続くのが一般的であるらしい。勿論、現在では前置きの方言が省略されて使用されるのが一般的のようであるが、それでも「誠実に生きていれば・・・」という前提は沖縄県人の「問わず語りの共通認識」として存在しているのであろう。
「ナンクル ナイサー」の真の意味を知ると、そこには必ずしも今様には恵まれていなかったであろう地域社会で生きていくための共助の心構えを説いた人生訓・含蓄に富んだ方言で、自分の浅薄・生半可な理解に恥じ入るばかりである。
高校卒業を機に売り飛ばしてしまった我が郷里も方言に溢れていた。今ではその多くを忘れ、時折のクラス会で「そう云えば」程度に飛び交うくらいであるが、それらの中には自分たちが受け継げ無かった先人の教訓的表現・意味合い含まれていたのかもしれない。
現在、地方創生、地域の活性化が叫ばれて担当大臣まで置かれているが、内実は「地方の東京化」に他ならず、加えてマスメディアやSNSの普及で方言と方言が持つ地方文化は消え去る運命にあるように思える。朝晴エッセーの投降者は子供や孫に「ナンクル ナイサー」の真の意味を教え伝えていると結ばれておられるが、素晴らしい生き方であると感じ入っている。
本ブログでも時折、「日本人としてのアイデンティティ希薄化」を嘆いているが、原因は方言に含まれる先人の教訓の伝承を怠った、伝承を断ち切った我々世代にあるのかもしれない。