2025年の国際博覧会(万博)が大阪で開催されることが決定した。
48年前の前回大阪万博では、乗り組んでいた護衛艦が天保山埠頭に入港して見学機会を与えて貰ったにも拘らず、月の石を展示したアメリカ館など見向きもせずに、見物したのはガラガラの象牙海岸とオーストラリア館くらいで、あとは雀荘に直行したことを覚えている。2025年万博は生存していることも危ぶまれるところで、万博には縁も興味もない存在と云えようか。それはともかく、万博開催決定を受けてメディアからは賛否こもごもの意見が紹介されている。万博の収支のほどはともかく、技術と社会の前進のためには価値あるイベントであるのだろうと対岸の火事と冷めた目で報道を眺めているが、登場する東西関係者によって微妙に視点が異なっていることは、東京のキーステーションが編集する視点と、大阪人の皮膚感覚には相当な隔たりがあるのではないだろうかと興味深い。自分自身を例にとれば、関東に定住して20年も経ったのに、”色濃くて内容が見えない饂飩だし””鳴門とほうれん草が乗った醤油ラーメン””ぐにゃぐにゃ食感のはんぺん””異臭と感じる赤だしと納豆””値切れない商店”等々、未だに東京文化に馴染めない。将に「三つ子の魂百まで」であるが東西の県民性は根強いもので、今回の万博に対する主張にも杞憂の関東人と楽天的な関西人の違いを見る思いがする。東京は違約金を払って世界都市博を中止したが、もし都市博を開催していたならばお台場や築地市場の現在は良きにつけ悪しきにつけ違った姿になっていたであろうと思う。”兎に角やってみよう”と前向きに取り組んだ大阪万博が大失敗したとしても、大阪市民は「庶務ないことやりおって。わしは最初から失敗すると思うてたんや」と笑い飛ばすに違いない。
何事にも杞憂を優先する東京型思考が日本標準となりつつある政治家・評論家とメディアに『まず遣ってみよう、変えてみよう』と云いたい。一部の知識人は明治維新を富国強兵の出発点として否定的に捉えているが、外国の手を借りることなく改革を成し遂げたことに依って自主独立を保ちえたこと、固陋に終始して日本に併合された朝鮮、前進することの大切さを教えてくれる史実は世界中に数限りなくあると思う。戦争法と呼ぼうと移民法と呼ぼうと、頑なな固陋主義からは何も生まれないという認識を野党を含む議員諸氏や官僚諸兄に求めるとともに『断行せよ、而して、改むるに憚ることなかれ』と叱咤するところである。
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