積極的専守防衛への転換点となるであろう今国会での論戦に期待している。
先の臨時国会は、個人攻撃に終始するであろうと考えて国会中継を観なかったが、今国会は注視しなければと思っている。
本日はレンブラント先生とイエス様のお力を借りて、論戦に臨まれる議員に対する要望である。
レンブラント「姦淫の女」(ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)
レンブラントは、律法学者たちがモーゼの戒律を守る一方で罪を許すと説いたイエスの2律背反を質すために、姦淫の罪を犯した女をイエスの前に引き据えて、「モーゼは石で打ち殺せと命じているが如何に」と問いかけた際、イエスが「罪を犯したことのない者が 女に石を投げよ(ヨハネによる福音書)」と応じたものの誰一人「石を投げ得る人」はいなかった場面を描いている。
しかしながら、論理的にはイエスの言葉は根本的な回答ではなく、自己正当化のレトリックに過ぎないと思ってはいるが。
先の臨時国会では、閣僚と統一教会の癒着を舌鋒鋭く追及した正義の議員が実は若干の関係を持っていたブーメランが失笑を買った。
伍代夏子氏が「肱川あらし」で《♪非の打ち所の無い人なんていませんよ♬》と唄っているように、完全無欠で姦淫者にも石を投げ得る議員までは求めるものでないが、少なくとも質疑の結果に対しては責任を持つ覚悟で論戦に当たって欲しいものである。
かっては、中国の核実験は防衛のためで許せる・北朝鮮の拉致は政府の陰謀、また近くには半島出身の慰安婦強制連行を事実と謝罪、マイナンバー制度は徴兵制の布石・・・とした議員諸氏が存在して今に禍根を残しているが、反省・悔悟の一言も聞こえない。その点では、枝野幸男議員が「過去の消費減税の選挙公約は誤り」としたことは評価すべきであろうか。
キリスト者でない自分が聖書の孫引きと、何よりレンブラント先生まで利用したのは、些かに不適切の誹りは免れないと思っている。陳謝。
枝野幸男議員を例に出されていますが、私は評価すべきであると思います。
謝罪しない議員達の上記の発言は、自分たちの目的を達成するための手段であるからです。当然彼らは、国民を惑わせる発言をします。自分達の意に沿う方向に引っ張って行こうとするからです。その目的は何か?日本の弱体化です。彼らの祖国、ロシヤ、中国、北朝鮮の脅威とならないようにするためです。でも親米議員の中にも、日本弱体化を進めた者もいます。
日本の弱体化はかなり成功しましたがウクライナ戦争で状況が変わりつつあります。
ナショナリスト、民族主義者と聞くと警戒と恐れを抱く国民が多いのではないでしょうか。でも私は自国の繁栄や平和を望む者はナショナリストだと思いますがどうでしょうか?
上記の議員達はインターナショナリストだったと思います。
ご訪問とコメントを有難うございます。
今国会は、日本が将来にわたって国際的な発言力と存在感を維持できるか否かの分岐点ともなり得るものと思っています。
自分も、貴兄のようなナショナリストでありたいと思っています。