高市大臣VS小西議員のバトルは「文書」に起因している。
報道によると、小西議員が提示した文書には安倍総理と高市大臣の電話でのやり取りなども含まれているとされる。
経験則であるが、自衛隊では「文書」とは「発簡番号を付して指揮官の意を正式に伝達する物」と狭義に捉えており、今回報じられたような「下僚が作成した通話記録」等は文書とは看做されない。
このことは、指揮官の意に反した幕僚や下級指揮官の暴走を防ぐためであり、異様・不審な命令を排除するためのチェック機能として確立したものであろうと思っている。
勿論、文書とする前には計画・起案者が関係部隊などと調整する必要があって、電話や書簡形式による意見交換などはある。文書起案に際しては、法的な位置づけ、計画の背景などについて、簡略に纏めて原議に記載し保存されるが、調整の詳細などを記した決裁者への説明資料が正式な文書として扱われることも無いし、調整などの逐一が「文書」に記載されることも無い。
それらの経験から小西議員が提示した物を、「文書」と呼ぶことには違和感がある。仮に、「説明資料」として作成された物を文書であるとしても、用済み後は文書管理者の監視下に置かれないために容易に改竄・捏造できるものであると思うので、信憑性に劣るように思える。第一、大勢の陪席者がいる電話会議でもないだろう総理と総務大臣の交話内容が記載されていることには大きな疑念が沸くものである。
自分の忘備録・雑学の意味合いが大きいが、大東亜戦争劈頭の真珠港奇襲攻撃に関する命令を時系列に並べると、
〇 昭和16年11月5日 大海令第一号
・帝国ハ自存自衛ノ為十二月上旬米国、英国及蘭国ニ対シ開戦ヲ予期シ諸般ノ作戦準備ヲ完整スルニ決ス
・連合艦隊司令長官ハ所要ノ作戦準備ヲ実施スべシ
〇 昭和16年11月11日 大海令第五号
・連合艦隊司令長官ハ作戦実施ニ必要ナル部隊ヲ適時作戦海面ニ向ケ進発セシムべシ
〇 昭和16年12月1日 大海令第九号
・帝国ハ十二月上旬ヲ期シ米国、英国及蘭国ニ対シ開戦スルニ決ス
〇 昭和16年12月2日 大海令第十二号
・連合艦隊司令長官ハ十二月八日午前零時以後大海令第九号ニ依リ武力ヲ発動スべシ
※ 昭和16年12月2日 GF(連合艦隊)電令作第十号
「ニイタカヤマノボレ1208」
となるが、電報と云え余分なことは一切書かれていないことが分かる。
長文の電文も短時間で送信できるよう通信技術が進歩した今では、電報であっても作戦の背景を記述するケースも考えられるが、起案者・決済者の常識の範囲内であろうと考える。
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