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生きること:過去と未来とエスペラントと

『文学対談』(la 100a Japana-Kongreso)

2013-10-19 09:43:58 | エスペラント
 大会には4日間参加しましたが、ちょっぴりお手伝いしたり所属ロンド(クラブ)のお手伝いもしたので多くのプログラムに参加したわけではありません。面白く感じたものを2~3書いて見たいです。

 その一つに作家間宮緑さんと温又柔さんの対談です。間宮さんの作品は一昨年の関東Esperanto大会を機会に読みましたが温又柔さんの作品は読みたいと思っていましたがまだ読んだことがありませんでした。対談終了後に著書『来復の家』を買い求めました。サインをしていただきました。サインと共に『kun amo』という言葉が添えられていました。
 対談の間中彼女は小鳥のように澄んだ声でさえずり続けていました。

 早稲田文学のフリーペーパーに彼女の作品が載っているというのでそれも頂き会場で待ち時間を利用して読みました。作品は『カナの夏』。内容は台湾から日本に帰化した女の子がはじめて浴衣を着た時に左前に来て死人の着方と言われたちょっぴりもの哀しいお話しでした。つい数日前まで日本に滞在していた7歳の孫Eは何かすると『そんな、あるないよう』とか『ないあるよ』とかを連発していました。彼女も異文化の中で驚き混乱していたのでしょう!

 私は日本生まれの日本育ちですが、死人に左前に着せるという事を知ったのは30才過ぎて、母が亡くなった時のことです。上の姉が死人装束を母に着せるようにと私に言いました。私が着せたら姉が言ったのです。『やっぱりね。あなたはいつも左前に来てしまうからさせたのよ。紐を結んでごらん。絶対にたて結びになるから・・・。』私の結んだリボンは本当にたて結びになっていました。

 母や姉に左前はいけないと言われるとどちらが左前なのか私は分からなくなるのでした。だってそうでしょう。左を先にしたら左の身頃は体のすぐ前に来ます。右を先にしたら左身頃は体の前面になります。そんなわけで私の頭は混乱するのでした。そんな私に母は言いました。昔は懐に財布とか大切な物を入れていたと。自分が取り出しやすく、ゴマノハエに取られにくい着方が正しい着方であると。

 文学対談とあまり関係の無い話になりました。
コメント
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