憂鬱な日々が続いている。木曜日も自分の考えがまとまらないと云っていた友人の衰えが目立って憂鬱になった。ある程度の所までは本人も誤魔化していたのだろうけれどもうごまかせないところまで来ているように思えます。
新しい顔が現れましたが、1階と2階を勘違いして帰ろうとしていたら食事処に入る私たちを見つけたと云うので一緒に食事をしました。最近ではエスペラントどころか日本語も話さないような日々が続いているということでした。
私など彼女の生活が羨ましかったですね。某国にボーイフレンドがいてエスペラントの世界大会前後には彼のもとで暮らし、日本大会前後にはボーイフレンドが日本にやってきて滞在すると云う、まさに斬新な生活でした。彼はどうしたのかと訊ねると亡くなったと云うことでした。寂しいと彼女は言います。本当にさびしいことでしょう。彼についての思い出を語る相手もいないのですから。
彼女はインターネットをしないだけではなく電話も持っていません。どうやって海外と連絡を取っていたのでしょうか。
まあ、それはそれとして時には顔を見せて欲しいと願っています。
新しい顔が現れましたが、1階と2階を勘違いして帰ろうとしていたら食事処に入る私たちを見つけたと云うので一緒に食事をしました。最近ではエスペラントどころか日本語も話さないような日々が続いているということでした。
私など彼女の生活が羨ましかったですね。某国にボーイフレンドがいてエスペラントの世界大会前後には彼のもとで暮らし、日本大会前後にはボーイフレンドが日本にやってきて滞在すると云う、まさに斬新な生活でした。彼はどうしたのかと訊ねると亡くなったと云うことでした。寂しいと彼女は言います。本当にさびしいことでしょう。彼についての思い出を語る相手もいないのですから。
彼女はインターネットをしないだけではなく電話も持っていません。どうやって海外と連絡を取っていたのでしょうか。
まあ、それはそれとして時には顔を見せて欲しいと願っています。
"Mi scias pri sxi" と言う意味です。
「あの人がそう言う生活をしている人ょ」と何時かの世界大会で知らされたので覚えています。相手の男性はその時でもかなり高齢に思えました。
ロマンティック、と思う一方では「将来性のない」生き方とも思いました。インターネットも電話も無いとなれば、手紙しか連絡方法が無い訳で、そのボーイフレンドが病気になった時、代わりに知らせてくれる人がいたのか、亡くなった時、駆け付けることが出来たのか、等々の疑問も湧きます。
愛する者を失った後、痛みが落ち着いた後も悲しみは心の奥深く潜在します。彼女もそう言う辛さを経験しながら毎日を過ごしているのでしょう。あなたたちの仲間に入ることで気が紛れるなら、とても良いことと思います。励まして上げて下さい。
たとえ自由に出たり入ったしてもいつでも歓迎します。