glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

子どもの才能

2022-10-23 07:35:28 | 家族・友人・私
 昨日は、少々離れたところに住む孫たちの絵の展覧会を見に行きました。習い始めて数カ月。それでも個性は出るようです。長男Mの絵はどこか形にはまっている。二男Tの絵は自由奔放。Tの絵は花と鉢だそうですが花も周りの草も自由にたなびき、足長蜂が飛んでいました。

 家を出て、団地を抜け、大通りから小道を歩く。Tは目ざとく草の間や垣根に止っている昆虫を見つけ出していました。時には道にしゃがみ込み、草の中を捜す。親は車が来ると危ないよと声をかけて制して居ました。

 親ばかならぬ祖母バカとして、将来はファーブルのような昆虫学者になるかとふと思う。でも、子どもの持つ感性や観察力は現実世界の中で消えてゆくことになるだろう。持って生まれた才能を生かせるのはほんの一握りの子どもだけ。社会で生きてゆくためには子どもの個性とか才能は抑制されることになるだろう。昔神童、今普通人。それが一般的なのだ!

 家に帰ると2男からメールが届いた。もう飛行機に乗っているはずがまだ、ベルリン空港でぶらぶらしている。予定の飛行機の車輪が鳥の群れに突っ込み飛行不可能になった。交渉の結果、フランクフルトで1泊。パリ経由で羽田に飛ぶことになったとか。

 先ほどメール。ようやくフランクフルトに到着。交渉の結果、日本発の飛行機を2日間遅らせることができた。日本滞在期間に変更なしとのことでした。

 本当にいろんなことが起こるものです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 畑へ:'22-10-19 ・20 | トップ | 泥縄式だけど奮闘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

家族・友人・私」カテゴリの最新記事