glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

日本語は難しい!

2005-11-11 10:49:26 | Weblog
 この数ヶ月、雑誌も本もご無沙汰でした。久し振りに雑誌LITRATURA FOIROに目を通しました。n-ro216号に面白い記事を見つけました。著者は日本人、臼井裕之氏です。

 題名は Esperanto por ne okcidentanoj: C^u idntec-ekvilibrigilo?

 ≪ekvilibrigilo≫とはサーカスなど綱渡りするの練習などする時に左右の均衡を保つために持つ棒などをさします。それを日本語でどう表現するかなど考えた事もありません。

 まあ、題名は西洋人でないものにとってのエスペラント:自己証明のための均衡を保つ為の道具? と言うような意味になると思うのですが。

 彼はEsperantoを創ったザメンホクの時代背景と開国をしなければならなかった日本人の屈折した心情に同一性を見出しています。

 例えばユダヤ人は西洋に融合しようとても受け入れられなかった。また融合することは自らの文化(出自)を失うことになる。日本人も鎖国している間に西洋の科学技術は進歩している。それを取り入れようと躍起になる。この指導者として福沢諭吉の名をあげている)。しかし、ことばの壁、特に英語と言う壁によって西洋に仲間入りすることができない。そして日本人は西洋文化を受入れる努力の中で自らの文化に対する自信あるいは文化そのものを喪失する。

 1919年、超右翼の北一輝は教育への語学の導入として英語ではなくエスペラント導入を提唱する。それは、西洋を受入れねばならないが、服従はいやだという民族の誇りの中で選んだ第3の道であると言うことを臼井氏言いたかったのだと思います。
 私自身の中にも西洋へのへつらいはいやだという強い思いがあります。

 同じ事が中国で起こり、一つの文化運動としてエスペランティスト達が中心として文字改革を行ったことは有名です。もう40数年前、朝日ジャアーナルで北一輝の事を読んだことがありますが、ここまでは理解できていませんでした。
 7ページ、少々長いですが興味のある方是非読んでください。ただ、エスペラントでは何を言いたいのか分かるのに日本語としては使ったことのない言葉があり難儀しました。


 今、フランスで暴動が起こっています。フランスに馴染んでも受入れられない。馴染むことで固有の文化を失う。移民の中にも同じジレンマがあるでしょう。自己のアィデンティティを守り、融和することが難しいということでしょうか。

今日の格言

Homaj mankoj【人間の欠点】

Nenio tiel fermas animon, kiel la hipokrieco en la familio. (H. de Balzac)
 家族の中での偽善ほど心を閉ざさせものはない。

Se vi estas malbons^anca, ec^ limako mordvundas vin. (B. Franklin)
 もし、あなたが不運なら、ナメクジでさえもあなたに噛み付き傷つける。

Ekscesemo estas malsano. (M. Gorkij)
 並外れているというのは病気である。
 
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2 コメント

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こんにちは。 (っつん)
2005-11-11 21:00:45
コメントありがとうございます。

まだまだ初心者ですが、楽しく勉強していきたいと思っております!
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Unknown (glimi)
2005-11-12 08:33:48
楽しみ事が継続の秘訣ですよね!!
返信する

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