glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

Justeco 【正義】

2005-11-15 09:36:42 | Weblog
Justeco 【正義】

Kie finig^as la leg^o, tie komencig^as tiranio. (Chatham)
 法が終る所から圧制は始まる。

Kie la leg^o estas senpova, tie ankau~ la popolo estas senpova. (P. Syrus)
 法律が無力な所では人民もまた無力である。

C~iuj inkvizicioj dau~ras dank' al tio, ke en la Dekalogo ne enestas la ordono " ne permesu mortigi! " (St. Zweig)
 あらゆる宗教裁判は、十戒に ‘人を殺してはならない' という命令がなかったがゆえに続いている。

Estu iel ajn, vi volas eldiri la verdikton pri iu ajn, vi nepre devas pli alte al tiu, kiun vi jug^as. (N. V. Gogol)
 誰かについてであれ、あなたが判定を下したいなら、あなたが判定を下したい者より何らかの方法で是が非でも自分が優位に立たなければならない。
     【どうも訳がうまくなかったので訳し直しました。どうでしょう。】

C^iu havas tiom da rajto, kiom da povo. (Spinoza)
 誰でもが自分の能力だけの権利を持つ。
 
     

 スピノザさん、弱者はどうでも良いというんですか。 17世紀は庶民は人でなかったのかも知りれませんね!

 昨日の閲覧数の多さに驚きました。私はエスペラントを読む時は難文以外は訳しません。こうして訳すととても勉強になります。それをまた他の人が活用してくださるとなると  ととてもとても嬉しいです。  

 
 
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4 コメント

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スピノザさんの言い分 (案山子)
2005-11-15 12:08:10
へぇ?ですよね。

『権利』ではなく、『視座』だったらいいのに…

勝手に意訳してはだめですか(苦笑)。

大江健三郎氏が彼をよく引用しておられたけれど、きっとスピノザの発した言葉の意味には前後関係があるはずと思います。
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スピノザのひとつ上段、判定とか優位の項目 (案山子)
2005-11-15 16:47:07
再コメントです。

「下はよく見渡せるけれど、上はよく見えない」と、これは私の判断の中で体験的にあります。

上の人を仰ぎ見ることはできても、彼の、彼女のスタンス(足元)までは、自分は理解できないのだろうなと、そう思って、引っ込むことがあります。

この格言でこう解釈するのは、相当の意訳ですね(笑い)。
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Unknown (glimi)
2005-11-15 17:19:20
この格言が同感を得ていた時代は能力のある者が尊敬されるべきという考えがあったのでしょうね。

 当時ユダヤ人はどんな社会的地位を得ていたのでしょう。彼が職人としても仕込まれていたかどうか私は知りませんが…。
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Unknown (案山子)
2005-11-15 19:25:30
多分中世だけでなく、それ以前も、能力があってもそれを生かしたり、さらに磨いたりする場としては、軍隊と教会(司教になる道)しかなかったといわれています。(ジュリアンソレルの世界しかり)。きっとそれはヨーロッパだけでないとも思いますが、学んで力を発揮できる、今はいい世の中だと思いますが、その学ぶことがいやでは始まりませんね。

長いコメントでごめんなさい。
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