今朝、なにげなくつけたテレビで鳥取市酒津で行われている『とんどう』という小正月の行事が放映されていました。子どもたちは一軒一軒の安全を祈願して寒さの中を裸で家々と海の間を走っていました。前半は見なかったのですが、祭りの準備、『とんどう』作りも2ヶ月かけてしていたようでした。昔は多くの地区で子どもが大人になれるよう、社会に参加できるよう行事を通して子どもを育んでいたのでしょう。
昨日はエスペラントの学習の合間に友人とおしゃべりしました。子ども達の事です。
今、小学校で問題になっているのは新入生の各クラスに大抵一人ぐらい学習に参加できない子どもがいるというのです。彼らは知能が低いとかそんなことではなく社会性が無く、他人には無頓着で気ままに行動するので、授業中も気にいらなければ教室を飛び出してしまうので教師は落ち着いて授業ができず、ひいては学級崩壊につながってゆくというのです。その子たちは小学校に入ってから急に変化したのではなく、幼稚園や保育園でもそのような行動をしていたのが見過ごされていたという事です。
もうすぐ新学期また大変と友人は話していました。
さてさて、学習中、私の近くで誰もなにも食べていないのに、時々するめか、燻製のイカのようなにおいが漂います。本と魚と同じバックに入れた事があったのでしょうか。私は自分の本を何度もくんくんと嗅ぎました。
私の後ろの席に髪を金髪に染め目の周りをパンダのようにした女子が長椅子にひっくり返って寝ていました。その反対がはのイスには髪は黒ですがやはりパンダ目の女の子があおむけに寝ていました。
数時間たち、帰る頃になって友人があの子達、もしかして中学生?私の知っている子どもかもと言いだしました。その子たちも多分こちらを気にしていたようで、私が振りかえると起き上がり友人に向け指でピースの合図をしてきました。化粧しているので分からなかったと友人は話していました。
帰りがけに友人が、『この部屋では寝ころんではダメなのよ』と言うと『わかってる。だけで、今日は中学の卒業式だったから、二人で打ち上げしたの。だるくて座っていられない!』と答えました。あのするめのような臭いはこの子たちのげっぷの臭いだったに相違ありません。
洗面所に立寄ったら二人がやってきて、『飲んだら気持ちが悪い』といいながら『先生さようなら』とそれでも挨拶しました。
金髪の女の子の両親を友人も知っていて『母親はいつもがみがみ言っているし、父親は決して注意をしない。』のだそうです。この子たちはどんな人生を歩むのでしょうか。
子ども成長過程で誰が何時どのように手を貸してやるべきなのでしょうか。子どもが育つ事がとても難しい時代になっているように感じます。
昨日はエスペラントの学習の合間に友人とおしゃべりしました。子ども達の事です。
今、小学校で問題になっているのは新入生の各クラスに大抵一人ぐらい学習に参加できない子どもがいるというのです。彼らは知能が低いとかそんなことではなく社会性が無く、他人には無頓着で気ままに行動するので、授業中も気にいらなければ教室を飛び出してしまうので教師は落ち着いて授業ができず、ひいては学級崩壊につながってゆくというのです。その子たちは小学校に入ってから急に変化したのではなく、幼稚園や保育園でもそのような行動をしていたのが見過ごされていたという事です。
もうすぐ新学期また大変と友人は話していました。
さてさて、学習中、私の近くで誰もなにも食べていないのに、時々するめか、燻製のイカのようなにおいが漂います。本と魚と同じバックに入れた事があったのでしょうか。私は自分の本を何度もくんくんと嗅ぎました。
私の後ろの席に髪を金髪に染め目の周りをパンダのようにした女子が長椅子にひっくり返って寝ていました。その反対がはのイスには髪は黒ですがやはりパンダ目の女の子があおむけに寝ていました。
数時間たち、帰る頃になって友人があの子達、もしかして中学生?私の知っている子どもかもと言いだしました。その子たちも多分こちらを気にしていたようで、私が振りかえると起き上がり友人に向け指でピースの合図をしてきました。化粧しているので分からなかったと友人は話していました。
帰りがけに友人が、『この部屋では寝ころんではダメなのよ』と言うと『わかってる。だけで、今日は中学の卒業式だったから、二人で打ち上げしたの。だるくて座っていられない!』と答えました。あのするめのような臭いはこの子たちのげっぷの臭いだったに相違ありません。
洗面所に立寄ったら二人がやってきて、『飲んだら気持ちが悪い』といいながら『先生さようなら』とそれでも挨拶しました。
金髪の女の子の両親を友人も知っていて『母親はいつもがみがみ言っているし、父親は決して注意をしない。』のだそうです。この子たちはどんな人生を歩むのでしょうか。
子ども成長過程で誰が何時どのように手を貸してやるべきなのでしょうか。子どもが育つ事がとても難しい時代になっているように感じます。
米国のテレビですが、英国のナニーが米国の家庭で子供のしつけを指導する番組です。
課題になる家庭は手の付けようもないわがまま放題の子供たちに手を焼きSOSを出しているわけなのですが、このナニーは実に巧みに両親を指導し、最後には子供たちにも感謝されて立ち去るのです。
日常の生活をカメラが追い、その映像を見ながら分析・解説。そして実地で指導です。
丁寧に毎度見ているのではなくたまたま出くわすだけなのですが、見ていて「こんな子供我が家には居なかったなァ」と感心するほどの「悪い子」が最後にはナニーとの別れを惜しみ、感謝しているのです。
彼女が親に教えるのは甘やかすことが愛情ではないこと、ニタニタ笑いながら厳しいことを言っても無駄なこと、等々。
glimiさんの記事を読んで、その中学生たちもスーパー・ナニーが必要かと思いました。このような番組が日本にもあると良いですね。
もしかしたらあるのかも、でもその親たちが見なければ・・・
ヨットで鍛えて矯正するといものです。つまり家庭から引き離して訓練するのです。事故で子どもが亡くなり社会問題となりました。
女性の指導者の存在もテレビで観た事があります。いわゆる引きこもりとかニートと言われる若者を社会復帰させる訓練でした。
どちらも家庭から引き離すことで行われることが問題だと思います。
子どもの反抗的行動は親と子の心の行き違いですから共に暮らしながら親子が協調できるようにならなければならないと思います。離して矯正しても家庭に帰った時に再燃する恐れがあります。
いつだったかテレビでアメリカの家庭での実践を見ました。多分その番組でしょう!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88
最初のNEETとは違った意味で日本で使われ、今では英語国では全く使われなくなり、且つ日本での定義が一般的に受け入れられてきているという不思議な言葉なのですね。
「ニート」と使っていても、定義があいまいな人もいるかと添付しました。
働く意思がない、と言うのは、困った現象と思いますがどうやって暮らしているのでしょうね。
友人にもいます。初期の頃は、ボヤキが口をついて出ることもあったけれど、ここ数年は話題にもしなくなりました。あっという間に、5年を超えました。
原因はいろんなことが重なって、ニートから引きこもりへと進展したのだろうけれど、自分が見放したら(責めたら)、さらにどうしようもないから、といって、引きこもりの息子を抱えている彼女、普段は勿論私は忘れていますが、思い起こすと、ご苦労だな、と思います。
子どもの頃苛められ登校拒否を起こした事のある私は、今でも時々人の輪に入れなくなることがあります。社会と一度遮断された経験は心理的に時折復活し、人を不安にさせる。そのたびにその不安を乗り越えないと新の社会復帰は無いように思います。
ニートにさせないことが大切です。先日の女子たち、社会からはみ出した自分達をどう修正するのでしょうか。一時でき成長過程であってほしいです。さようならの挨拶を言いに来るあたりはまだ素直さと幼さが見えるのですが・・・。
↑ glimiさん、そういうものですか。
幸いにして、そういう経験がないのですが、わが娘の子育て中に、少し経験しました。
体調不良を訴えている娘を中学校へ娘を迎えに行くため、仕事を早退して地下鉄に乗っているとき、車内にお化粧して、お菓子を食べている高校生を見て(多分自主早退?)、「この子たちのお母さんは、特に問題児だと悩んでもいらっしゃらないだろうに、何で私がオロオロと悲しいのだろう」と、そんな気持ちになったことを今、思い出しました。
そういう見地から行くと、glimiさんの記事の女の子たちは、多分元気で、大丈夫でしょうね。