ゴエモンのつぶやき

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メダリストへの報奨金を創設=障害者スポーツの振興で-舛添厚労相

2008年09月05日 13時23分26秒 | 障害者の自立
 舛添要一厚生労働相は5日の閣議後記者会見で、6日に開幕する北京パラリンピックのメダリストに対する報奨金制度を創設すると明らかにした。金額は金メダルが100万円、銀メダルが70万円、銅メダルが50万円。財源は民間からの募金を充てる方針。舛添厚労相は「夏、冬の大会で毎回、報奨金を出してあげたい」と述べた。(2008/09/05-12:34)

パラリンピック:選手強化に2億円 報奨金制度も創設
 障害者スポーツの祭典である北京パラリンピックが6日開幕するのを前に、厚生労働省は5日、パラリンピック競技の選手強化策を発表する。メダリストへの報奨金制度を創設することに加え、12年のロンドン大会も見据えて11年度までの4年間で計2億円規模の選手・指導者強化策を打ち出す。

 日本は前回のアテネ大会(04年)で、史上最多の計52個(金17、銀15、銅20)のメダルを獲得し、パラリンピックが一躍注目を浴びるようになった。だが、オリンピックには存在するメダリストへの報奨金(金300万円、銀200万円、銅100万円)制度は、これまでパラリンピックにはなかった。

 パラリンピックには障害の種類や程度に応じて多数の競技が存在するうえ、障害者用器具の発達した先進国の選手が有利になるため、政府はパラリンピックでの報奨金創設には慎重だった。

 しかし、障害者団体や超党派の障害者支援議員連盟が支援制度の充実を強く要望。アテネ大会での活躍もあり、政府は障害者競技のすそ野を広げるために金100万円、銀70万円、銅50万円の報奨金を贈る方針を決めた。

 このほか(1)競技別指導者養成(2)次世代選手育成強化(3)スポーツ推進--を柱に具体的な強化策を詰める。財源は独立行政法人「福祉医療機構」の障害者スポーツ支援基金を活用し、日本経団連も一部の支援金を負担する。【

記者の目:北京パラリンピック事前取材を終えて 石丸整

2008年09月05日 12時29分18秒 | 障害者の自立
 6日に開幕する北京パラリンピックの事前取材を始めるまで、障害者スポーツを見て面白いと思ったことはなかった。障害がありながら肉体を酷使する姿を痛々しいとさえ感じていた。

 そんな思いを抱きながら6月末、大阪市で開かれた陸上競技の大会(ジャパンパラリンピック)を取材した。車椅子の千五百メートルランナーが雨の中を「タン、タン」と小気味よく車輪をたたいて回す。中距離以上なら五輪の陸上選手よりも速く疾走するスピードに見とれた。7月、新潟県長岡市で車椅子ラグビーを取材した時も驚いた。体育館に入ると「ガシャン」という音が響く。8人の選手が2チームに分かれ、アルミで補強した車椅子をぶつけながらボールを奪い合う。次々とタイヤがパンクし、スタッフがF1レースのピットさながらに数秒でタイヤを交換する。選手の体が車椅子から浮き上がるほどの振動を全身で感じながら、6時間も見続けた。

 その激しさ、躍動感、真剣な表情を見て選手の思いを知りたいと思い、今大会に出場する選手162人のうち44人にインタビューした。全盲のマラソン選手、新野正仁選手(51)に「なぜ走るのか」と聞くと、「見えないつらさを耐えてきた。走るのも我慢の連続。我慢の人生をマラソンは教えてくれる」と答えが返ってきた。走ることで全盲という障害をねじ伏せているように感じ、圧倒された。

 右前腕がない陸上の多川知希(ともき)選手(22)は「百メートルを走るのに15秒もかかっては『可哀そうだけど頑張っているね』で終わっちゃう」と弱音を吐かない。右半身に機能障害がある競泳の小山恭輔選手(20)も「同情ではなく、泳ぎが格好いいと言われたい」と話す。健常者と比べられるという現実と真っ向から闘っているように見えた。

 多くの選手は「障害者スポーツを競技として見られるレベルに押し上げたい」との願いを持っていた。健常者と同等に、あるいはそれ以上に激しく厳しい練習に耐えられるのは、この思いがあるからだろう。

 障害者スポーツの魅力は選手たちの明るさにこそあると思う。競泳の中村智太郎選手(24)は生まれつき両腕がない。取材中に水着からゴムひもが抜け落ちた。「やってもらっていいですか」。更衣室で水着を脱がせ、ひもを入れ直してはかせた。できないことは素直に頼むというあっけらかんとした明るさに、すがすがしい気持ちになった。

 競泳の笠本明里(あかり)選手(22)は「迷惑をかけたらあかん」と、大学1年まで視覚に障害があることを周囲に隠していた。障害者の水泳チームで他の障害者と接し互いにサポートし合ううちに「自分が障害者やって言えるようになった」という。「目が悪いのに水泳ですごいんやと思われるのは私にしかできない」と笑う。

 身体障害者を対象とした厚生労働省のアンケート(06年7月)によると、回答のあった4263人のうち、「全く外出しない」「年に数回しか外出しない」と回答した人が647人(15.17%)もいた。選手たちの明るさは「障害がある」と堂々と言える強さから来ていると思う。かつて引きこもっていた障害者が立ち直るきっかけの多くは、スポーツと出合うことで生み出されていると知った。

 女子シッティングバレーボールの藤井順子選手(42)は19歳の時に交通事故で右足を失った。人の目が気になり友達とも出掛けなくなったが、障害者スポーツセンターのバドミントン教室の生徒募集を知り、スポーツをするようになった。「『来週もやろう』って励まし合って笑顔になれた。スキューバダイビングも経験したし、就職する気にもなった」と振り返る。

 車椅子ラグビーの三阪洋行選手(27)は、リハビリ中に作業療法士からニュージーランドの車椅子ラグビーチームのビデオを借りたのがきっかけで、引きこもりから立ち直った。高校3年の夏、ラグビーの部活動中に首の骨を折り車椅子生活になったころは「みんなに見下ろされ、哀れな目で見られている」と思った。「誰もそんなことは言ってないのに。でもそう思うのは、健常者だった時の僕自身が障害者を区別していたから」と自分を見つめる。

 今回取材をするまで私は同情心はかき立てられるものの、それ以上の想像力は働かなかった。選手たちの競技への思い、その明るさが私の考えを変えた。

 事故や病気による障害を乗り越えた選手もいれば、緑内障などで障害の程度が重くなる不安を抱える選手もいる。選手たちそれぞれの人生を懸けたパラリンピックでの闘いを、しっかり目に焼き付けたいと思う。

親子キャップハンディ体験:障害者の気持ち理解するために--大崎・大貫小 /宮城

2008年09月05日 12時22分55秒 | 障害者の自立
 視力が不自由だったり、車椅子を利用する人にとって望ましい手助けとは何かを学ぶ「親子キャップハンディ体験」が4日、大崎市田尻の市立大貫小で開かれた。障害者の気持ちをくみ取り、気後れせずに介助する基本を身に着けようと、同小PTAが4年生を対象に10年前から毎年開いている催しだ。

 ハンディキャップのある人の立場に入れ替わって体験することから「キャップハンディ」と名づけている。この日は21人の児童と10人の母親が参加。地元の視力障害者から手助けのこつの解説を受けた後、親子交代で目隠しをして歩いたり、ガイド役を務めたりした。また、車椅子の押し方も体験。児童たちは視力の不自由な人をガイドする際、「何メートル先に段差がある」など声で説明する大切さなどを習得した。

 児童の1人、佐瀬智美さん(10)は「車椅子を押す時もスピードに注意しないといけないと分かった。体の不自由な人が町で困っている時は力になってあげたい」と話した。【

札幌・聴覚障害認定問題:障害者手帳不正取得、県内でも10人が交付 /青森

2008年09月05日 12時21分18秒 | 障害者の自立
 聴覚障害の障害者手帳をめぐり、札幌市の耳鼻咽喉(いんこう)科医が実態と異なる記載を診断書にした疑いで北海道警などの家宅捜索を受けた事件で、県は4日、県内でも10人(うち1人は故人)がこの医師が作成した診断書で手帳の交付を受けていたと発表した。

 県障害福祉課によると、交付を受けていたのは下北や東青管内の33~73歳の男女。5月下旬に医師の実名が公表され、県が94年度以降の診断書を福祉事務所に確認させ、03~05年度分で10件あることが分かった。難聴や耳鳴りなどの障害があり、知人からこの医師のいる病院のことを聞いて受診したケースもあった。

 県は6人を再診し、4人を身体障害者手帳2級から6級に変更し、2人を手帳返還とした。死者を除く残る3人は、障害が改善されたとして自主返還した。【