2009年9月30日
「配達に行ってくるよ」
東京都板橋区の住宅街。元教員の武田仁(まさし)さんは、障害者が働く「とうふ工房・大谷口の家」を出発した。自慢の豆腐をお得意さまに届けるためだ。
郷里の宮城教育大の学生時代。先輩に誘われ、難病の子どもたちの病院内学級を訪れた。「懸命に勉強していて、教育の力を感じた」。本気で教員を志した。
郷里を離れ、同区で小学校教員に。「教科書はほとんど使わず、よく校外に出掛け、管理職ににらまれていた」。地域の文化・子育て活動にも積極的に参加した。
充実した教員生活も残り十年余りになり、「教員を志した原点に返ろうと、障害児学級(当時)を希望した」。初めての特別支援教育。初体験で戸惑った。「何げなくお世話が大変と口にしてしまい、親から『子どもはあなたの世話にはなっていません』と怒られたことも」。子どもと親が“先生”だった。
高校教員だった兄(67)は、郷里で障害者の自立を支援するため、豆腐など企業に負けない商品を作ろうと社会福祉法人「はらから会」を運営する。一九九八年から毎年、教え子親子、地域の活動での長年の友、中川守さん(54)と見学旅行を続ける。
「喜々として働く姿を見て、東京にも卒業後の居場所をつくりたいねと語りあった」。親の一人が急死。子どもは山形県の施設に入った。「居場所づくりを託されたと思った」
二〇〇四年十一月、中川さんが障害者の働く場所づくりのため会社を退職し、はらから会で豆腐作りを学んだ。その心意気に、武田さんも「人生お金じゃない。動けるうちにやろう」と決断。〇五年三月、教員生活に別れを告げた。定年まで三年だった。
作業所の運営は何もかも初めて。同会からノウハウを学び、知人、友人、成人した教え子たちも応援した。翌年、大谷口の家をオープン、運営母体「はらから東京の会」もNPO法人になった。
豆腐は、同会が宮城県産の大豆で作った豆乳と天然にがりを使う。価格は少し高めだが、固定客もでき、昨年の売り上げは目標の月平均二百万円に。だが、財政的な厳しさは変わらない。障害者自立の難しさをあらためて実感した。今春から行政の助成を受け、現在男女九人が働く。
「生まれ育った地域で、生き方を自分で自由に選択できて、その選択に幅があることが自立だと思う。それを支える場になっていきたい」。大谷口の家と、今秋開所する小豆沢(あずさわ)の家が目指すのは、障害者を支える大黒柱だ。 (飯田克志)
<若い世代へ>迷ったら一歩前に
私が体験してきたことだけど、この世の中、まんざら、捨てたものでもないよ。いろいろ挫折したり、この格差社会、生きにくいことがいっぱいあったりする。でも、生きがいのある仕事は必ずあるし、それを支えてくれる人は必ずいるなぁと、私は確信を持ったからこそ、挑戦することができたんだ。そんな出会いを若者たちに期待したいし、その先に生涯をかけられる仕事がある。待っていたんじゃだめ、迷ったら一歩前に出てほしい。
「配達に行ってくるよ」
東京都板橋区の住宅街。元教員の武田仁(まさし)さんは、障害者が働く「とうふ工房・大谷口の家」を出発した。自慢の豆腐をお得意さまに届けるためだ。
郷里の宮城教育大の学生時代。先輩に誘われ、難病の子どもたちの病院内学級を訪れた。「懸命に勉強していて、教育の力を感じた」。本気で教員を志した。
郷里を離れ、同区で小学校教員に。「教科書はほとんど使わず、よく校外に出掛け、管理職ににらまれていた」。地域の文化・子育て活動にも積極的に参加した。
充実した教員生活も残り十年余りになり、「教員を志した原点に返ろうと、障害児学級(当時)を希望した」。初めての特別支援教育。初体験で戸惑った。「何げなくお世話が大変と口にしてしまい、親から『子どもはあなたの世話にはなっていません』と怒られたことも」。子どもと親が“先生”だった。
高校教員だった兄(67)は、郷里で障害者の自立を支援するため、豆腐など企業に負けない商品を作ろうと社会福祉法人「はらから会」を運営する。一九九八年から毎年、教え子親子、地域の活動での長年の友、中川守さん(54)と見学旅行を続ける。
「喜々として働く姿を見て、東京にも卒業後の居場所をつくりたいねと語りあった」。親の一人が急死。子どもは山形県の施設に入った。「居場所づくりを託されたと思った」
二〇〇四年十一月、中川さんが障害者の働く場所づくりのため会社を退職し、はらから会で豆腐作りを学んだ。その心意気に、武田さんも「人生お金じゃない。動けるうちにやろう」と決断。〇五年三月、教員生活に別れを告げた。定年まで三年だった。
作業所の運営は何もかも初めて。同会からノウハウを学び、知人、友人、成人した教え子たちも応援した。翌年、大谷口の家をオープン、運営母体「はらから東京の会」もNPO法人になった。
豆腐は、同会が宮城県産の大豆で作った豆乳と天然にがりを使う。価格は少し高めだが、固定客もでき、昨年の売り上げは目標の月平均二百万円に。だが、財政的な厳しさは変わらない。障害者自立の難しさをあらためて実感した。今春から行政の助成を受け、現在男女九人が働く。
「生まれ育った地域で、生き方を自分で自由に選択できて、その選択に幅があることが自立だと思う。それを支える場になっていきたい」。大谷口の家と、今秋開所する小豆沢(あずさわ)の家が目指すのは、障害者を支える大黒柱だ。 (飯田克志)
<若い世代へ>迷ったら一歩前に
私が体験してきたことだけど、この世の中、まんざら、捨てたものでもないよ。いろいろ挫折したり、この格差社会、生きにくいことがいっぱいあったりする。でも、生きがいのある仕事は必ずあるし、それを支えてくれる人は必ずいるなぁと、私は確信を持ったからこそ、挑戦することができたんだ。そんな出会いを若者たちに期待したいし、その先に生涯をかけられる仕事がある。待っていたんじゃだめ、迷ったら一歩前に出てほしい。