ゴエモンのつぶやき

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知的障害者 体育の祭典 あす16日から大阪府内6会場でフェスタ

2010年10月16日 02時43分25秒 | 障害者の自立
 知的障害のある人たちの体育の祭典、第29回「スポーツフェスタ2010大阪」(主催、大阪知的障がい者スポーツ協会)が16、17日、大阪市東住吉区の長居第2陸上競技場など、大阪府内6会場で開催される。

 知的障害のある人たちに体育活動を通じて社会参加を図ってもらうのが目的で、今年は大阪府を中心に計2240人が参加。16日午前9時半、長居第2陸上競技場で開会式を行った後、各会場に分かれて陸上、水泳など計9種目で力を競い合う。

 各競技の開催日、会場は次の通り。

 16日=陸上、フライングディスク、レクリエーション(長居第2陸上競技場)▽17日=水泳、卓球(長居障害者スポーツセンター)、サッカー(府立大和川高校)▽16~17日=ソフトボール(長居公園運動場)、ボウリング(新大阪・イーグルボウル)、バスケットボール(なみはやドーム)

産経関西

聴覚障害偽装事件 障害手帳を不正取得した元組合幹部が証言

2010年10月16日 02時39分30秒 | 障害者の自立
 耳鼻咽喉科医・前田幸被告(75)が、多数の「患者」に重度の聴覚障害があると虚偽の診断書を作成したとされる聴覚障害偽装事件で、虚偽診断書作成、同行使、詐欺の罪に問われた社会保険労務士・香田清被告(69)の第2回公判が、15日午前10時から札幌地裁(渡辺康裁判長)で開かれた。

 検察官は初公判の冒頭陳述で、「香田被告は、不正受給者42人から不正取得の報酬として計約857万円を受け取った。組合員を集めた勉強会を開催し、聴力検査の際は、はっきりと音が聞こえてからボタンを押すことを教えた」などと指摘した。

 一方、香田被告と弁護人は、前田被告との共謀を否認、無罪を主張した。

 15日の第2回公判は、証人席を遮へい板で囲み、証人尋問が行われた。男性の証人は氏名も明らかにされなかったが、ある組合の副委員長時代に、香田被告を講師とした勉強会に参加していたことなどを証言、自身が不正に聴覚障害6級に認定されたことについての反省の弁も述べた。

 以下、検察官、弁護人、裁判官による証人尋問。

 検察官 証人は平成4年12月に○○組合に加入しましたね。

 証人 はい。炭鉱鉱山の鉱山夫、建設、土木の作業員が主な会員で、労災認定の手伝いをするのが組合の主なものでした。

 検察官 証人は組合の副委員長になりましたね。

 証人 はい。平成6年の4月末です。

 検察官 証人は被告人を誰から紹介されたのですか。

 証人 組合のI委員長、K副委員長、O書記長から紹介されました。

 検察官 どのように紹介されたのですか。

 証人 社会保険労務士で、労災や障害者のこと、年金に非常に詳しい先生なので、今度、勉強会に出るようにと指示されました。

 検察官 どのような勉強会でしたか。

 証人 私たちの知らない年金のことを学ぼうということでしたが、実際に参加してみると聴覚障害のことでした。組合員のほとんどは騒音現場で働いていたので、障害者手帳のことでした。

 検察官 証人はいつ頃から勉強会に参加したのですか。

 証人 平成6年の夏ごろと記憶しています。多いときには月に数回、平成10年頃は月に1回か、開かれないこともありました。

 検察官 勉強会が行われた場所は。

 証人 (白石区菊水の)「菊水ビル」4階の会議室でした。時間は大体10時前後でした。

 検察官 勉強会を開く前、事前に言われていたことはありますか。

 証人 K副委員長が「勉強会をやるので事前に保険証を持参するように」と言っていました。勉強会が終わると、希望者は香田先生(被告)と一緒に耳鼻科に行ってました。

 検察官 どこの耳鼻科ですか。

 証人 白石の地下鉄駅付近だということは分かっていました。後年、W耳鼻科ということが分かりました。聴覚検査をすることが目的です。

 検察官 (勉強会に参加した)組合員の中に身障者手帳を持っている人はいましたか。

 証人 ほとんどいなかったと記憶しています。

 検察官 被告人が勉強会で話す内容はどのようなものでしたか。

 証人 毎回同じです。聴覚障害の身障者手帳の取得を縷々述べていました。聴覚障害の場合の身障者手帳には1級がなく、2級が最も重度だということなどを話していました。

 検察官 その際、被告人が強調していたことは。

 証人 4、3、2級の手帳で受けることができる行政サービスの違いを説明していました。2級に限って言えば、重度障害の保険証が交付されるとの説明を聞きました。2級は医療費が初診料以外は全額無料になる利点があるというお話しです。

 検察官 被告人は、どの手帳がいいのか、言ってましたか。

 証人 「公共料金は本人が無料になり、自動車税は免除、高速道路は半額、高額のFAXの付いた電話機がもらえる。2級の人は35万円の所得の控除が受けられる。かなり得になるんです」とお話されていました。勉強会の参加者からは「2級があれば、一生安心にして暮らせるのではないか」という話題が出ました。

 検察官 ほかに言われたことはありますか。

 証人 (被告人からは)視覚障害や肢体不自由の場合と違って、「聴覚障害はオージオ(メータ)の検査だけしかないので、一番簡単です」と言われました。オージオの場合は、(検査機器から音が)聞こえたらボタンを押す簡単な検査なので、ずっと押さなければ、2級の手帳が交付されると話していました。

 検察官 被告人は2級を取得するために聴力検査でどうすれば良いかを言っていましたか。

 証人 具体的にスイッチの押し方を説明された記憶はないと思います。「普通のスイッチの押し方だと取れないね」「ずっとスイッチを押さないと自動的に2級が取れてしまう」という2つの言葉からすると、私は2級が取れてしまうのかなと思いました。

 検察官 証人は聴力検査を受けたことがありますか。

 証人 慢性中耳炎なのであります。

 検察官 勉強会で全聾の方はいましたか。

 証人 いません。

 検察官 被告人は障害年金制度のことを説明していましたか。

 証人 皆無ではありませんが、講義の中で毎回出ることはありませんでした。

 検察官 診断書、意見書が出た後はどうしていましたか。

 証人 診断書が出たら香田先生が取りに行き、(申請に必要な)写真を用意させて役所に提出させていました。

 検察官 被告人は(「患者」が身体障害者手帳を取得した場合の)手数料のことは何か話していましたか。

 証人 手帳を交付した時点で、患者が1万5000円を支払うことになっていました。後に2万円になりました。

 検察官 被告人が組合員を連れて行ったのは、ずっとW耳鼻科でしたか。

 証人 その後、前田耳鼻科(前田幸被告が営んでいた札幌駅前耳鼻咽喉科・アレルギー科)に変わったと聞いています。香田先生も「札幌駅前にいい医者を見つけた」と話していました。

 検察官 前田耳鼻科になってから勉強会で被告人が話す内容は変わりましたか。

 証人 前田耳鼻科に移ってからは聴覚の障害年金のことを頻繁に話すようになりました。組合員からは「組合員と個人的に会ったときも、そういう話をするようになった」と聞いています。

 検察官 被告人は、前田被告の聴覚検査の受け方について、何か話していましたか。

 証人 香田先生は、「前田先生は少しの音ではなく、きちんと音が聞こえるようになってから(オージオメータ)のスイッチを押しなさいというのが持論です」と話していました。組合員で1人、香田先生に質問した人がいました。「そういうやり方で役所に手帳を取りに行くと変なことになるんじゃないか」と話していました。

 香田先生は、「前田先生は医学博士の権威なので、前田先生が書いた診断書にはクレームがつかない」と話していました。平成10年頃から勉強会の回数は少なくなりました。いろいろな人に話が伝わり、勉強会よりも、香田先生にどうすれば連絡が取れるか、という話しが多くなりました。 

 検察官 証人は、平成5年、平成8年に難聴の障害年金を申請して認められませんでしたね。

 証人 はい。

 検察官 そのことを証人は香田被告に話しましたか。

 証人 幸田先生は異議申し立てをしてくれました。その結果、平成8年の9月に認めるという通知が来ました。香田先生のことをすごい人なんだなと思ったことは事実です。うれしいあまり、いろいろな組合員に話しました。あの時は感動モノでした。

 検察官 香田被告とは手数料の話をしましたか。

 証人 平成8年10月頃、「手帳を取得したら患者から1万5000円を手数料としてもらう。その1万5000円のうち、7(割)を私、3(割)を組合で取りましょう」という話をされましたが、私は組合にそういう項目はないと断りました。

 その後、香田先生からは「組合と7:3がだめなら、あなたにも苦労をかけるから7:3にしませんか」と言われました。私は職業病による休業補償を受けており、不正受給になると思って、丁重にお断りした記憶があります。

 検察官 被告人はどうして手数料を分ける話をしたのですか。

 証人 いろいろな団体と関係を持っていれば、お客さんが増えると思ったのではないか、と思っています。

 検察官 証人は障害年金も受給しましたね。

 証人 はい。

 検察官 証人が前田耳鼻科で聴力検査をした時、その場に被告人はいましたか。

 証人 いました。香田先生は検査機器から出てくるデーターの前にいたことが一度ありました。定かではありませんが、その時、香田先生は「これでは通らない」というような発言をしたと記憶しています。私の欲もあり、(障害年金を不正受給したことは)反省しています。障害者年金は弁済しました。

 弁護人 組合の札幌労災支部はどのような仕事をしていたのですか。

 証人 職業別の方が労災を受けるために関係者類などの手伝いを受けていました。

 弁護人 証人の仕事は。

 証人 労災の申請の手伝いと組合員の精神衛生の管理です。

 弁護人 申請書は誰が出すのですか。

 証人 本人です。

 弁護人 勉強会も組合の仕事のひとつですか。

 証人 いいえ。組合の活動目的と香田先生が開催した勉強会は、基本的に関係ありません。

 弁護人 勉強会の参加は誰が呼びかけていましたか。

 証人 私の先輩格のK副委員長が声を掛けて参加していました。

 弁護人 勉強会の参加者は組合員だけでしたか。

 証人 その頃、石炭塵肺の補償の裁判が行われていたので、組合員以外も参加していました。

 弁護人 Kさんが個別に呼びかけていたのですか。

 証人 その通りです。

 弁護人 どのように組合員に呼びかけていたのか、教えてください。

 証人 平成8年頃からは、香田先生の勉強会ということだけで、患者はあまり抵抗なく集まりました。香田先生の勉強会に参加すると聴覚障害の手帳の取得につながると、みんな考えていたと思います。

 弁護人 勉強会に参加する人は1回でいいのですか、数回参加するのですか。

 証人 香田先生が話す内容は毎回同じですが、私の記憶では2回、3回参加した方がいます。

 弁護人 証人は勉強会に何回参加しましたか。10回、20回のレベルですか。

 証人 そうです。

 弁護人 勉強会に出て、病院に行かなかった人は少なかったのですか。

 証人 はい。

 弁護人 オージオメータの検査結果ですが、勉強会で被告人は参加者に何と言っていましたか。

 証人 W耳鼻科の場合は、「普通のスイッチの押し方では2級にならないだろう」と話していました。「前田先生はきちんと聞こえるまでスイッチを押さないとダメというのが持論」と香田先生は言っていました。香田先生から「こうしなさい」「ああさいなさい」と指導された覚えはありません。

 弁護人 被告人がオージオメータのことを言っていたのは、(病院に行った時の)毎回ですか。

 証人 W耳鼻科の時は数回に1回。患者を前田耳鼻科に連れて行くようになってからは、前田先生の持論をいつも言っていました。

 弁護人 平成11年12月にあなたは前田耳鼻科で耳の検査を受け、診断書を書いてもらいましたね。

 証人 はい。

 弁護人 被告人と一緒に行きましたか。

 証人 はい。待ち合わせをして行きました。

 弁護人 被告人は待合室に居ればいいのに、診察室にいたのですか。

 証人 1回は診察室にいました。

 弁護人 香田被告と前田被告が会って話しているのは見ていますか。

 証人 私の診察の時はないです。

 弁護人 「きちんと音が聞こえてからスイッチを押しなさい」ということを聞いて、不正とは思いませんでしたか。

 証人 確信はありませんが、おかしいなとは思いました。

 弁護人 そのことを香田被告やKさんに確認したことはありますか。

 証人 ありません。

 弁護人 前田被告からスイッチの押し方を教わったことはありますか。

 証人 ありません。「あなたはこれでは2級にならない」とお叱りを受けたことはありました。

 弁護人 あなたが前田耳鼻科に行って、オージオメータの検査を受けた時に不正なやり方をしましたか。

 証人 結果的にはそうです。

 弁護人 あなたは(聴覚障害)6級の手帳を取得しましたが、2級の取得は考えなかったのですか。

 証人 ありません。それ以上(重度)の手帳を取得しようと思う欲はありませんでした。

 弁護人 香田さんが組合と関わる前に、組合の人がW耳鼻科に行っていたか分かりますか。

 証人 分かりません。

 弁護人 あなたが組合に入ったのは、平成4年12月ですね。

 証人 そうです。

 弁護人 その頃、香田さんと組合の関わりはありましたか。

 証人 分かりません。

 弁護人 あなたの周りに衝立がありますが、検察官にお願いしたのですか。

 証人 はい。私は体調が悪く、気が弱い面もありますし、(事件発覚当時)報道関係者が随分、事務所に来られ、対応に終われました。

 左陪席裁判官 勉強会は何のために行っているという認識だったのですか。

 証人 聴覚障害の手帳の取得が最大の目的と思っていました。

 左陪席裁判官 勉強会に参加している人は、耳に何らかの問題があったのですか。

 証人 組合員の9割方は騒音性難聴という認識です。

 左陪席裁判官 具体的なオージオメータの検査方法を被告人はどのような文脈で話していたのですか。

 証人 いろいろな行政サービスを受ける中で出る話です。私たちも聴覚検査をしていますので、スイッチを押さないままだと、(検査結果を示す)グラフが上がっていくのは当たり前の常識という認識はありました。

 香田被告はメモを取りながら、時折、証人の証言に対して首を横に振っていた。次回公判は11月4日に開かれる。

聴覚障害偽装事件初公判 被告の社労士が無罪を主張
http://www.hokkaido-365.com/news/2010/10/post-1344.html

聴覚障害偽装事件 被告の医師が初公判で無罪を主張
http://www.hokkaido-365.com/news/2010/09/post-1293.html

身体障害者手帳不正取得疑惑 手続き代行の社労士が「潔白」を主張 前編
http://www.hokkaido-365.com/news/2008/04/post-146.html


BNN プラス北海道365

大阪地検、無罪判決後も「村木さん共謀」主張…郵便不正

2010年10月16日 02時35分08秒 | 障害者の自立
凛の会元会長の控訴趣意書で
 郵便不正を巡る偽の障害者団体証明書発行事件で、厚生労働省元局長・村木厚子さん(54)の無罪判決後に大阪地検が提出した自称障害者団体元会長に対する控訴趣意書の中で、村木さんとの共謀を主張していたことがわかった。一方、同地検は提出の4日後に村木さんの控訴を断念しており、矛盾した対応のままだ。検察側は、元会長ら村木さんの共犯とされた3被告の起訴内容を変える訴因変更などでの調整を迫られている。

 検察側は当初、郵便料金の障害者割引制度を悪用して企業のダイレクトメール(DM)を不正に発送した自称障害者団体「凛の会」元会長・倉沢邦夫被告(75)と元会員・河野克史被告(70)が04年6月、厚労省側に証明書の発行を依頼。村木さんの指示で元係長・上村勉被告(41)(1審公判中)が偽の証明書を発行したと主張していた。

 村木さんら4被告が共通して問われた虚偽有印公文書作成・同行使罪は、文書の作成権限を持つ公務員を処罰する規定で、村木さんが事件の軸とされた。

 大阪地裁は4月、倉沢被告について、「村木さんへの証明書発行依頼を認めた捜査段階の供述は信用できない」として同罪を無罪、DMの不正発送を有罪とし、検察側が控訴。5月には河野被告に有罪判決を言い渡し、被告側が控訴した。

 一方、村木さんについては9月10日に無罪とし、同21日、大阪地検は上訴権を放棄して無罪を確定させた。大島忠郁(ただふみ)・次席検事は「基本に忠実な捜査が不徹底だった。村木さんに負担をかけ申し訳ない」と謝罪した。

 ところが同地検はこの4日前の17日、「村木さんとの共謀はあった」とする倉沢被告に対する控訴趣意書を大阪高裁に提出していた。

 村木さんの無罪確定で、同地検は事件の構図を「上村被告の独断」と切り替え、文書の作成権限がなかった上村被告について、有印公文書偽造・同行使罪に訴因変更する方向で最終協議している。

 倉沢被告の控訴審の第1回公判は11月26日に決まっており、大阪高検も倉沢、河野両被告の訴因変更を視野に入れているが、2審での立証方針変更についてそれぞれの弁護側は、「検察のミスを被告に転嫁するもの」などと反発している。

(2010年10月15日 読売新聞)

視覚障害者に配慮したUDカレンダー 松浦印刷

2010年10月16日 02時33分17秒 | 障害者の自立
 鹿島市の松浦印刷(松浦正欣社長、28人)は、ユニバーサルデザイン(UD)対応のカレンダーを作製した。色覚障害者が見づらいとされる赤色をオレンジ色に変えるなどの工夫を凝らす。

 

 色覚障害者は日本に約320万人以上と推定され、赤や緑色の区別がつきにくいのが悩みという。カレンダーは色覚障害者には黒く見える赤色をオレンジ色で表示。一般のカレンダーに比べ、休日部分を鮮明に見えるようにした。また、文字は大きく判別しやすい書体を使い、高齢や弱視の人にも見やすくした。

 

 カレンダーは卓上や壁掛け、ポケットダイアリーなど7種類。同社は「全国印刷工業組合ではUD化を推進しており、先行して商品化できた。だれもが見やすく使いやすい印刷物を発行し、人に優しい社会づくりに貢献したい」と話す。問い合わせは同社、電話0954(63)2200。

佐賀のニュース

追跡・累犯:/2 福祉との細い糸 刑務所に入れば手がかりは手紙だけ

2010年10月16日 02時31分07秒 | 障害者の自立
 コンクリートの一室で、野球帽を目深にかぶった作業服姿の男性(63)が自動車部品を分解する作業をしていた。室内のほかの男性2人と会話はない。

 横浜市の知的障害者入所施設。昨年7月、栃木県の黒羽刑務所を満期出所し、ここで重度の知的障害者たちと暮らす。

 なぜ刑務所に? 横を向いて「ちょっとのことだよ。お菓子とか取っただけ」。初の服役だった。「刑務所ではたいてい(房の)外に出て遊んでた」。独り言のような語り口に、服役の意味が理解できた様子はない。

 07年8月、横浜簡裁。検察は「万引きの前歴が21件。執行猶予は無意味」と主張。弁護人は「刑罰を理解する能力に欠ける。服役に意義はない」と擁護した。そのさなか、被告人席の男性は居眠りをしていた。判決は懲役10月。執行猶予も取り消され、計1年10カ月の服役が決まった。

   ◇   ◇


自動車部品を解体して基盤を取り出す男性。単調な生活にも不満をもらすことはないという=横浜市内で森田剛史撮影 横浜市に生まれ、生後11カ月の時に日本脳炎で3日間意識を失った。てんかんの発作が続き、15歳で精神科病院に入院。両親は面会に来なくなり、33歳で退院して自立を始めたという。

 85年から10年ほど男性がいた勤務先の上司を訪ねた。「箱枠作りの単純作業だが、誰より熱心だった。黙々と打ち込んでいたよ」。アパートを探したり、居酒屋で男性が好きなビールをおごった。だが万引きの悪い癖がついていた。

 この会社を辞めてからのことは本人もよく覚えていない。横浜市で知的障害者の自立をサポートする「訪問の家」の岩屋文夫さん(47)が、自治体の依頼で男性を訪ねたのは04年夏。自宅アパートは電気・ガスも止まり、ろうそくの火で暮らしていた。岩屋さんと出会った後も万引きは続いた。

 しばらくは送検されない微罪処分で済んだものの、06年には起訴、執行猶予付きの判決が出た。岩屋さんらは「今度やったら刑務所だよ」と言い聞かせたが、翌年も事件を起こした。

 刑務所に入れば生活保護や福祉サービスは打ち切られる。支援者でも、受刑者がどこの刑務所にいるか知る仕組みはなく、受刑者本人が出す手紙だけが手がかりだ。満期出所し、行方がつかめなくなることも珍しくない。

 「このままでは福祉と縁が切れ、再び支えるのは難しい」。岩屋さんは男性の逮捕後、出所した時に備えて知的障害者入所施設に引き受けを頼んだ。まだ拘置所にいる男性にあて先を書いたはがきを差し入れ、「(判決が確定して)刑務所に移ったら、必ず居場所の連絡を」と念を押した。しばらくして、黒羽刑務所にいるとの手紙が届いた。

 施設では、再犯しないための支援策を何度も話し合ったうえで、出所の日は刑務所前で出迎えた。こうして、男性は再び福祉につながった。

   ◇   ◇

 「今の楽しみ? 作業とか日曜に買い物に行くこととか……」。男性は目を野球帽の下に隠したまま作業に戻った。施設長は言う。「彼は過去の経験が積み重ならず流れていく、砂時計のような人生を送ってきた。職員が彼の人生に寄り添い、人とのかかわりを感じられるよう支えていかなければ」

 ここに来て1年が過ぎた。男性は事件を起こしていない。

毎日新聞 2010年10月14日 東京朝刊