ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

特別支援学校、教室不足が深刻に

2010年10月20日 01時44分12秒 | 障害者の自立
更衣室、廊下、職員室まで転用…2008年文科省調査

 障害児が学ぶ全国の特別支援学校で、深刻な教室不足が起きている。倉庫を教室に転用したり、1教室をカーテンで二つに仕切ったり。発達障害などで入学してくる子どもが増え続けているためとみられる。

 政府内では障害児教育のあり方を巡る議論が進められているのに、障害児の教育環境は悪化するばかりだ。

発達障害児の入学増背景に
 知的障害の小中学生が通う東京都立小金井特別支援学校の校舎は、鉄筋コンクリート造り2階建て。一般教室はもともと18室だった。ところが、児童生徒数が10年前の1・5倍の約150人に膨らんだ結果、家庭科室などの特別教室、更衣室や印刷室、廊下の一部まで一般教室に転用。特別教室をカーテンやロッカーで仕切って2クラスで使い、何とか35教室を作り出している状態だ。

 福島市にある福島県立大(おお)笹生(ざそう)養護学校では、職員室も教室に転用した結果、教師は廊下に机を置いている。

 国の学級編成基準では「小中学部6人、高等部8人まで」とされるが、熊本県合志(こうし)市の県立菊池養護学校では、教室不足のため、10人、11人学級を編成している。


 少子化で子どもの数は減っているのに、特別支援学校の児童生徒数は急増し、文部科学省のまとめでは、昨年の公立特別支援学校の在籍者は約11万3000人。10年間で約2万8000人増えた。2008年の調査では、全国の公立966校の2万9008学級に対し、教室不足数は2797。1割の学級が、臨時の「教室」を使っていた。

 文科省は昨年度、約2600億円の補正予算を組み、自治体の教室増設を促した。しかし、児童生徒の増加に追いつけず、間仕切りで教室の出入り口が1か所になり、自治体が建築基準条例に定める「二方向避難」を守れない教室も散見される。

 特別支援学校の児童生徒が急増するのは、本来、一般の小中学校に入ることになっている発達障害の子どもが、支援学校に入学してきているためとみられる。

 茨城大学の荒川智教授(障害児教育)は、「一般の学校には障害児教育の経験、知識が十分な教師が少なく、場所を失った子どもが、特別支援学校にきている。教室増設も急務だが、小中学校の体制も見直す必要がある」と指摘している。

 特別支援学校 従来の養護学校(知的障害、肢体不自由等)、盲学校、ろう学校が、2007年4月の学校教育法改正により、「特別支援学校」として制度上、一本化された。地域の幼稚園、小・中学校、高校の障害児教育に助言し、支援する役割も担う。学校名が旧区分のままのケースもある。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 発達障害 脳の機能障害で、対人関係やコミュニケーション、社会生活に困難を抱える。知的障害を伴うケースと、そうでないケースがある。自閉症、アスペルガー症候群などの広汎性発達障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害などが含まれる。

(2010年10月19日 読売新聞)

発達障害向け特別教室 児童生徒数が5年で12倍 

2010年10月20日 01時43分05秒 | 障害者の自立
 学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)など発達障害児、発達障害者197件向けの教室で、特別な指導を受けている児童生徒が、兵庫県内に776人(5月現在)いることを、県教育委員会が18日、明らかにした。2006年度は64人だったが、5年で約12倍に増えた。背景には近年、発達障害への理解が急速に広がり、受け入れ態勢も整ったことがあるとみられる。


 同日の県議会決算特別委員会の席上、高橋進吾議員(自民党、神戸市東灘区)の質問に答えた。

 ただ、発達障害の子どもの実数は調査されておらず、発達障害があっても通常の学級で学ぶ児童生徒もいる。このため、県教委は「発達障害のある子どもはもっと多い」とみている。

 県教委によると、特別な指導をする教室は「通級指導教室」と呼ばれ、小中学校内に開設。各市町教委の就学指導委員会が「特別な指導が必要」と判断した児童生徒が通常学級に籍を置きながら週8時間~月1回の範囲で、「学校生活支援教員」から感情や行動のコントロールなどを学んでいるという。

 発達障害向きの通級指導教室を、県教委がスタートさせたのは06年度。当初、担当教員の配置は県内で10人だったが、10年度は各市町2人ずつの計82人が配置され、82教室が開設されている。

 対象の児童生徒が増えた背景には、発達障害への理解が広まり障害に早く気づいたり、専門的指導を求めたりする保護者の存在もあるという。県教委は「通級指導教室でのノウハウを教育現場に広げ、発達障害の指導を充実させたい」としており、指導内容はホームページで公開している。

 アドレスはhttp://www.hyogo-c.ed.jp/~sho-bo/

神戸新聞

臨時職員の不祥事続発 青森県から民営化の社会福祉法人

2010年10月20日 01時38分21秒 | 障害者の自立
 青森市の社会福祉法人「青森県すこやか福祉事業団」が運営する障害者施設で、事業団が県から独立民営化した2007年度以降、施設利用者の所持金の着服など臨時職員による不祥事が相次いでいたことが18日、分かった。

 事業団によると、今春、知的障害児施設「八甲学園」(青森市)で、臨時職員が利用者向けのおやつやゲーム機を私物化したほか、同僚職員の昼食代を着服していたことが判明。青森市内の障害児向けのデイサービス事業所でも、臨時職員が業務時間外にストーカー行為をしていたことが明らかになった。
 障害者総合福祉センター「なつどまり」(青森県平内町)では09年9月、臨時職員が利用者4人の小遣い数百円から数千円ずつを着服していたことが発覚。07年春には八甲学園の臨時職員が内規に反し、事業団の別施設の利用者数人から謝礼名目などで、数千円ずつ現金を受け取っていた。
 事業団は当事者の臨時職員4人を懲戒解雇処分とした。着服金も弁済されたことなどから告訴・告発は見送った。事業団の説明によると、民営化以前に不祥事はなかったという。
 事業団は取材に対し「あってはならないことだ」と謝罪した上で、「民営化した際に早期退職した正職員40人弱には、中堅とベテランの職員が多く含まれていた。組織全体の管理能力が落ち、入れ替わりの臨時職員らの教育に行き届かない面があった」としている。
 県健康福祉部は「問題が起きたことは残念。民営化時の早期退職と不祥事は無関係と考えている」と話している。

[青森県すこやか福祉事業団] 1977年12月に県の外郭団体・県社会福祉事業団として設立。2002年、県長寿社会振興財団との統合で現在の名称に変更した。07年4月、行財政改革の一環で独立民営化され、八甲学園など県営3施設の土地・建物などの無償譲渡を受け、運営を引き継いだ。ほかに県内数施設を指定管理者として、運営している。民営化に伴い、県は07~11年度、各施設の修繕費用などとして計約10億8500万円を事業団に補助することになっている。事業団事務局には毎年、県職員が出向している。


河北新報

ワークショップフラットが10周年

2010年10月20日 01時31分54秒 | 障害者の自立
難病患者や中途障害者が働く共同作業施設「ワークショップフラット」(山本功施設長、和歌山市中之島)が10周年を迎え17日、同市手平の和歌山ビッグ愛で記念イベントが開かれた。作業所の関係者ら120人が出席し、節目の年を祝った。

運営主体「NPO法人りとるの」の土生晃之理事長は10年前に四箇郷地区に開設した当時を振り返りながら、「(難病患者や中途障害者の)県内で唯一である就労支援施設のフラットを今後も地域に寄り添い楽しい会にしたい」とあいさつ。来賓の岸本周平衆院議員は「いまも点字名刺をお願いしている」。世耕弘成参院議員は「フラットという名に『一緒に暮らしたい』という気持ちを考えさせられる」と祝辞を述べた。

また、式典では施設利用者の男性が他の利用者と触れ合いながら活動した体験を発表した。

わかやま新報オンラインニュース

障害者の思いを歌に

2010年10月20日 01時30分02秒 | 障害者の自立
8年ぶりに活動を再開


ギターを抱えて熱唱する中島さん  視覚障害のある佐賀市水ヶ江1、針きゅう師中島信義さん(64)が、障害者の思いを込めたオリジナルフォークソングをステージなどで歌う活動を約8年ぶりに再開した。17日に同市の母校・県立盲学校で開かれた視覚障害者文化祭で、“復帰後”初めてとなる歌声を披露。中島さんは「これからも出来る限りイベントなどに出たい」と意欲をのぞかせる。(池田亮)

 中島さんは佐賀市出身。先天性の視覚障害で、現在の視力は左目がわずかに見える程度。1966年に盲学校を卒業し、約4年間、大阪や東京で針きゅうの技術を磨いた。「一人前になって古里に戻ろう」と誓っていたが、慣れない土地で心細さを覚えた時、ギターとフォークソングが心の支えになったという。

 70年に帰郷し、針きゅう治療院を開業。その頃から、ボランティアで障害者が書いた詩に曲をつけるようになった。

 ―うち、学校に行きたかった 歩ききらんばってんこの街のもん 立ちきらんばってん普通の学校に行きたかった

 手足に障害のある女性が作詞し、中島さんが作曲した「うち、よそもんのごたっ」の一節。健常者の姉と同じ学校に通いたいという妹の気持ちが伝わる作品だ。「障害者が思っていることを訴えたかった」と振り返る。オリジナル曲は約30曲を数え、チャリティー行事などに出演する一方、点字ブロック設置の要望で市役所を訪ねた際も歌ってアピールした。

 しかし、約8年前にのどに良性の腫瘍(しゅよう)が見つかり、手術。それ以降、活動を休止した。最近は、のどの調子も良くなり、「また歌いたい」と思い始めていた時、文化祭関係者から勧められ、出演を決めた。本番では約20分間で4曲を熱唱し、約100人の聴衆から大きな拍手を浴びた。

 音声付き信号機がないために道路を渡れなかったり、歩道の縁石が見えずに転んだり……。障害者を取りまく環境はまだ厳しいと感じる。「言葉だけでは伝わりにくいが、曲にのせて歌えば人々の心に届く。障害者の気持ちをこれからも代弁したい」と力を込める。

(2010年10月19日 読売新聞)