重い意識障害のある石巻特別支援学校1年新田綾女さん(12)=石巻市大街道南=の家族が、仮設住宅の抽選から漏れ続けている。石巻市は、高齢者や障害者らが入居しやすいよう抽選で優先枠を設定した。それでも優先枠の恩恵を受けられない被災者が少なくない。
<8回外れる>
綾女さんの自宅は津波で全壊し、家族4人で4月中ごろから東松島市大塩の祖母宅(71)で避難生活を送る。全介助が必要で、頻繁にたんを吸引しなければならない綾女さんには、家族の付き添いは欠かせない。
「綾ちゃん、学校に行きますよ」。通学の準備を終えた母親の理恵さん(41)が、居間に横たわる綾女さんの顔をのぞき、優しく語りかける。
綾女さんはじめ、家族はみな石巻市に通勤、通学している。移動時間が短くなる市西部の仮設住宅を希望しているが、これまで8回の抽選は全て外れた。
理恵さんは「全壊した自宅は5年前、バリアフリーに新築した。せめて、スロープ付きの仮設住宅に住みたいけど…」とため息交じりに話す。
石巻市の仮設住宅の建設予定数は約8000戸。市では4月末、市幹部らでつくる選考委員会で優先枠の対象を(1)妊産婦(2)3歳未満の乳幼児(3)65歳以上の高齢者(4)障害者―の世帯と決めた。
建設予定戸数のうち優先枠に配分されるのは7割の約5600戸。「4月上旬までの優先枠の応募が全体の62%だったので、その数に上乗せした」(市建設部)
6月5日現在の応募件数は、優先枠が5380件で全体(9095件)の59%。計算上、優先枠はさらに有利になっているはずだ。しかし、完成戸数は4割弱にとどまり、希望に対応しきれていない。
<考慮しない>
市建設部は、重度の障害者を抱えるなど手厚い支援が必要な世帯が入居できていない現状を認めるが「現行の方式を変える予定はない」という。
理恵さんは入居申請書に「全介助が必要」「気管切開あり」「車いすを利用」など、障害の重さがわかるよう備考欄いっぱいに書き込んだ。
石巻市は「申請件数が多すぎるため、(備考欄に)記入したからといって必ずしも抽選で考慮はしない」と素っ気ない。
慣れない避難生活のたためか、綾女さんは震災前から体重が約1割減って22キロになった。
理恵さんは「自宅が建築制限区域なので、修繕できるかどうかも分からない。早く仮設住宅に移って生活を安定させたい」と訴える。
◇
宮城県内の仮設住宅は必要戸数の6割が完成した。施設整備は進むものの、優先されるべき人たちがいつまでも入居できなかったり、逆に入居したために生活に困る結果となったり。生活再建の一歩がなかなか踏み出せない現実に、被災者の戸惑いが広がる。
◎前に進みたい…けれど
<入居は7割/通学・通院 不便嫌う>
仮設住宅への入居を強く希望している世帯が何度も抽選で外れるケースがある一方で、完成戸数に占める入居戸数の割合は約7割にとどまる。
宮城県によると、必要戸数2万2809戸のうち、22日現在で1万2877戸が完成。だが、県や市町によると、入居率は平均73.3%だ。
市町村別では、石巻市(入居率47.7%)を筆頭に、仙台市(50.4%)、女川町(63.4%)などで、入居がなかなか進んでいない。
仙台市では21日現在、1505戸が完成し、758戸は入居者に鍵を渡した。一方、残り747戸は入居者待ちの状態になっている。
仙台市保険年金課は「避難者の生活圏に近く、通学や通院に便利な住宅を希望するため、条件が合わない住宅は入居が進んでいない。特に住宅地以外の地域は、生活に不便だとされ、人気が低い」という。
公平性確保のために行う抽選手続きがブレーキになっている面もある。
石巻市は必要戸数8000戸のうち、3000戸が完成。抽選の告知はは月2回発行の広報で行っているが、市建築課は「広報の発行時期によっては、完成から抽選まで時間がかかる場合がある」と説明する。
入居が決まった後の課題も浮上している。南三陸町では一時、抽選には当たったものの、仮設住宅入居後の生活に不安を抱いた被災者が、鍵だけを受け取って、実際には入居しないケースが目立った。
車を持たないお年寄りを中心に、避難所での生活以上に移動が不自由になったという世帯も少なくない。
宮城県保健福祉総務課は「中心市街地から離れた仮設住宅には、巡回バスなどで生活の足を確保するよう自治体に求めている」と説明する。
<かさむ出費/収入なく、人頼みに>
自宅があった宮城県南三陸町志津川から約12キロ。登米市津山町の仮設住宅に住む芳賀きみ子さんは「仮設住宅での暮らしは支出が増えるばかりです」と、ため息をついた。5月下旬に登米市の避難所から移った。
震災までは志津川湾近くで長女(45)と暮らしていた。親類が営むワカメやカキの養殖を手伝っていたが、津波で大打撃を受けた。長女が勤務していた縫製会社も津波にのまれ、ともに仕事を失った。
「会社が再開して、長女が仕事に復帰できるのが理想」と願うが、がれきにうずもれた会社を見るたびに「そんな状況ではない」と痛感する。
生活を立て直す1歩目を踏み出すにも出費がかさんだ。車を津波で失ったため、中古の軽乗用車を買い直した。避難所から仮設住宅に移る際、荷物を運ぶためにも欠かせなかった。
その車は現在、長女がハローワーク通いに使っている。「今や、娘に食べさせてもらう立場」。長女の職探しに一筋の望みをかける。
入居と同時に自立を求められる仮設住宅の被災者。だが、芳賀さんは言う。「収入もなく、前に進もうにも進めない。自立と言われても、何も考えられない」
南三陸町歌津の仮設住宅。妻ら家族7人で暮らす阿部清さん(76)は「車がないから、どこへ行くにも困る」とこぼす。
週に2日、仮設住宅と登米市郊外のスーパーを結ぶ無料バスが出ているが、スーパーで買えるのは食品程度。衣類などを買う際は、市内に住む親類の車で、店舗が多い同市中心部まで連れて行ってもらうことが多い。
「仮設に入っても、みんなの世話になり、迷惑を掛けながら暮らしている」。阿部さんは、すまなそうな顔を見せた。
登校する綾女さんを抱いて表に出る理恵さん。玄関の段差ひとつにも注意が必要だ=20日午前、東松島市大塩
河北新報
<8回外れる>
綾女さんの自宅は津波で全壊し、家族4人で4月中ごろから東松島市大塩の祖母宅(71)で避難生活を送る。全介助が必要で、頻繁にたんを吸引しなければならない綾女さんには、家族の付き添いは欠かせない。
「綾ちゃん、学校に行きますよ」。通学の準備を終えた母親の理恵さん(41)が、居間に横たわる綾女さんの顔をのぞき、優しく語りかける。
綾女さんはじめ、家族はみな石巻市に通勤、通学している。移動時間が短くなる市西部の仮設住宅を希望しているが、これまで8回の抽選は全て外れた。
理恵さんは「全壊した自宅は5年前、バリアフリーに新築した。せめて、スロープ付きの仮設住宅に住みたいけど…」とため息交じりに話す。
石巻市の仮設住宅の建設予定数は約8000戸。市では4月末、市幹部らでつくる選考委員会で優先枠の対象を(1)妊産婦(2)3歳未満の乳幼児(3)65歳以上の高齢者(4)障害者―の世帯と決めた。
建設予定戸数のうち優先枠に配分されるのは7割の約5600戸。「4月上旬までの優先枠の応募が全体の62%だったので、その数に上乗せした」(市建設部)
6月5日現在の応募件数は、優先枠が5380件で全体(9095件)の59%。計算上、優先枠はさらに有利になっているはずだ。しかし、完成戸数は4割弱にとどまり、希望に対応しきれていない。
<考慮しない>
市建設部は、重度の障害者を抱えるなど手厚い支援が必要な世帯が入居できていない現状を認めるが「現行の方式を変える予定はない」という。
理恵さんは入居申請書に「全介助が必要」「気管切開あり」「車いすを利用」など、障害の重さがわかるよう備考欄いっぱいに書き込んだ。
石巻市は「申請件数が多すぎるため、(備考欄に)記入したからといって必ずしも抽選で考慮はしない」と素っ気ない。
慣れない避難生活のたためか、綾女さんは震災前から体重が約1割減って22キロになった。
理恵さんは「自宅が建築制限区域なので、修繕できるかどうかも分からない。早く仮設住宅に移って生活を安定させたい」と訴える。
◇
宮城県内の仮設住宅は必要戸数の6割が完成した。施設整備は進むものの、優先されるべき人たちがいつまでも入居できなかったり、逆に入居したために生活に困る結果となったり。生活再建の一歩がなかなか踏み出せない現実に、被災者の戸惑いが広がる。
◎前に進みたい…けれど
<入居は7割/通学・通院 不便嫌う>
仮設住宅への入居を強く希望している世帯が何度も抽選で外れるケースがある一方で、完成戸数に占める入居戸数の割合は約7割にとどまる。
宮城県によると、必要戸数2万2809戸のうち、22日現在で1万2877戸が完成。だが、県や市町によると、入居率は平均73.3%だ。
市町村別では、石巻市(入居率47.7%)を筆頭に、仙台市(50.4%)、女川町(63.4%)などで、入居がなかなか進んでいない。
仙台市では21日現在、1505戸が完成し、758戸は入居者に鍵を渡した。一方、残り747戸は入居者待ちの状態になっている。
仙台市保険年金課は「避難者の生活圏に近く、通学や通院に便利な住宅を希望するため、条件が合わない住宅は入居が進んでいない。特に住宅地以外の地域は、生活に不便だとされ、人気が低い」という。
公平性確保のために行う抽選手続きがブレーキになっている面もある。
石巻市は必要戸数8000戸のうち、3000戸が完成。抽選の告知はは月2回発行の広報で行っているが、市建築課は「広報の発行時期によっては、完成から抽選まで時間がかかる場合がある」と説明する。
入居が決まった後の課題も浮上している。南三陸町では一時、抽選には当たったものの、仮設住宅入居後の生活に不安を抱いた被災者が、鍵だけを受け取って、実際には入居しないケースが目立った。
車を持たないお年寄りを中心に、避難所での生活以上に移動が不自由になったという世帯も少なくない。
宮城県保健福祉総務課は「中心市街地から離れた仮設住宅には、巡回バスなどで生活の足を確保するよう自治体に求めている」と説明する。
<かさむ出費/収入なく、人頼みに>
自宅があった宮城県南三陸町志津川から約12キロ。登米市津山町の仮設住宅に住む芳賀きみ子さんは「仮設住宅での暮らしは支出が増えるばかりです」と、ため息をついた。5月下旬に登米市の避難所から移った。
震災までは志津川湾近くで長女(45)と暮らしていた。親類が営むワカメやカキの養殖を手伝っていたが、津波で大打撃を受けた。長女が勤務していた縫製会社も津波にのまれ、ともに仕事を失った。
「会社が再開して、長女が仕事に復帰できるのが理想」と願うが、がれきにうずもれた会社を見るたびに「そんな状況ではない」と痛感する。
生活を立て直す1歩目を踏み出すにも出費がかさんだ。車を津波で失ったため、中古の軽乗用車を買い直した。避難所から仮設住宅に移る際、荷物を運ぶためにも欠かせなかった。
その車は現在、長女がハローワーク通いに使っている。「今や、娘に食べさせてもらう立場」。長女の職探しに一筋の望みをかける。
入居と同時に自立を求められる仮設住宅の被災者。だが、芳賀さんは言う。「収入もなく、前に進もうにも進めない。自立と言われても、何も考えられない」
南三陸町歌津の仮設住宅。妻ら家族7人で暮らす阿部清さん(76)は「車がないから、どこへ行くにも困る」とこぼす。
週に2日、仮設住宅と登米市郊外のスーパーを結ぶ無料バスが出ているが、スーパーで買えるのは食品程度。衣類などを買う際は、市内に住む親類の車で、店舗が多い同市中心部まで連れて行ってもらうことが多い。
「仮設に入っても、みんなの世話になり、迷惑を掛けながら暮らしている」。阿部さんは、すまなそうな顔を見せた。
登校する綾女さんを抱いて表に出る理恵さん。玄関の段差ひとつにも注意が必要だ=20日午前、東松島市大塩
河北新報