◆熊本・森田家で
◇バリアは心の中にある
熊本市城南町の森田典子さん(55)がデイサービスに通うようになったのは、交通事故で首から下が不自由になって3年目。そこで再会した幼なじみの母親が言った「同情はしない」という言葉に勇気をもらい、少しずつ世界を広げていった。
「最初は母が風邪をひいて寝込んだけん、ヘルパーさんに言われて仕方なく行ったんですよ。でも行ってみると何てことなくて。昔描いていた絵をそこでまた習いだしたりしました。それで勇気が出て、娘が中学生の時のPTA仲間の集まりに思い切って出かけたんです。そしたら、みんな驚くこともなく自然に迎えてくれて。その翌年、私の高校の同窓会に行ったのも大きかったですね。男性も一緒だったから、車いすも抱えてくれるし。地下に行こうが2階に行こうが、男の子たちが僕が持つけんって言ってね。みんな優しくて……。それからはもう、誰に会おうがへっちゃらになりました」
惨めな姿をさらしたくないと、閉じこもって誰にも会おうとしなかったのは、空に飛び立つ前のさなぎの期間だったのかもしれない。夫の秀治(ひではる)さん(58)や一人娘の綾香さん、母親の緒方巳喜子(みきこ)さんらが守る繭の中で急(せ)かされることなく十分にさなぎの時期を送った典子さんは、外の世界の人々の温もりに促され、ついに繭を出て羽化する時を迎えたのだ。
事故から5年後の01年9月、典子さんは綾香さんとともにグアム旅行に出かけた。デイサービスに集った仲間と「死ぬまでに1回は海外に行きたいね」と話していると、訪問看護に来ていた看護師が「私も一緒に行くから、行こうよ」と背中を押してくれたのだ。障害者の旅行を専門に扱う旅行社に申し込み、参加者が典子さんの家に集まっては旅行中の心配事を出し合い、それを一つずつ解消していく形で準備を進めていった。
「その準備中に9・11の同時多発テロが起きちゃって。こういう時だからキャンセルしてもキャンセル料は要らないよと言われたけど、みんな行くって言いはって。多分みんな、旅行できるならどうなってもいいって思ってたんじゃないかな」
典子さんはその旅で思わぬ経験をした。自由行動の日に特殊な器具を着けて海に潜ったのだ。
「インストラクターに『どうしたの』って聞かれて、首の骨を折ったと言うと、耳抜きができれば潜れるよって。それで練習したら両方の手で鼻を挟んで耳抜きできたんです。まさか泳ぐなんて思ってもいなかったから、水着を持っていってなくて。着てるのはほら、プッ、娘の水着。車いすに乗ってることなんか忘れてました。なあんだ、あきらめなければ、できないことなんて何もないんだって思いましたね」
自信をつけた典子さんは翌年、今度はボランティア団体が企画する現地集合のハワイ・バリアフリー検証の旅に綾香さんと2人だけで参加した。そこでの体験はバリアとは何なのかを2人に考えさせる契機になった。
綾香さんが言う。
「ハワイでご飯食べた時に伊勢エビが出たんですよ。で、持ってきた人が身をむしり始めたんです。母の手が不自由だと分かった瞬間に。むしりましょうかとか何にも言わないの。すごいなあって思いましたね。もうレベルが違うって」
典子さんが続ける。
「手が使えない人にはそうしてあげるのが当たり前なんよね。バスに乗る時もみんなさーっと手を貸してくれて。道は基本的にバリアフリーだけど、段差があっても通りすがりの人が来て抱えてやんなさったね。それも芸能人の抱えて歩くごと、平行に抱えてくれるけん怖くないんですよ」
一連の経験から典子さんが得たのは「バリアは心の中にある」という確信だ。それは自分自身にも、周囲や社会の人たちにも当てはまる。
「物理的なバリアがあっても、どうにでもできますもんね。人の心にバリアさえなければ」
毎日新聞 2011年6月23日 地方版
◇バリアは心の中にある
熊本市城南町の森田典子さん(55)がデイサービスに通うようになったのは、交通事故で首から下が不自由になって3年目。そこで再会した幼なじみの母親が言った「同情はしない」という言葉に勇気をもらい、少しずつ世界を広げていった。
「最初は母が風邪をひいて寝込んだけん、ヘルパーさんに言われて仕方なく行ったんですよ。でも行ってみると何てことなくて。昔描いていた絵をそこでまた習いだしたりしました。それで勇気が出て、娘が中学生の時のPTA仲間の集まりに思い切って出かけたんです。そしたら、みんな驚くこともなく自然に迎えてくれて。その翌年、私の高校の同窓会に行ったのも大きかったですね。男性も一緒だったから、車いすも抱えてくれるし。地下に行こうが2階に行こうが、男の子たちが僕が持つけんって言ってね。みんな優しくて……。それからはもう、誰に会おうがへっちゃらになりました」
惨めな姿をさらしたくないと、閉じこもって誰にも会おうとしなかったのは、空に飛び立つ前のさなぎの期間だったのかもしれない。夫の秀治(ひではる)さん(58)や一人娘の綾香さん、母親の緒方巳喜子(みきこ)さんらが守る繭の中で急(せ)かされることなく十分にさなぎの時期を送った典子さんは、外の世界の人々の温もりに促され、ついに繭を出て羽化する時を迎えたのだ。
事故から5年後の01年9月、典子さんは綾香さんとともにグアム旅行に出かけた。デイサービスに集った仲間と「死ぬまでに1回は海外に行きたいね」と話していると、訪問看護に来ていた看護師が「私も一緒に行くから、行こうよ」と背中を押してくれたのだ。障害者の旅行を専門に扱う旅行社に申し込み、参加者が典子さんの家に集まっては旅行中の心配事を出し合い、それを一つずつ解消していく形で準備を進めていった。
「その準備中に9・11の同時多発テロが起きちゃって。こういう時だからキャンセルしてもキャンセル料は要らないよと言われたけど、みんな行くって言いはって。多分みんな、旅行できるならどうなってもいいって思ってたんじゃないかな」
典子さんはその旅で思わぬ経験をした。自由行動の日に特殊な器具を着けて海に潜ったのだ。
「インストラクターに『どうしたの』って聞かれて、首の骨を折ったと言うと、耳抜きができれば潜れるよって。それで練習したら両方の手で鼻を挟んで耳抜きできたんです。まさか泳ぐなんて思ってもいなかったから、水着を持っていってなくて。着てるのはほら、プッ、娘の水着。車いすに乗ってることなんか忘れてました。なあんだ、あきらめなければ、できないことなんて何もないんだって思いましたね」
自信をつけた典子さんは翌年、今度はボランティア団体が企画する現地集合のハワイ・バリアフリー検証の旅に綾香さんと2人だけで参加した。そこでの体験はバリアとは何なのかを2人に考えさせる契機になった。
綾香さんが言う。
「ハワイでご飯食べた時に伊勢エビが出たんですよ。で、持ってきた人が身をむしり始めたんです。母の手が不自由だと分かった瞬間に。むしりましょうかとか何にも言わないの。すごいなあって思いましたね。もうレベルが違うって」
典子さんが続ける。
「手が使えない人にはそうしてあげるのが当たり前なんよね。バスに乗る時もみんなさーっと手を貸してくれて。道は基本的にバリアフリーだけど、段差があっても通りすがりの人が来て抱えてやんなさったね。それも芸能人の抱えて歩くごと、平行に抱えてくれるけん怖くないんですよ」
一連の経験から典子さんが得たのは「バリアは心の中にある」という確信だ。それは自分自身にも、周囲や社会の人たちにも当てはまる。
「物理的なバリアがあっても、どうにでもできますもんね。人の心にバリアさえなければ」
毎日新聞 2011年6月23日 地方版