ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

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2011年06月24日 01時51分59秒 | 障害者の自立
 ◆熊本・森田家で

 ◇バリアは心の中にある
 熊本市城南町の森田典子さん(55)がデイサービスに通うようになったのは、交通事故で首から下が不自由になって3年目。そこで再会した幼なじみの母親が言った「同情はしない」という言葉に勇気をもらい、少しずつ世界を広げていった。

 「最初は母が風邪をひいて寝込んだけん、ヘルパーさんに言われて仕方なく行ったんですよ。でも行ってみると何てことなくて。昔描いていた絵をそこでまた習いだしたりしました。それで勇気が出て、娘が中学生の時のPTA仲間の集まりに思い切って出かけたんです。そしたら、みんな驚くこともなく自然に迎えてくれて。その翌年、私の高校の同窓会に行ったのも大きかったですね。男性も一緒だったから、車いすも抱えてくれるし。地下に行こうが2階に行こうが、男の子たちが僕が持つけんって言ってね。みんな優しくて……。それからはもう、誰に会おうがへっちゃらになりました」

 惨めな姿をさらしたくないと、閉じこもって誰にも会おうとしなかったのは、空に飛び立つ前のさなぎの期間だったのかもしれない。夫の秀治(ひではる)さん(58)や一人娘の綾香さん、母親の緒方巳喜子(みきこ)さんらが守る繭の中で急(せ)かされることなく十分にさなぎの時期を送った典子さんは、外の世界の人々の温もりに促され、ついに繭を出て羽化する時を迎えたのだ。

 事故から5年後の01年9月、典子さんは綾香さんとともにグアム旅行に出かけた。デイサービスに集った仲間と「死ぬまでに1回は海外に行きたいね」と話していると、訪問看護に来ていた看護師が「私も一緒に行くから、行こうよ」と背中を押してくれたのだ。障害者の旅行を専門に扱う旅行社に申し込み、参加者が典子さんの家に集まっては旅行中の心配事を出し合い、それを一つずつ解消していく形で準備を進めていった。

 「その準備中に9・11の同時多発テロが起きちゃって。こういう時だからキャンセルしてもキャンセル料は要らないよと言われたけど、みんな行くって言いはって。多分みんな、旅行できるならどうなってもいいって思ってたんじゃないかな」

 典子さんはその旅で思わぬ経験をした。自由行動の日に特殊な器具を着けて海に潜ったのだ。

 「インストラクターに『どうしたの』って聞かれて、首の骨を折ったと言うと、耳抜きができれば潜れるよって。それで練習したら両方の手で鼻を挟んで耳抜きできたんです。まさか泳ぐなんて思ってもいなかったから、水着を持っていってなくて。着てるのはほら、プッ、娘の水着。車いすに乗ってることなんか忘れてました。なあんだ、あきらめなければ、できないことなんて何もないんだって思いましたね」

 自信をつけた典子さんは翌年、今度はボランティア団体が企画する現地集合のハワイ・バリアフリー検証の旅に綾香さんと2人だけで参加した。そこでの体験はバリアとは何なのかを2人に考えさせる契機になった。

 綾香さんが言う。

 「ハワイでご飯食べた時に伊勢エビが出たんですよ。で、持ってきた人が身をむしり始めたんです。母の手が不自由だと分かった瞬間に。むしりましょうかとか何にも言わないの。すごいなあって思いましたね。もうレベルが違うって」

 典子さんが続ける。

 「手が使えない人にはそうしてあげるのが当たり前なんよね。バスに乗る時もみんなさーっと手を貸してくれて。道は基本的にバリアフリーだけど、段差があっても通りすがりの人が来て抱えてやんなさったね。それも芸能人の抱えて歩くごと、平行に抱えてくれるけん怖くないんですよ」

 一連の経験から典子さんが得たのは「バリアは心の中にある」という確信だ。それは自分自身にも、周囲や社会の人たちにも当てはまる。

 「物理的なバリアがあっても、どうにでもできますもんね。人の心にバリアさえなければ」

毎日新聞 2011年6月23日 地方版


仮設住宅孤独死防止、病状などデータベース化…岩手

2011年06月24日 01時49分30秒 | 障害者の自立
 沿岸被災地で高齢者の病状悪化や孤独死を防ごうと、岩手県は仮設住宅などの住民の病状や通院歴をデータベース化する方針を固めた。市町村と情報を共有することで、被災地に必要な医療・介護チームを効率的に派遣できるようになるほか病院間連携もスムーズになる。県によると、津波で大きな被害を受けた東北の3県では、初の取り組み。

 対象となるのは、仮設住宅や被災地の自宅で暮らす高齢者や障害者ら在宅支援が必要な人。独り暮らしはもちろん、家族と同居の場合も含む。データベース化する項目は、住所、氏名、病状、通院歴などで、さらに市町村と協議を進め、服用薬や既往症などより詳細な項目も含めるか検討する。

 メリットは、検索すれば治療に必要な情報が把握できること。避難所から仮設住宅、親類宅などに移って担当保健師が代わった場合、細かな引き継ぎがなくとも高齢者の状態を把握できる。

 現在、沿岸市町村の保健師がデータの聞き取り作業を進めている。県は、仮設住宅への入居が完了する7月中をめどに、データを県に提供するよう求めている。

 1995年の阪神大震災では、仮設住宅に入居した高齢者を中心に200人以上が孤独死した。県によると、21日現在で約5500世帯が仮設住宅に入居しており、うち65歳以上の独り暮らしは少なくとも約100人いるとみられる。

 県保健福祉企画室は「データベース化で息の長い支援をしていく」と話している。

(2011年6月23日 読売新聞)


整備検討委、27日に発足 本県初の高等特別支援学校 委員に保護者ら12人

2011年06月24日 01時46分38秒 | 障害者の自立
 軽度の知的障害のある生徒の職業教育を行う県内初の高等特別支援学校の設置に向け、県教委は学識経験者らによる「高等特別支援学校整備検討委員会」を27日に発足させ、初会合を開く。委員は計12人で、障害児の保護者も含まれる。学校の基本理念や教育内容、規模、候補地などについて検討し、県が本年度中に策定する整備基本計画に反映させる方針。

 県教委の「とちぎ教育振興ビジョン」に検討課題として盛り込まれてから10年。高等特別支援学校の具体的な議論がいよいよ始まる。

 12人の委員は大学教授、県議、学校長のほか障害者雇用企業、障害者就労支援団体、保護者団体の代表らを予定しており、教育長が委嘱する。

 任期は2012年3月末まで。検討委は公開で行われ、先進地の視察なども行う。検討委での意見集約を踏まえた上で、県が整備基本計画を決定する。

 高等特別支援学校の整備は、福田富一知事の公約でもあり、県の重点戦略「新とちぎ元気プラン」(2011~15年)にも明記された。5年以内の開校がめどとなる。

 特別支援学校の高等部が独立した学校で、主に中学の特別支援学級に通う生徒らの進路の一つとして期待されている。関東では本県だけが未設置だった。

下野新聞 -

発達障害 理解して 保護者を対象とした講演会 小山

2011年06月24日 01時44分05秒 | 障害者の自立
 【小山】主に幼児・児童期の子を持つ保護者を対象とした講演会「発達障害への理解と支援」が22日、市中央公民館で開かれた。

 県家庭教育オピニオンリーダー連合会小山市支部「ポケットの会」(青木愛会長)が主催。県発達障害者100+ 件支援センター「ふぉーゆう」主査(心理職)の小栗友美子さんが講師を務めた。

 小栗さんは学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症の特性などを紹介。その上で「発達障害かどうかが分かる心理検査や血液検査があるわけではない。乳幼児期にさかのぼった生育歴の確認と現状の把握が大切」とした。

 発達障害児に対する支援については、物事を具体的に伝える必要性を述べたほか、「一人一人の子どもが持っている強みを生かして、できることを認めてあげてほしい」と呼び掛けた。

下野新聞

東日本大震災:視覚障害の夫婦孤立 福島・南相馬から土地勘ない神戸へ避難 /兵庫

2011年06月24日 01時40分44秒 | 障害者の自立
 ◇情報取得や外出困難 「2人でいるのに寂しい」

 東日本大震災による福島第1原発事故で福島県南相馬市から神戸に避難している西村隆さん(54)、恵美子さん夫婦は、共に視覚障害を持つ。避難してから3カ月近くになるが、土地勘のない神戸で夫婦は外出もままならない日々を送り、「2人でいるのに寂しい」と漏らす。必要な生活情報を得るのも難しく、障害を抱える被災者に対する支援のあり方が、改めて課題として浮かび上がっている。

 西村さん夫婦は、視覚障害1級の障害者手帳を持つ。鍼灸(しんきゅう)師の資格があり、南相馬市でマッサージ治療院を経営していた。3月11日、店舗を兼ねた自宅では、水道とガスが止まった。翌日、冷蔵庫にあった水やお茶もなくなってきた。外から給水を知らせるアナウンスが聞こえたが、道路の被害状況が分からないため出られず、水をもらいに行けなかった。この時は、顔見知りのヘルパー2人が食べ物と水を持ってきてくれて、しのげたという。

 同市にある隆さんの実家は津波に流された。実家で1人暮らししていた母親(85)も避難したため隆さんが付き添い、一時は夫婦別々の避難生活を送っていた。宍粟市に住む長女の勧めで4月に神戸市西区の市営住宅に入居、再び夫婦一緒に暮らすことができるようになった。

 しかし、神戸での生活は困難が絶えない。神戸市から生活情報が届くが、文書が読めない。ラジオを聞くが、義援金などの情報は聞こえてこない。南相馬市の社会福祉協議会に電話して、情報を得るのが日課となっている。

 勝手が分からない土地では出歩くこともできず、現在はヘルパーに付き添ってもらって買い物や散歩ができるのは週数時間だけ。夫婦で手をつないで街を歩いた日々が懐かしい。南相馬市では普段、治療院で客と世間話をするのが当たり前だったが、今は話し相手もいない。

 隆さんは「このままでは正直、おかしくなりそうなんです。2人でいるのに寂しい。被災して日常生活がさらに困難になる視覚障害者だからなのかもしれないですね」と下を向く。南相馬市では、避難していた住民が徐々に戻りつつあるが、「介助が必要な自分たちが帰ると、負担をかけてしまう」とも話す。

 ◇必要なサービス申請を

 神戸市によると、障害者手帳の交付を受ける人たち16人が東日本大震災で市内に避難している。

 身体障害者へのホームヘルパーや買い物、散歩に付き添うガイドヘルパー派遣などのサービスは地元自治体で発行されている受給者証が必要だが、津波で流されるなど紛失した場合でも、被災状況が確認できればサービスを停止しないようにしているという。

 しかし、西村さん夫婦のように、避難してきても土地勘がない視覚障害者が自由に外出することは困難だ。ガイドヘルパーは市が定める通常通りの月32時間と限られる。利用する事業所へも事前予約が必要だ。

 また、障害者にかかわらず、避難者への健康状態をチェックする保健師の訪問も1回限り。生活状況の把握はサービス申請時の聞き取りだけで、市は「生活するなかでサービス時間の拡大が必要なら、申請してもらいたい」と話している。

〔神戸版〕

毎日新聞 2011年6月23日 地方版