ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

手話辞典を14年ぶりに改訂

2011年06月13日 01時48分07秒 | 障害者の自立
手話で表現することばをイラストとともに解説している手話辞典が初めて改訂され、「インターネット」や「メタボリック症候群」といったおよそ2000のことばが追加されました。

この手話辞典は、全日本ろうあ連盟が平成9年に発行したもので、今回およそ2000のことばを追加して初めて改訂され、およそ1万のことばが収録されています。新たに追加されたのは、生活習慣の変化によって頻繁に使われるようになったことばや新たな医療用語、それに、スポーツの用語などです。例えば、「インターネット」は、小指を立てた右手を左手の握り拳の横で縦に1回転させる動作で表現するほか、「携帯電話」を表すには、人さし指を立てた右手を右耳にあてます。このほか、「IT」や「メタボリック症候群」「フットサル」といったことばの、手話での表現方法も記載されています。改訂に携わった日本手話研究所の高田英一所長は「より多くの人にこの辞典を利用してもらうことで、もっと手話が普及すれば、聴覚障害者のコミュニケーションの幅が広がる」と話しています。この手話辞典は全国の書店で販売されています。

NHK

視覚情報の充実必要 松山聾学校卒業生訴え

2011年06月13日 01時45分13秒 | 障害者の自立
 聴覚に障害のある筑波技術大(茨城県つくば市)2年原田佳奈さん(22)=松山市出身=が11日、同市文京町の愛媛大で、東日本大震災の被災体験を基に講演会を開き、市民ら約40人に電光掲示板やフラッシュライト(非常用照明)など、視覚による災害情報伝達の充実を訴えた。
 「NPOモコクラブ」(原田美藤代表)主催。佳奈さんは3月11日、大学の寮で過ごしていた際に被災。聴覚障害のため、インターネットや電光掲示板などの情報を頼りに避難したという。
 佳奈さんは手話で、「大学の電光掲示板で避難場所の呼び掛けがあった一方、フラッシュライトは災害直後、すぐに作動していなかった」と述べ、「(聴覚障害者にとって)光による伝達は注目しやすく効果も高い」と必要性を強調した。



愛媛新聞

ALS自宅闘病 愛が支え

2011年06月13日 01時39分27秒 | 障害者の自立
生きること共に楽しむ

 フランス文学者で学習院大名誉教授、篠沢秀夫さん(78)は、テレビのクイズ番組の解答者としても人気でした。

 2009年2月に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、自宅で闘病中です。介護するのは妻の礼子さん(70)。笑いが絶えない家庭ですが、病気をありのままに受け止めるには、覚悟と時間が必要だったと言います。

 今月初めの夫の誕生祝いはにぎやかでした。車いすに乗った夫とイタリア料理店に出かけ、教え子や縁のあった人たちで作る「コンビビ会」の方々が集まってくれたんです。コンビビとは、フランス語で「生きることを共に楽しむ」。夫は笑顔でいきいきとしていました。「できる範囲でもっと外出して、一緒に楽しい時間を過ごせればいいなあ」と改めて思いました。


 2008年頃からろれつが回らず、話し方が少し変だった。入れ歯が合わないのかと思って治療し、人間ドックにも行った。大学病院の神経内科を紹介され、09年1月に検査入院。正月に普段通り雑煮を食べた姿からは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSだと予想もしなかった。


出口がない
 「治療法がない」と説明する医師に、思わず「奇跡はないんですか」と尋ねました。答えは「誤診でない限り、ありません」。診断書の「進行性」という文字を消したくて消したくて。出口のない場所に閉じこめられた気持ちがしたんです。

 医師からは「将来、人工呼吸器をつけ、24時間介護をするようになれば、人手が6人必要」とも言われました。一緒に話を聞いた娘も私もショックでしたが、夫はひょうひょうとしているのです。心の奥には病気を認めたくない気持ちもあったのでしょうね。「検査、検査で病気にさせられた」とも言っていました。

 私は食欲が落ちて、眠れず、起きあがれない。うつ病のような状態になりました。

 夫は退院しましたが、その年の3月トイレで倒れました。呼吸をする筋肉が弱って酸素を体に取り入れられなくなっていたのです。人工呼吸器をつけるか決断を迫られました。

 一つ一つできないことが増え、それが次々に襲ってくるのです。落ち込む私に、娘が「ママにしっかりしてもらわなきゃ困る」と言いました。初孫を産んだばかりで、夫にも「おじいちゃまの記憶が残るまで生きていてほしい」と。それを聞き、大変なのはパパなんだから、私がめそめそしていちゃだめ、と覚悟を決めました。

 人工呼吸器をつけた夫を自宅で介護するにあたって、不安だったのは、たんの吸引です。自力でたんを出せないので、四六時中見守り、細い管で取り除かなければなりません。怖くて正直に「自信がありません」と言った私に、主治医が「それは愛です、愛です、愛です」と繰り返しました。病院に泊まり込んで看護の様子を見ました。娘や息子も吸引の練習をして、7月に家に戻りました。


 秀夫さんに礼子さんの介護を聞くと、筆談で「家内の介護は、親切、丁寧、徹底的です。『愛、愛、愛、生命力、生命力』と心に叫びながら、たんを取ってもらいます」と答えた。朗らかな礼子さんの笑い声を聞くと「しあわせ感がみなぎります」とも。


家の中が公園
 退院当初は、普通に食事をしていましたが、今はミキサー食。好物のうなぎもミキサーにかけて出します。介助なしに歩ける距離もだんだんと短くなりました。一つできなくなるたびに一瞬落ち込みますが、くよくよせず、1日でも長く今の状態を維持して、一緒に楽しく暮らせればと思います。もう少々のトラブルには動じませんよ。

 介護保険の要介護度は5。障害者自立支援法の福祉サービスも利用しています。昨春から両方の制度で看護師やヘルパーの方々に来てもらっているので、家の中が公園かと思うほど、しょっちゅう人が出入りしています。安心して夜眠れるようになりました。


 秀夫さんはパソコンで闘病の心境を書いた「命尽くるとも」を執筆。フランス文学の翻訳にも取り組む。


 病を得ても、夫は人や社会とのつながりを保ちたいのです。「明るい はみ出し」と題した自伝も書きました。楽天家の夫にのんきな私、お互いに少し世間離れして、はみ出しているのかもしれませんね。パパがいてくれるだけでありがたいと思っています。(聞き手・大森亜紀)

 しのざわ・れいこ 1940年埼玉県生まれ。学習院大仏文科卒。同大の副手をしていた時に、非常勤講師だった秀夫さんと出会う。65年に結婚。児玉清さん、黒柳徹子さんら約200人の友人らが秀夫さんへ応援メッセージを寄せ、今月出版された本「奇跡を願って」(アートコミュニケーション)を監修した。

 ◎取材を終えて 「そうよね、パパ」と礼子さんが問いかけると、うん、うんと秀夫さんがうなずく。取材中に何度もそんな場面があった。闘病について秀夫さんに聞くと、「『こうならなければよかった』など考えていたらやり切れない」。だから「古代の心で、今の姿を楽しむ」。生まれた場所でおおらかに暮らした昔の人のように、ありのままを味わう心境という。試練の中でも、分かち合い、理解しあえる夫婦の形を教えてもらった。


「会話は筆談です。過去の音声録音からパソコンを使って声を再現する計画もあって、楽しみにしているんです」と話す礼子さん(左)と秀夫さん

(2011年6月12日 読売新聞)


高齢者の急病時に迅速対応へ、7月から医療情報キット配布/綾瀬市

2011年06月13日 01時34分04秒 | 障害者の自立
 1人暮らしの高齢者が体調を崩した際に、迅速な救命措置につなげるため、綾瀬市は7月中旬から「救急医療情報キット」を配布する。市内約1500人の65歳以上を対象にするもので、今後は、老老介護を行っている世帯などにも広げることを検討する。

 キットは、円筒形のプラスチックケースに、ステッカーや書類などを入れたもの。このうち、「医療情報用紙」には、市消防などとも話し合いながら、かかりつけの医療機関や服用している薬、アレルギーの有無など、救急処置に必要な情報記入欄を盛り込んだ。

 狙いは、高齢者が急病になった場合に、駆け付けた救急隊員らがキットで持病などを把握し、素早い対応をしやすくすること。近年、高齢者が夏場に熱中症にかかるケースも増えており、暑さが厳しくなる前に配る予定だという。

 民生委員が各世帯を回って配布し、書き入れるのが難しい人には、代わりに記入。その後、ドアの内側と保管場所の冷蔵庫に、ステッカーを貼って目印代わりにする。

 市は今後、運用状況などを参考にし、障害者100+ 件らを対象に含めることも検討していく。問い合わせは、市高齢介護課電話0467(70)5616。


65歳以上の1人暮らしの高齢者を対象に配布する「救急医療情報キット」

カナロコ(神奈川新聞) -

義手剣士が西日本大会

2011年06月13日 01時29分56秒 | 障害者の自立
岡山の難波さん きょう高知で

 7年前の事故で利き腕の右手を失った岡山市北区の剣道家、難波弘憲さん(37)(五段)が12日、高知市で開かれる第50回西日本勤労者剣道大会に出場し、事故後初の勝利を目指す。重さ3キロの義手を付け、教え子に打ち込んでもらって鍛錬を積み、3年前には念願の道場主となった。剣道には障害者大会はなく、健常者と対等に戦わねばならないが、「相手に遠慮されるのは嫌。果敢に攻めたい」と闘志を燃やす。(大舘司)

 難波さんは小学2年で剣道を始め、強豪の鹿屋(かのや)体育大(鹿児島県)を卒業。帰郷し、働きながら岡山市の道場で子どもたちを教えていた2004年10月、仕事中に右手を印刷機に挟み、手首から先を失った。箸も満足に持てず、「剣道どころか、どうやって生きていけば」と病室で自問した。

 再起のきっかけは教え子の一言だった。当時、小中学生の大学生森下莉圭(りか)さん(19)と弟の高校2年璃久(りく)さん(16)が見舞いに訪れ、「僕らが片方の腕になって稽古を助ける。先生、剣道を続けて」と励ましてくれた。「もう一度、この子たちと剣道がしたい」と誓った。

 3か月の入院後、打たれても壊れない鉄棒入りの義手を特注し、05年夏頃に剣道を再開。最初は思うように義手が動かず、小学生にも負けた。それでも「竹刀が持てる幸せをかみしめた。手加減してしまう仲間より、本気で打ち込む子どもたちの方がありがたかった」と振り返る。

 徹底して右肘を鍛え、実戦のコツをつかんだ。片腕の場合、素早く打ち込める上段の構えが有利だが、基本姿勢の中段にこだわる。指導する子どもたちの手本になるためだ。08年からは道場を岡山県倉敷市で主宰し、有段者の5%に満たない五段にも昇段。最近は「本当に義手ですか」と驚かれるまでになった。

 倉敷市での試合でもまだ未勝利。それでも「強い相手とぶつかりたい」と昨年、西日本の社会人約1000人が集う高知市の大会に出場、一本も取れなかったが、「今年こそ一勝を」と再挑戦する。「支えてくれた人のために勝つ。上を目指し続け、いつか教え子と大会に出たい」と言い切る。


剣道用に特注した義手を見せる難波さん。初勝利に向けて闘志を燃やす(岡山県倉敷市で)

(2011年6月12日 読売新聞)