ゴエモンのつぶやき

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人権と報道・西日本委員会‎

2011年08月11日 02時14分16秒 | 障害者の自立
人権と報道・西日本委員会  2001年5月に設置。西日本新聞の報道や取材によって名誉毀損(きそん)、プライバシー侵害などの人権問題が生じた場合、問題解決に向けて審議し、見解を示す。審議対象となる事案がない場合は人権にかかわる報道について自由に論議する。第3期委員会は09年10月発足。過去3回の会合は裁判員裁判、福岡県町村会汚職事件、認知症のお年寄りに爪切りケアを施した看護師が傷害罪に問われ、無罪確定に至るまでの報道などを検証した。
(2011年8月10日掲載)

人権と報道・西日本委員会 第3期第4回会合 東日本大震災と原発事故 生命と生存権、どう伝えたか
 西日本新聞の報道や取材をめぐる人権問題を検証する第三者機関「人権と報道・西日本委員会」の第3期委員による第4回会合は7月26日、福岡市・天神の本社で開かれた。委員会から土井政和委員長(九州大大学院法学研究院教授)、上野朗子委員(裁判員裁判を育てる市民の会会員)、前田恒善委員(福岡県弁護士会人権擁護委員会委員長)の3氏全員が出席、本社側からは井上裕之編集局長など6人が参加した。委員会からの提起により、東日本大震災と原子力発電所の事故、九州電力の「やらせメール」問題をテーマに、一連の報道が「生存権」や「知る権利」にどう向き合ったかを論議した。被災地取材班キャップを務めた長谷川彰編集委員が基調報告、続いて委員と本社側が意見を交わした。

 ●土井氏・正確な情報が信頼生む 上野氏・読者に想像力と共感を 前田氏・権力監視が人権を守る

 土井委員長 人権という観点から震災報道を考えると、生存権の保障や安否確認の問題がある。避難所で、生きていくことをいかに保障されているのか。阪神大震災と比較して、今回の震災では安否情報はどう報道され、被災者はどのように確認できたのか。食料や医療が提供できない状態も長く続いた。

 前田委員 震災でメディアは何を考え、以前とどう変わったのか。原発事故は人権に直結する。権力のチェック機能がしっかりしていないと人権は擁護できない。

 上野委員 震災当日は、横浜にいる長男と長女の無事を確認するのに手間取りやきもきした。関東でもこんなに心配なのに、東北の人を思うと居たたまれない。

 井上編集局長 阪神と比較して、今回は被害地域が広かった。福島の原発事故では、農水産物や肉の汚染、工業製品まで複合的に被害を受けた。主な取材班だけでこれまでに13回現地に派遣したが、取材は試行錯誤だ。しかも被害は現在進行形だ。

 土井委員長 病人や高齢者などの災害弱者はどうだったか。精神障害者の避難所での生活をルポして問題提起した。福祉避難所が九州にあまりない実態にまで話を広げたのは良かった。

 井上編集局長 震災の教訓を九州でどう生かすか、問題提起していく。

 柴田建哉報道センター部長 ある避難所がメディアに取り上げられると支援物資がどっと集まった。(取材を受けた人が迷惑を被る)メディアスクラムとは逆の状況だった。報道されないと置き去りにされるという現象も起きた。

 前田委員 地震発生直後に原発のメルトダウン(炉心溶融)や大量の放射性物質漏れの恐れを指摘した人もいたのに、報道されただろうか。原発問題は報道界のタブーなのでは。電力会社が広告を出している。政官財のトライアングルにメディアも組み込まれていなかったか。読者のためなら、書くべきことは書かないといけない。

 中川茂論説委員長 疲弊した地方にアメとムチで原発を押し付けることで都会の快適な暮らしが成り立つと、あらためて気付かされた。科学技術やシステムに依存しすぎて、安全神話を成長神話としてきた。日本の戦後そのものを考え直さないといけない。

 安武秀明報道センター長 震災を境に豊かさや科学技術などの価値観が変わった。その変化を九州から発信できないか。九州は東北と同じ「地方」だ。

 井上編集局長 東京電力や原子力安全・保安院の説明が原発事故直後と2カ月後には全く違った。事実を見抜いて書く力量がなかったメディアの弱さを反省する。

 土井委員長 政府や電力会社による情報操作の色彩が強い。放射性物質が大量に放出されたという情報はどこかにあったはずだ。

 井上編集局長 政府は「直ちに影響はない」と情報発信した。では、被害が長期間に及んだり、特定の地域ではどうなのか。政府は説明し過ぎると国民がパニックになると思い、メディアもそれに同調したと思う。

 土井委員長 震災当初、市民の行動は極めて冷静だった。正確な情報をきちんと伝えることで信頼が生まれる。心配しすぎて書けないようでは政府の情報操作にはまる。

 前田委員 安全だと報道したいという潜在的な方向性はなかったか。違うニュースソースに迫れなかったのか。

 土井委員長 原発の安全神話が崩れ、これまでとは観点が違って当然だ。平和的生存権は、地球規模の環境異変のなかで、いかに平和を保つかという権利だ。人間がコントロールできないものに依存するエネルギー政策には、批判的な見方を前提として持つ必要がある。

 上野委員 原発事故で当初政府が説明し報道された「安全」はうそだったと気づいた。新聞に書いてあることでも、本当なのか、誰が正しいことを話しているのかと疑うようになってしまった。

 中川論説委員長 原発を「許さない」「安全だ」の二者択一ではなく、リスクはあるがどれだけ安全を確保できるのか、信頼の相場観につながる情報を紹介したい。

 土井委員長 立地自治体や住民の意識の変化をフォローすると展望が見えてくるのではないか。自然エネルギーへの転換や埋蔵電力のことなど、エネルギー全体の供給バランスについて情報提供してほしい。

 相浦衞読者室長 避難所で暮らす男性が、補聴器のボリュームを上げると「周囲に迷惑を掛ける」と感じている話を掲載したところ、男性を気遣う読者の電話が相次いだ。具体的なことには読者の反応も大きい。

 土井委員長 社会の支援からこぼれ落ちる人がたくさんいる。社会システムとして、危機的な状況下でも受け皿を用意することが必要だ。

 上野委員 社説が繰り返し書いたように、九州の私たちには「想像力と共感」が必要だ。

 前田委員 九電の「やらせメール」報道には、何をいまさらという違和感がある。国民の原子力アレルギーを解消するため、国は1950年代からあの手この手でPRしてきた。今になってバッシングする報道機関も問題点を見過ごしてきた。反省すべきだ。

 柴田部長 今回は、例文まで添えてメールで指示したという裏付けが取れたので大きく報じた。

 井上編集局長 九電にも他の地場企業にも行政にも、不正を目こぼししたことはない。不祥事があれば厳しく書いてきた。

 前田委員 佐賀県玄海町長の親族企業が九電から工事を受注した問題を報じたが、福島の事故が起きる前に書くべきだった。

 中川論説委員長 原発問題では一部でジャーナリズムのもろさが出た。業界におもんぱかっているのでは、という疑念は読者にもあるだろう。「何が真実か」はメディアの重い宿題だ。今後は豊かな日本を続けるのか、違う価値の社会を目指すのか、大きな選択を迫られる。正確な情報を基に、読者とともに考えていきたい。

 井上編集局長 政府や行政、権力をチェックできないと人災や人権問題につながるということを肝に銘じたい。

 ●土井 政和氏

 ▼どい・まさかず 九州大大学院法学研究院教授。専門は刑事政策。研究テーマは刑法、更生保護、少年法など多岐に及ぶ。著書に「現代刑事政策」(共著)など。1952年、愛媛県生まれ。

 ●上野 朗子氏

 ▼うえの・あきこ 「市民の裁判員制度・つくろう会」福岡代表を経て「裁判員裁判を育てる市民の会」(事務局・東京)のスタッフ。福岡県志免町在住の主婦。1955年、長崎県生まれ。


 ●前田 恒善氏

 ▼まえだ・つねよし 福岡県弁護士会人権擁護委員会委員長。福岡法務局福岡人権擁護委員協議会会長、日弁連人権擁護委員会副委員長、九弁連人権擁護委員会委員長などを歴任。1959年、長崎県生まれ。


西日本新聞

ボランティア体験を共有 淀商生、小学生とイベント

2011年08月11日 02時11分00秒 | 障害者の自立
 夏休みの小学生に東日本大震災や防災について考えてもらおうと、大阪市西淀川区の市立淀商業高校福祉ボランティア科の生徒たちが8、9の両日、「やってみよう! ちょっと福祉体験」を開催。参加した小学生らと募金やチャリティーバザーなどを行った。

 このイベントは同科の生徒有志が毎年夏休みに、高齢者福祉や障害者福祉など学んだことを地元の小学生に伝えようと自主的に行っている活動。今年は東日本大震災を受け、1~3年の18人が防災の講話などの準備を進めてきた。

 その間、メンバーの3年の中野良真さん(17)ら5人が震災ボランティアに参加し、宮城県石巻市を訪問。この経験を踏まえ、イベントの内容に、現地報告や被災地支援などを加え、地元の柏里本通商店街で小学生と一緒に募金活動やチャリティーバザーを行った。

 「小学生には難しい防災の講話をクイズ形式にするなど工夫しました」と話す企画責任者で3年の秦ゆかりさん(17)。また、中野さんら現地でボランティアを体験した生徒は、自分の目で見た被災地の厳しい現状を話すとともに、現地の人の前向きな姿に自分たちが励まされたことなどを小学生に伝えた。

 地震のことを知りたくて参加したという姫里小6年の垣本紗穂さん(12)は「高校生の人がわかりやすく話してくれた。被災地は大変かもしれないけれどきっと町もきれいになると思うので頑張ってほしい」と話し、商店街を行く人に「被災地に支援をお願いします」と呼びかけていた。

 生徒たちは募金やバザーの収益金を大阪らしい商品に換え、宮城県栗原市の迫桜高校で福祉を学ぶ高校生に送り、現地の小学生や幼稚園児に届けてもらうことにしている。


【写真説明】商店街で東日本大震災被災地支援の募金を呼びかける小学生と淀商生=大阪市西淀川区

産経関西

別府「太陽の家」運営のスーパーオープン

2011年08月11日 02時07分47秒 | 障害者の自立
 別府市内竈の社会福祉法人「太陽の家」が運営するスーパー「サンストア」が移転・新築し、10日にオープンする。さらなる集客アップと、障害のある人が利用しやすいスーパーを目指す。

 移転先は「太陽の家」の敷地内の県道亀川鉄輪線に面した場所で、広域からの集客が期待できる。売り場面積は約950平方メートルと約50平方メートル広くなり、生鮮食品や酒類などの品ぞろえを充実させた。車椅子利用者に配慮し、通路の幅は最大1・8メートルと広め。多目的トイレは2カ所設置した。
 サンストアは1977年に開店。当時、障害者の雇用は製造業が中心だったが、サービス業にまで職域を拡大。車椅子利用者がレジ係として働くのは国内初だったという。
 2010年には就労継続支援A型の事業所となり、精神・知的・身体の各障害者18人が働くなど、障害者の雇用を進めている。
 太陽の家サンストア課の四ツ谷奈津子課長は「地域の皆さんに愛され、従業員が働きやすい店舗を目指したい」と話している。
 9日は地域住民を対象にプレオープンし、特価品を求めて多くの買い物客でにぎわった。10日は午前10時からオープンセールがある。


車椅子の利用者に配慮した造りに=9日

大分合同新聞

東日本大震災:取り残される被災者…11日で5カ月

2011年08月11日 02時03分57秒 | 障害者の自立
 東日本大震災から11日で5カ月--。東北の沿岸部では、避難所が閉鎖されて仮設住宅への入居が進む一方、取り残されている被災者がいる。福島では放射線におびえながらも動けない家族がいる。「これからの生活は……」「いつまでも家族と一緒にいたい」。生活再建に向けた苦悩と足踏みが続き、猛暑の被災地はいつもと違うお盆を迎える。

 ◇避難所閉鎖「これからが大変」…陸前高田
 岩手県陸前高田市はピーク時62カ所に約1万6000人が避難した。震災5カ月となる11日、市は最後に完成した仮設住宅の鍵を配り、12日には全避難所を閉鎖する予定だ。一時1000人近い人々が避難した市立第一中では10日朝、がらんとした体育館で残された約40人が最後の支援物資を受け取った。

 「とにかく長かった」。仮設住宅のガスの開栓を待ち、11日に引っ越すという中村一也さん(52)は振り返った。行方不明の母の遺体は見つからず、知的障害を持つ弟(49)と2人で暮らすことになる。苦笑して言う。

 「当たった仮設住宅を何度もキャンセルした人が先に入ったり、納得できないことも多かった。高齢者や障害者は優先と聞いていたのに、最後の最後になってしまうとは」

 千葉武晴さん(50)は「これからが大変」と話す。同居していた母と妹が行方不明、妹の娘は死亡し、一人になった。入居する仮設住宅は急勾配の坂の上にあり、キャンセルが相次いだ“物件”だ。鍵は7月末に受け取ったが、車が津波で流され、友人に引っ越し用トラックを融通してもらうのに時間がかかった。勤めていた石材店は会社ごと流されて倒産し、仕事も探さなくてはならない。

 「(知り合いがいない)仮設で一人になったら、酒におぼれるのではと不安だった。同じ仮設に仲間がいるから何とかなる」

 准看護師の女性(40)は、市内で最後に完成した仮設住宅に11、12日の2日間で引っ越す。看護師国家試験を受けるため、震災後も病院勤めの後、専門学校に通う生活を続けてきた。避難所に戻るのは夜遅く、足音を立てないよう気を使った。

 「そういう生活もやっと終わる。でも、共用のパソコンや空気清浄機がさっさと片付けられてしまい、最後は寂しいですね」【市川明代】

 ◇「生き残ったけれど…もう限界」…石巻
 震災から5カ月たっても避難所から出られない被災者も多い。

 「避難所暮らしはもう限界。早く仮設住宅に移りたい」。宮城県石巻市湊町の梶原ふみ子さん(67)は自宅から数百メートルの市立湊小で避難生活を送る。自宅は津波で壊れた。

 校舎3階の12畳ほどの「相談室」で、長女ひろみさん(45)ら女性3人が寝起きする。防虫のため夜は窓を閉め切り、室温は30度近くになる日もある。

 04年に心臓に人工弁を付ける手術をした。以来、不整脈や血圧を抑えたりする薬が欠かせない。今年4月中旬には、せきが止まらなくなり、気管支炎で約2週間入院した。

 震災直後は17人がすし詰めで、風邪を引いたり肺炎になったりする被災者もいた。室内で用を足すお年寄りもいて衛生状態も悪い。医師は、避難所に戻ることを止めた。「でも、ほかに行くところがない」

 湊小には簡易浴場があるが感染症が怖い。数キロ離れた親類宅で入浴させてもらうが、タクシーで片道2000円以上かかり、週1、2回が限界だ。普段はウエットティッシュで体を拭いている。

 仮設住宅に入りたくて、4月ごろから何度も抽選に参加したが当たらない。湊小の避難所は9月末で閉鎖される予定で、先行きに不安が募る。

 今年1月17日、約45年間連れ添った夫仲一(ちゅういち)さん(当時73歳)をがんで亡くした。震災は四十九日を終えた直後のことだった。

 「生き残ったけれど本当に大変」。お盆を前に自宅から持ち出した仲一さんの遺影に語りかけている。【岸達也】

 ◇ホットスポットに自宅…伊達
 「家族がばらばらになってしまう。また一緒に暮らせる日が来るのでしょうか」。放射線量が局地的に高い「ホットスポット」にあたるとして自宅が特定避難勧奨地点に指定された福島県伊達市の主婦、佐藤かおりさん(24)は思い悩む。

 指定当日の6月30日に長女凛(りん)ちゃんが生まれたばかり。今月7日にようやく、夫利昭さん(28)と凛ちゃんの3人で暮らせるアパートが福島市内で見つかった。だが、一家には寝たきりの祖母と、脳性まひの妹がいる。家族そろって避難できる場所は、まだ見つからない。

 佐藤さん一家は、両親と祖母里子さん(84)、妹ゆかりさん(21)、利昭さん、凛ちゃんの計7人とペットの犬猫4匹。ゆかりさんは施設に入居し、週末だけ帰宅する。

 佐藤さんは出産の2日後に自宅がホットスポットにあることを知った。凛ちゃんへの放射線の影響を心配し、市の調査には「避難を希望する」と答えた。足が不自由な里子さんやゆかりさんの介護のため、平屋またはアパート1階を希望。一家全員が近くに住む必要があると書き込んだ。

 しかし、市から紹介された避難先はどこも狭く、ペットの同居は不可。途方に暮れる佐藤さんに、両親は「生まれたばかりの子がいるのだから」と、凛ちゃんを連れて夫婦で避難するよう勧め、福島市のアパートも母景子さん(59)が探してきた。早ければ9月から入居できるが、佐藤さんの気持ちは晴れない。「他の家族を残して自分たちだけ避難していいのか」

 日中仕事に出る両親が里子さんの面倒をみるには限界がある。里子さんは1日おきにデイサービスを利用するが、タクシー運転手の父正光さん(61)の仕事は深夜に及ぶこともある。佐藤さんは「ばあちゃんが一人になる時間が必ず出てしまう。もし、何かあったら」と心配する。

 「子供を家族みんなの元で育てたかった。いつまでこんな状態が続くのか。この子が大きくなる頃には安心できるのでしょうか」。佐藤さんは胸に抱いた凛ちゃんを見つめた。


避難所生活を続ける梶原ふみ子さん。時間がたつのが早いからと夫仲一さんの遺影の横で手芸をする。後ろは長女ひろみさん=宮城県石巻市の湊小学校で2011年8月8日

毎日新聞

解放がもたらす可能性

2011年08月11日 02時00分28秒 | 障害者の自立
 イタリア映画「人生、ここにあり!」には考えさせられた。地域で自立して暮らそうと精神障害者らが床板張りの仕事に挑み、大成功するまでの奮闘ぶりを実話を基に描いている。

 驚いた。イタリアには精神科病院がない。一九七八年に法律で全廃を決め、二十年がかりで閉鎖した。精神障害者の多くは地域の就労生活協同組合で木工や陶芸、清掃などの作業をして自立の道を歩んでいる。

 廃絶を唱えたのは精神科医のフランコ・バザリアだ。「どの人間にだって正気と狂気がある。だから社会は狂気も受けいれるべきだ」。そんなふうに患者の解放を訴えた。スローガンは「自由こそ治療だ!」。医学的な意味合い以上に人間回復への思いが伝わる。

 さて、日本では障害者基本法が改正された。精神や身体、知的などの障害のあるなしにかかわらず、互いの違いを認め合って共生できる社会を実現するとうたった。大きな前進だ、と思ったらがっかりした。

 条文のあちこちに「可能な限り」とある。好きな地域で暮らす。医療や介護を身近な場所で受ける。障害のない子と一緒に学ぶ。せっかく明記された障害者のそんな権利も完全に保障されたわけではないのだ。

 映画の精神障害者らは木片を寄せ集めて芸術的な床板を作りだし、大ヒットする。日本の障害者が解放されて底力を出せば、この国は見違えるほど元気になるように思う。 

東京新聞