今年10周年を迎えた「なら犯罪被害者支援センター」。副理事長の島本郁子さんは、長年にわたって犯罪被害者の支援に関わってきた。活動の原点は、産婦人科医としての経験にあるという。被害者に対する社会の無関心や無知をただそうと、奔走し続けたエネルギーの源は何か。島本さんに聞いた。
Q 産婦人科医をされていますが、医師を志すきっかけは。
実家が祖父の代からの産婦人科医だったのもありますが、幼少期に体験した戦争の影響が大きいです。父が軍医として召集されたため、戦時中は母の実家がある大和郡山に住んでました。
住んでいた街は空襲に遭いませんでしたが、大阪から焼け出された人たちが、着の身着のままで避難してきました。そのあまりに気の毒な姿を見て、「お金やモノは残らない。最後に残るのは身に着けた技術だけ」と悟りました。産婦人科医になったのは、女の私なら女性の悩みを聞くこともできると思いました。
Q 犯罪被害者の支援に関わるようになったのは?
1979年から勤めていた県立医大の外来は、公立病院ということもあり、県警が捜査する性犯罪被害者の多くを診察しました。その中で、被害者に対する社会の無知や無関心に気付いたんです。
当時は被害者に対する公的援助はありませんでした。警察官が被害者を診察してくれる病院を一晩中歩いて探したり、犯行時に金銭を奪われた被害者のため、捜査員が診察費を立て替えたりすることも頻繁にありました。
「こんなのは、絶対におかしい」と2001年、仲間の法律家や医師、自治体の担当者の力を借りて「なら犯罪被害者支援センター」を作り、無料で受診できる産婦人科の整備を含め、被害者の回復を助ける環境づくりに取り組みました。被害者から電話で相談を受けたり、裁判に付き添いサポートをしたり。小さな事務所で始めた活動でしたが、周囲の協力で現在、スタッフ約70人の組織に発展しました。
Q 今後の目標は。
05年、県立医大に女性専用の外来を作り、更年期障害や家庭の問題からうつ症状になった女性の相談に応じています。カウンセリングの方法を身に着けようと、最新の精神医学について70歳から学び直し、今では、奈良大で講義を受け持つほどになりました。継続は力、技術は最後まで残る。これからも、女性の健康を守るための勉強を続けます。
【取材後記】
島本さんとお会いして、その若々しいたたずまいが印象的でした。柔和な笑顔にピンと伸びた背筋。明るい青色のワンピースがとても似合ってました。一方で、話題が犯罪のことに及ぶと、「あまりにも理不尽な現実を、変えていきたい」と力強いまなざしで語りました。被害者に寄り添い、見えてきた不条理な社会に向けた「怒り」を原動力に、情熱を燃やすこと。それが島本さんの原点なのだと感じました。
しまもと・いくこ 大和郡山市出身。1965年に県立医大大学院を卒業し、大阪大微生物研究所助手や米・テキサス州立大産婦人科学客員教授を経て、79年、県立医大産婦人科学助教授、96年に同大看護短期大教授。2001年に、なら犯罪被害者支援センター運営委員となり、09年から同副理事長。
(2011年8月14日 読売新聞)
Q 産婦人科医をされていますが、医師を志すきっかけは。
実家が祖父の代からの産婦人科医だったのもありますが、幼少期に体験した戦争の影響が大きいです。父が軍医として召集されたため、戦時中は母の実家がある大和郡山に住んでました。
住んでいた街は空襲に遭いませんでしたが、大阪から焼け出された人たちが、着の身着のままで避難してきました。そのあまりに気の毒な姿を見て、「お金やモノは残らない。最後に残るのは身に着けた技術だけ」と悟りました。産婦人科医になったのは、女の私なら女性の悩みを聞くこともできると思いました。
Q 犯罪被害者の支援に関わるようになったのは?
1979年から勤めていた県立医大の外来は、公立病院ということもあり、県警が捜査する性犯罪被害者の多くを診察しました。その中で、被害者に対する社会の無知や無関心に気付いたんです。
当時は被害者に対する公的援助はありませんでした。警察官が被害者を診察してくれる病院を一晩中歩いて探したり、犯行時に金銭を奪われた被害者のため、捜査員が診察費を立て替えたりすることも頻繁にありました。
「こんなのは、絶対におかしい」と2001年、仲間の法律家や医師、自治体の担当者の力を借りて「なら犯罪被害者支援センター」を作り、無料で受診できる産婦人科の整備を含め、被害者の回復を助ける環境づくりに取り組みました。被害者から電話で相談を受けたり、裁判に付き添いサポートをしたり。小さな事務所で始めた活動でしたが、周囲の協力で現在、スタッフ約70人の組織に発展しました。
Q 今後の目標は。
05年、県立医大に女性専用の外来を作り、更年期障害や家庭の問題からうつ症状になった女性の相談に応じています。カウンセリングの方法を身に着けようと、最新の精神医学について70歳から学び直し、今では、奈良大で講義を受け持つほどになりました。継続は力、技術は最後まで残る。これからも、女性の健康を守るための勉強を続けます。
【取材後記】
島本さんとお会いして、その若々しいたたずまいが印象的でした。柔和な笑顔にピンと伸びた背筋。明るい青色のワンピースがとても似合ってました。一方で、話題が犯罪のことに及ぶと、「あまりにも理不尽な現実を、変えていきたい」と力強いまなざしで語りました。被害者に寄り添い、見えてきた不条理な社会に向けた「怒り」を原動力に、情熱を燃やすこと。それが島本さんの原点なのだと感じました。
しまもと・いくこ 大和郡山市出身。1965年に県立医大大学院を卒業し、大阪大微生物研究所助手や米・テキサス州立大産婦人科学客員教授を経て、79年、県立医大産婦人科学助教授、96年に同大看護短期大教授。2001年に、なら犯罪被害者支援センター運営委員となり、09年から同副理事長。
(2011年8月14日 読売新聞)