被災地では障害者100+ 件も困っているはず―。神奈川工科大(厚木市下荻野)のサークルが宮城や岩手に修理した車いすを送り続けている。鈴木裕喜代表(4年)は「自分たちにできることはこれだけ」と気負いはない。
「KWR修理屋サークル」は2003年に結成。老人ホームへの出張修理をしたり、修理した車いすを日本社会福祉弘済会を通じて海外へ寄付するなどしている。
テレビで津波の光景を見た鈴木代表は「信じられなかった。今でも鮮明に記憶に残っている」とつぶやく。自身は青森出身で、サークルにも東北出身者が多くいるため、すぐに支援が決まった。サークルには04年の新潟県中越地震でも現地で活動した“伝統”があった。
福島県双葉町の人たちがいる埼玉県加須市の避難所を“アポなし訪問”。車いす不足を知り、持参した5台を預けてきた。その後は弘済会を通じて、岩手や宮城の福祉施設などからの要請があるたびに車いすを送った。その数は200台に上る。「時間がたつにつれて、必要なものも変わってくる」と細かいニーズも聞き、中学の部活動用ジャージーなども送った。
送った車いすの8割は、同じような支援をする団体からの寄付。4月下旬にはキャンパスでのボランティア活動を呼び掛けたところ、200人ほどが参加、物資の寄付や車いすの修理を手伝った。善志大樹さん(4年)は「みんな支援がしたかったんだと思う。その気持ちを無駄にしないようにしないと」と工具を握る手に周囲の思いも込める。
現在、宮城県女川町の津波の被害を受けた病院から、車いすの修理を依頼されている。潮につかった車輪はさび付き、シートには乾いた泥がこびり付いており、当時の惨状を連想させる。
「これまで修理した中で一番ひどい状態。でも、これを直せれば、どんなものも直せるようになると思う」と中西祐輝副代表(4年)。これまでの修理法はすべて先輩から教わった。いま新たな伝統に挑戦しようとしている。
カナロコ(神奈川新聞)
「KWR修理屋サークル」は2003年に結成。老人ホームへの出張修理をしたり、修理した車いすを日本社会福祉弘済会を通じて海外へ寄付するなどしている。
テレビで津波の光景を見た鈴木代表は「信じられなかった。今でも鮮明に記憶に残っている」とつぶやく。自身は青森出身で、サークルにも東北出身者が多くいるため、すぐに支援が決まった。サークルには04年の新潟県中越地震でも現地で活動した“伝統”があった。
福島県双葉町の人たちがいる埼玉県加須市の避難所を“アポなし訪問”。車いす不足を知り、持参した5台を預けてきた。その後は弘済会を通じて、岩手や宮城の福祉施設などからの要請があるたびに車いすを送った。その数は200台に上る。「時間がたつにつれて、必要なものも変わってくる」と細かいニーズも聞き、中学の部活動用ジャージーなども送った。
送った車いすの8割は、同じような支援をする団体からの寄付。4月下旬にはキャンパスでのボランティア活動を呼び掛けたところ、200人ほどが参加、物資の寄付や車いすの修理を手伝った。善志大樹さん(4年)は「みんな支援がしたかったんだと思う。その気持ちを無駄にしないようにしないと」と工具を握る手に周囲の思いも込める。
現在、宮城県女川町の津波の被害を受けた病院から、車いすの修理を依頼されている。潮につかった車輪はさび付き、シートには乾いた泥がこびり付いており、当時の惨状を連想させる。
「これまで修理した中で一番ひどい状態。でも、これを直せれば、どんなものも直せるようになると思う」と中西祐輝副代表(4年)。これまでの修理法はすべて先輩から教わった。いま新たな伝統に挑戦しようとしている。
カナロコ(神奈川新聞)