ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

神奈川工科大サークルが 被災地に向けて車いすの寄付や修理を継続/厚木

2011年08月20日 01時33分36秒 | 障害者の自立
 被災地では障害者100+ 件も困っているはず―。神奈川工科大(厚木市下荻野)のサークルが宮城や岩手に修理した車いすを送り続けている。鈴木裕喜代表(4年)は「自分たちにできることはこれだけ」と気負いはない。

 「KWR修理屋サークル」は2003年に結成。老人ホームへの出張修理をしたり、修理した車いすを日本社会福祉弘済会を通じて海外へ寄付するなどしている。

 テレビで津波の光景を見た鈴木代表は「信じられなかった。今でも鮮明に記憶に残っている」とつぶやく。自身は青森出身で、サークルにも東北出身者が多くいるため、すぐに支援が決まった。サークルには04年の新潟県中越地震でも現地で活動した“伝統”があった。

 福島県双葉町の人たちがいる埼玉県加須市の避難所を“アポなし訪問”。車いす不足を知り、持参した5台を預けてきた。その後は弘済会を通じて、岩手や宮城の福祉施設などからの要請があるたびに車いすを送った。その数は200台に上る。「時間がたつにつれて、必要なものも変わってくる」と細かいニーズも聞き、中学の部活動用ジャージーなども送った。

 送った車いすの8割は、同じような支援をする団体からの寄付。4月下旬にはキャンパスでのボランティア活動を呼び掛けたところ、200人ほどが参加、物資の寄付や車いすの修理を手伝った。善志大樹さん(4年)は「みんな支援がしたかったんだと思う。その気持ちを無駄にしないようにしないと」と工具を握る手に周囲の思いも込める。

 現在、宮城県女川町の津波の被害を受けた病院から、車いすの修理を依頼されている。潮につかった車輪はさび付き、シートには乾いた泥がこびり付いており、当時の惨状を連想させる。

 「これまで修理した中で一番ひどい状態。でも、これを直せれば、どんなものも直せるようになると思う」と中西祐輝副代表(4年)。これまでの修理法はすべて先輩から教わった。いま新たな伝統に挑戦しようとしている。

カナロコ(神奈川新聞)

「盲学校の甲子園」時津で開幕 梅木選手全力プレー

2011年08月20日 01時30分01秒 | 障害者の自立
グランドソフトボール  視覚障害者向けのソフトボール。基本ルールはソフトボールに準じるが、1チームは弱視と全盲の選手10人で編成。このうち、4人以上が全盲の選手でなければならない。投手は全盲、捕手は弱視の選手が務める。投手はハンドボールの球(直径約20センチ)をホームベースへと転がし、打者は転がる音を頼りにバットで打つ。
(2011年8月19日掲載)

 「盲学校の甲子園」とよばれる第26回全国盲学校野球グランドソフトボール大会(全国盲学校体育連盟主催)が18日、時津町のとぎつ海と緑の運動公園で開幕した。県からは主管校として県立盲学校が出場。高等部専攻科3年の梅木絵莉奈選手(20)も全力のプレーを披露した。

 梅木選手は先天的に視覚障害があり、光は感じるが細かい文字などは見えない。中学3年で故郷の五島市を離れ、県立盲学校に入学した。15歳の高等部普通科1年の時、先生に誘われて入部したが、それまでは、運動経験はほとんどなく自分は「運動音痴」だと思い込んでいたという。

 「男女関係なく、盲目の私にもできる球技があった」。次第に競技にのめり込んだ。アイシェード(目隠し)を着用する「全盲選手」として昨年の九州大会からレギュラーを勝ち取った。全盲選手がゴロを捕球するとアウトになり、守備が試合を大きく左右する。「守備で貢献したい」。自身最後の公式戦となる今大会に向けて、練習を重ねた。

 この日は左翼手として四国、東北の代表と対戦した予選リーグ2試合に出場。四国代表との1試合目で一度、見事にゴロをキャッチしたが、結果は2試合ともコールド負け。決勝トーナメントに進出はできず、有終の美を飾ることは出来なかった。だが試合後は終始晴れやかな表情だった。「みんなと部活を続けてきてよかった。大きな自信になった」

 今後は国家資格を取り、あん摩マッサージ指圧師になるのが目標だ。次のステージでも完全燃焼を誓う。

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 大会には全国の地区代表8校と主管校の県立盲学校の計9校が参加。19日に決勝トーナメントがあり優勝校が決まる。

西日本新聞

究・求・救・Q:自閉症の若者に専用職場 備前のNTN「夢工房」 /岡山

2011年08月20日 01時25分43秒 | 障害者の自立
 ◇制度の狭間で就職難 支援充実し協働実現

 県内の特別支援学校の昨年度卒業生の就職率は18・9%(全国平均23・6%)と低く、障害者の雇用拡大が大きな課題となっている。特に知能や身体への障害がない発達障害者は、高い知能指数(IQ)があるために自治体から療育手帳を発行してもらえない場合が多いという。障害者枠での就職ができず、自立して働くことが困難な状況に置かれている。

 将来を悲観した親が自閉症の子どもと心中する事件も起きる中、自閉症の若者たちを積極的に受け入れ、若者が主役となって働ける専用職場を設けた企業が備前市にある。ベアリング製造大手のNTNテクニカルサービス岡山事業所「夢工房」だ。県内外から自閉症児を抱える親や特別支援学校の先生らの視察が後を絶たず、関係者から大きな注目を浴びている。

 他企業の視察先で生き生きと働く自閉症の若者たちに衝撃を受けた会長が、06年に障害者の専用職場「夢工房」を設立した。現在は4人が働いている。

 自閉症者は集中力がずっと持続し、ルールを忠実に守る。このため製品を入れる段ボール箱を折りあげたり、社員手作りの支援ツール(補助器具)を使った袋がけなどの単純作業を任されている。同社の高津信部長は「彼らはひたむきで手抜きがない」と働きぶりを高く評価。作業のスピードが変わることなく働き続ける姿は、ほかの社員のモチベーションも高めているという。

 同社では作業がしやすいように各所で工夫を凝らした。作業内容や作業の進行状況を一目で分かるように表にまとめることで、落ち着いて仕事に集中できるようにした。想像することが苦手な自閉症者は、急に指示が変わると先を見通せなくなり、大きなストレスを抱えるからだ。

 夢工房ができてから社内の空気も変わり始めた。重度の知的障害を伴う自閉症の鳥羽哲平さん(23)は、社員食堂に行くたびに「こんにちは」とあいさつをしていた。当初は困惑する社員が多かったが、今は社員同士が積極的にあいさつをするようになり、明るい雰囲気になったという。

 自閉症者の就労問題に詳しく、視察に来た上岡一世・愛媛大学教育学部元教授は「自閉症の若者を受け入れる会社は少ない。受け入れても適切な支援がなく、職場に適応できていない」と嘆く。「NTNは会社の生産性を上げるために自閉症の子を雇用し、しかも深い理解と支援もある。会社のためにもなるし、働く彼らに生きがいも感じさせている点がほかにはない」と高く評価した。

 高津部長は「彼らは会社の中のお手本。お金に代えられない意識改革が起きている」と話し、「『働きたい』という気持ちさえあれば、障害があっても働ける。働きたい気持ちを持たすようなお手伝いを今後もしていきたい」と話した。

毎日新聞 2011年8月19日 地方版


障害ある人に夢を 義足ゴルファー古田さん

2011年08月20日 01時23分35秒 | 障害者の自立
障害者ゴルフの世界大会で3位に入賞した日本代表チーム。大分市の古田謙さん(左から2人目)は「世界の扉をたたく子どもたちが増えるよう、これからも頑張りたい」

 大会にはヨーロッパを中心に12カ国から13チームが出場。日本障害者ゴルフ協会は、これまでの戦績を基に、義足プレーヤーの古田さんら身体障害がある4人を代表に選んだ。
 2人が交互に打つフォアサム、2人が打ったいい方の球を生かすフォアボール、シングルス―の3種目があり、3日間計7ラウンドで競った。
 寒さや強風など悪天候が続く中、日本は初日8位と出遅れたが、2日目は古田さんらのフォアサムが72打で種目1位となり、3位に浮上。最終日にはシングルスに出場した古田さんの活躍もあり、3カ国での激しい3位争いを制した。
 「最大の勝因はチームワーク」と古田さん。関東に住むチームメートとは頻繁に連絡を取り合って、絆を深めた。「普段はライバルなだけに、技などを教え合うのは抵抗もあったが、大会に懸ける思いは皆強かった」という。
 9歳の時、事故で左脚を切断した。中
学時代にゴルフと出合い、競技歴は約30年。義足でのプレーは右足への負担が大きく、体のバランスを崩しやすいという。腰痛などにも悩まされるが、体の手入れに人一倍気を使い、仕事の傍ら努力を重ねてきた。日本選手権では4度優勝。遠征費の捻出といった苦労もあるが、米国での大会出場など世界への挑戦も続けている。
 古田さんは「会社の理解と協力も大きな力になった。障害がある人も夢を持ってゴルフを楽しめるよう、道を切り開いていきたい」と話している。


障害者ゴルフの世界大会で3位に入賞した日本代表チーム。大分市の古田謙さん(左から2人目)は「世界の扉をたたく子どもたちが増えるよう、これからも頑張りたい」

大分合同新聞

.県特別支援教育研究会:障害者と家族ら「愛情と友情注いで」 理解を呼びかけ /佐賀

2011年08月20日 01時18分22秒 | 障害者の自立
 障害のある子供たちの教育のあり方を考える県特別支援教育研究会の研修会が18日、小城市三日月町で開かれた。教員ら約250人が参加。高次脳機能障害のある夏秋あづささんや、聴覚障害者の家族らが登壇し、日常で感じる苦労や必要な支援について理解を呼びかけた。

 「心に寄り添った教育を目指して」がテーマのシンポジウム。難聴の息子と暮らす福田純子さん、難聴の兄を持つ吉田裕平さんも参加した。

 夏秋さんは人の名前を覚えにくいなど記憶障害を抱えるが「治っている」「短大卒でしょ」などと言われ、理解されずに悩んだことを紹介。福田さんは出産直後、息子に障害があることにショックを受けながらも、手話を交えてコミュニケーションを取ったり、難聴児の親の会を設立したりした経験を伝えた。

 吉田さんは兄との対話から「障害を持つ子供に対し『どうすべきだ』ばかりを言うのでなく、愛情と友情を注ぐことが大事と思う」と呼びかけた。

毎日新聞 2011年8月19日 地方版