高齢者に「長生きを」
「温かく気さくな方だった」「福祉の現場をしっかり理解されていた」。六日逝去された三笠宮寛仁さまは金沢の伝統文化に高い関心を示し、石川県内の障害者福祉施設もたびたび訪問していた。交流を深めた関係者からは悼む声が相次いだ。
寛仁さまは一九九四年に金沢市本多町の加賀友禅作家、毎田健治さん(71)の工房を訪問。信子夫人が友禅染を体験し、寛仁さまは熱心に見学した。毎田さんは「私にとって宝物のような思い出。ご回復を祈っていたのですが…」と声を落とした。
同年、開かれた「金沢菓子博」にも名誉総裁として参加。副総裁を務めた山出保・前金沢市長(80)は「『お菓子のまち』として金沢にも大変興味を持たれていた」と振り返り、「長い間闘病に耐えられ、回復を期待していたが…。ご冥福を祈りたい」と遺徳をしのんだ。
二〇〇九年には石川県穴水町の授産施設「いきいき」を訪問。指導員中前美登里さん(57)は「利用者の仕事を見て、『上手ですね』と声を掛けていただいた」と悼んだ。
〇七年五月には同市御影町のNPO法人「自立生活センター ハートいしかわ」が運営する通所施設を見学された。利用者一人一人に「ここでどんな役割を担っていますか」と質問。パソコンに向かっていた女性利用者に「何しているの」と尋ねると、女性は「パソコン」。寛仁さまが「見たら分かるよ」と言い、周囲はどっと笑いに包まれたという。
障害者福祉の現状を「自由からは程遠い」と憂い、「一人一人が自分の人生を楽しめるよう、いろんな経験をさせてあげてほしい」と語っていた。
須戸哲理事(61)は「障害者の現実を深く理解されていた。うちのような零細事業所には強い味方だと思っていた」としのんだ。
〇三年五月には同市扇町の知的障害者らの支援施設「それいけ仲間たちの家」を訪問。運営するNPO代表の沼沢千加さん(55)は「ニコニコされて温かい感じがした」と振り返る。あいさつ代わりにバッグに触ろうとした利用者を「勝手に手を入れちゃだめだよ」と優しくたしなめ、施設で作った織物のショルダーバッグを購入した。
当時と比べると機織りの技術も上がった。沼沢さんは「織物をまたお送りしようと考えていた。もう一度施設に来られたら、『前に進んだ』と思っていただけたのに」と肩を落とした。
一九九四年には同市北塚町の高齢者ケアハウス「あいびす」も来訪。運営する北伸福祉会の北本広吉理事長(87)によると、入所者の手をとって「長生きしてくださいね」と語られたという。
北本理事長は「福祉に理解があった方で、残念です」と言葉少なだった。
障害者のパソコンでの作業をご覧になる寛仁さま(中央奥)=2007年5月17日、金沢市御影町のハートワーキングセンターで
中日新聞 -2012年6月7日