東日本大震災では被災者があまりに多く、社会的弱者らのSOSは今も埋もれがち。特に知的障害や発達障害のある人とその家族は、偏見や無理解で追い詰められやすい。福祉や支援のネットワークから孤立しないよう、当事者の目線に立つことが求められている。
「障害者の子がいるからと、甘えや言い訳をしたくない」。福島県相馬市の吉田涼子さん(42)は、いずれも自閉症の長男(11)と次男(9つ)、長女(6つ)を育てながら誓う。以前、人から「障害があると何でも許される」と言われたからだ。毅然(きぜん)とした姿を見せることが、子の成長のためだと気を張る。そんな吉田さんに震災は試練を課した。
高台にある吉田さん宅は地震に耐え、津波の被害も免れた。夫の実家に一時避難するなど、被災直後の混乱期はしのいだが、環境の激変に途方に暮れた。
福島県の浜通り地域は、震災前から発達障害者に対する医療や福祉サービスが不足。吉田さんは隣の南相馬市で、民間の発達障害療育グループを頼っていた。それが原発事故の影響で活動を停止。子どもと向き合う負担が一気に増えた。
長女は市内の施設に預けたが、小学生の長男は次第に同級生との成長の差が広がり、トラブルが多発。次男もパニックを起こしやすい。疲弊する中、療育グループで一緒だった親や保育士との再会が救いだった。「発達障害の子は、良いところも悪いところも一人一人違う。その子に合った教育環境を、少しずつ整えたい」と前向きになれた。
被災から二年たち、あらためて疎外感を覚えることも。被災地で子ども支援のイベントはあるが、多くは障害児が参加しやすい配慮を欠く。「慰めや施しより、将来を担う子を教育する力をください。この地域を継続して支える専門の医療者を育ててください」
◇
昨夏、福島県いわき市に知的障害のある人らの作業所「ふたばの里・りんべるハウス」が開所した。作業所はもともと、原発事故で住民避難が続く双葉郡内にあった。散り散りに避難した障害者らに仲間と働く喜びを取り戻そうと、運営する社会福祉法人「希望の杜(もり)福祉会」が、空き施設を利用して始めた。
最初は八人で始めたが、県内外から徐々に集まり、現在は十九歳から六十代までの三十五人に増えた。顔なじみとテーブルを囲み、綿を使ったぬいぐるみ作りに励む。管理者の小磯貴美子さん(58)は「誰かがいないと、心配してくれる。お互いのことを皆で気遣う絆を感じます」と話す。
開所に尽力した同会の相談支援専門員・古市貴之さん(36)は、障害者と家族の避難先を一つ一つ訪ねた。自らも被災し、避難生活の身だ。「家族の状況はさまざま。同じ目線でどんなサポートが必要か考えています」。故郷へ戻るめどが立たない不安もあるが、福祉の糸を切らさず、結び続けていくつもりだ。
◆「普段からのつながりを」
被災地の障害者と家族の声なき声をどうすくい上げるか-。健常者中心で進む復興の陰に潜んでいる重い課題だ。
知的障害のある人や家族を支援する社会福祉法人・全日本手をつなぐ育成会(東京)によると、被災した岩手、宮城、福島三県の沿岸部では、福祉インフラが比較的乏しい。障害者や家族の希望をくみ取ることが十分できないため、訪問介護や相談支援などの利用が少ないという。
こうした福祉ネットワークが弱かった地域が被災。個人情報保護法も壁となり、同会は当初、支援を届けるために、福祉施設や避難所を回って調べる人海戦術に頼るしかなかった。同会事務局の室津大吾さんは「平時から福祉サービスを使ったり、親の会や障害者団体に参加したり、一つでも多くの人や団体とのつながりを持つことが大切」と強調。復興の過程で、必要な支援を求める際にも力になることができるという。
中日新聞-2013年3月14日
「障害者の子がいるからと、甘えや言い訳をしたくない」。福島県相馬市の吉田涼子さん(42)は、いずれも自閉症の長男(11)と次男(9つ)、長女(6つ)を育てながら誓う。以前、人から「障害があると何でも許される」と言われたからだ。毅然(きぜん)とした姿を見せることが、子の成長のためだと気を張る。そんな吉田さんに震災は試練を課した。
高台にある吉田さん宅は地震に耐え、津波の被害も免れた。夫の実家に一時避難するなど、被災直後の混乱期はしのいだが、環境の激変に途方に暮れた。
福島県の浜通り地域は、震災前から発達障害者に対する医療や福祉サービスが不足。吉田さんは隣の南相馬市で、民間の発達障害療育グループを頼っていた。それが原発事故の影響で活動を停止。子どもと向き合う負担が一気に増えた。
長女は市内の施設に預けたが、小学生の長男は次第に同級生との成長の差が広がり、トラブルが多発。次男もパニックを起こしやすい。疲弊する中、療育グループで一緒だった親や保育士との再会が救いだった。「発達障害の子は、良いところも悪いところも一人一人違う。その子に合った教育環境を、少しずつ整えたい」と前向きになれた。
被災から二年たち、あらためて疎外感を覚えることも。被災地で子ども支援のイベントはあるが、多くは障害児が参加しやすい配慮を欠く。「慰めや施しより、将来を担う子を教育する力をください。この地域を継続して支える専門の医療者を育ててください」
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昨夏、福島県いわき市に知的障害のある人らの作業所「ふたばの里・りんべるハウス」が開所した。作業所はもともと、原発事故で住民避難が続く双葉郡内にあった。散り散りに避難した障害者らに仲間と働く喜びを取り戻そうと、運営する社会福祉法人「希望の杜(もり)福祉会」が、空き施設を利用して始めた。
最初は八人で始めたが、県内外から徐々に集まり、現在は十九歳から六十代までの三十五人に増えた。顔なじみとテーブルを囲み、綿を使ったぬいぐるみ作りに励む。管理者の小磯貴美子さん(58)は「誰かがいないと、心配してくれる。お互いのことを皆で気遣う絆を感じます」と話す。
開所に尽力した同会の相談支援専門員・古市貴之さん(36)は、障害者と家族の避難先を一つ一つ訪ねた。自らも被災し、避難生活の身だ。「家族の状況はさまざま。同じ目線でどんなサポートが必要か考えています」。故郷へ戻るめどが立たない不安もあるが、福祉の糸を切らさず、結び続けていくつもりだ。
◆「普段からのつながりを」
被災地の障害者と家族の声なき声をどうすくい上げるか-。健常者中心で進む復興の陰に潜んでいる重い課題だ。
知的障害のある人や家族を支援する社会福祉法人・全日本手をつなぐ育成会(東京)によると、被災した岩手、宮城、福島三県の沿岸部では、福祉インフラが比較的乏しい。障害者や家族の希望をくみ取ることが十分できないため、訪問介護や相談支援などの利用が少ないという。
こうした福祉ネットワークが弱かった地域が被災。個人情報保護法も壁となり、同会は当初、支援を届けるために、福祉施設や避難所を回って調べる人海戦術に頼るしかなかった。同会事務局の室津大吾さんは「平時から福祉サービスを使ったり、親の会や障害者団体に参加したり、一つでも多くの人や団体とのつながりを持つことが大切」と強調。復興の過程で、必要な支援を求める際にも力になることができるという。
中日新聞-2013年3月14日