ゴエモンのつぶやき

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精神障害者保健福祉手帳

2013年07月30日 01時52分42秒 | 障害者の自立

精神障害者保健福祉手帳

 統合失調症などの精神疾患で生活に支障がある人を支援するための手帳。所得税や住民税の控除のほか、一部交通機関の運賃割引などが受けられる。厚生労働省によると、市町村などの窓口に医師の診断書などを提出し、都道府県と政令市が認めれば、障害の程度によって1~3級に区分された手帳が交付される。記載事項のモデルは厚労省の省令で定められている。

精神障害手帳 性別削除へ 厚労省、来年にも 性同一性障害に配慮 関係者 公的文書へ拡大期待

 厚生労働省が「精神障害者保健福祉手帳」の性別欄を2014年にも削除する方向で検討に入ったことが28日、同省などへの取材で分かった。性同一性障害(GID)の人の一部が所持しており、心と異なる性別の記載を苦痛に感じていることに配慮した。

 GIDの人らでつくる団体によると、マイノリティー(少数者)の苦痛に目を向け国がこうした文書から性別を削除するのは初めてとみられ、国所管の他の証明書や公文書にも広がることが期待される。厚労省によると、保健福祉手帳は精神疾患によって生活に支障が出ている人に交付される。GIDは精神疾患の一つとされるが、診断だけでは交付の対象とならない。

 手帳によって税の控除や一部交通機関の運賃割引などの支援を受けられるが、厚労省は「割引などは性別とは関係ない」と判断。今後省令の改正作業を進め、パブリックコメント(意見公募)などを経て都道府県と政令市が新しい手帳を交付する。

 厚労省などによると、保健福祉手帳は障害者手帳の一種で、昨年3月時点で所持者は約63万5千人。このうちGIDの人の数は分かっていないが、心に重い悩みを持ち続けた結果、別の精神疾患を発症するケースもあるという。

 GIDの人らでつくる「日本性同一性障害と共に生きる人々の会」(東京、山本蘭代表)は保健福祉手帳のほか、パスポート、健康保険証といった公的な証明書などの性別欄の削除や表記変更を国に求めている。ただ健康保険証は、性別が不明となることで治療に支障が出るとの指摘もある。

 同会によると、現在は手帳を提示する際、戸籍上の性別が明らかになる恐れがあるため、利用を控える人が多いという。

 研究者の調査を基にGIDの人は全国に約4万6千人いるとの推測もあるが、詳しい実態は分かっていない。

 障害者手帳には他に身体障害者手帳と知的障害者のための療育手帳がある。身体障害者手帳は省令で性別の記載を求めていないモデルが定められているが、一部の自治体では独自の判断で性別を記載しているケースもある。一方で療育手帳は厚労省の通知で性別欄のあるガイドラインを示しているが、記載の有無は自治体ごとに異なる。


 ▼性同一性障害(GID) 心理的な性と身体的な性が一致しない障害。自分の体を不快に思い、心の性に従って生きたいと望む。原因は未解明だが胎児期のホルモン異常などの説がある。治療法にはカウンセリングやホルモン療法、性別適合手術などがある。2004年施行の特例法で家庭裁判所に性別変更を請求できるようになり、12年までに約3600人が認められた。性別変更をした人はほとんどのケースで、証明書や公文書に性別の記載があることの苦痛から解放されるが、性別変更をしたと分かる記載がされる例などもある。


 ●指で隠す手帳の「男」

 「男」と書かれた手帳の記載を親指で隠す-。九州在住の派遣社員田中美咲さん=仮名、40代=は、そううつ病と解離性障害と診断され、精神障害者保健福祉手帳を交付された。心は女だが、戸籍上は男。手帳提示で運賃の割引や税の控除などの支援を受けられるが、性別を知られたくないという葛藤が付いて回る。

 「手帳を見せるのは、性同一性障害と告白すること」。肩を落として見つめた手帳には、長い髪に化粧をした写真が貼られている。性別欄には「男」。表紙を見るだけで済ませる人や、中の性別欄まで確認する人など提示を受ける側のチェック方法はまちまちだ。「気付かれるのが怖い」と利用を控えることもある。

 体に違和感を覚えたのは幼いころ。親に買ってもらったロボットや車のおもちゃで遊んでいても、自分が自分ではない感じだった。女の子向けのアニメを見て、人形で遊ぶ方が楽しかった。中学で丸刈りになった時は「死ぬほど嫌だった」。

 自分の体への不快感によるストレスに加え、家庭を顧みない親との対立などが原因で、数年前から精神科を受診。診療の中で性同一性障害の疑いがあると指摘された。

 ずっと気にしていた性別欄が手帳からなくなる見通しとなったことを知り、「少しでも周りを気にせずに暮らせるようになる」と笑顔を見せる。

 一方で、健康保険証やパスポートなど性別欄がある証明書は多い。「医療関係は削除は難しいと思う。でも、用途と関係がないものは記載をなくしてほしい」と訴えた。


 ●対応非常に早く評価

 ▼厚生労働省OBの中野雅至・兵庫県立大大学院教授(行政学)の話 今回の厚労省の動きは(ことし出された要望に対応したもので)非常に素早く評価できる。役所はさまざまな団体から陳情を受け付けているが、全てにすぐ対応することは困難だ。改めた後にも継続的な調査が必要で、医療や年金といった大きな制度を所管する厚労省はなおさら慎重になる。性同一性障害に限らず今後もさまざまなニーズをすくい上げるため、多様な人が意見表明できる機会を増やし、よりよい行政システムを構築する必要があるだろう。

西日本新聞-(2013年7月29日掲載)

「精神障害者手帳」から性別欄削除…厚労省方針

2013年07月30日 01時48分30秒 | 障害者の自立
 厚生労働省は「精神障害者保健福祉手帳」の様式を変更して、性別欄をなくす方針を固めた。

 来年にも様式変更を行う。

 性同一性障害の人から「提示の際に本来とは違う性別記載を見られるのが苦痛だ」として削除要望が出ていたのに応じた措置で、今後、省令を改正して自治体に通知する。

 手帳があると、税の減免やバス運賃の割引などが受けられる。同省によると、性同一性障害は精神障害の一つだが、医師の診断に基づき日常生活への支障の程度で判断されており、性同一性障害で必ず取得できるわけではない。同省では、「手帳は障害者支援のために発行しているので、配慮が必要と判断した」と説明している。

(2013年7月29日19時07分 読売新聞)

障害者アート:クラブに フジタさんの作品16点展示−−松江 /島根

2013年07月30日 01時46分16秒 | 障害者の自立
 チャレンジドアート(障害者アート)の作品を展示するイベントが28日、松江市末次町のクラブ「BLAST」で始まった。クラブを音楽だけでなく、さまざまなアーティストの表現の場としても開放しようという試みで、普段は週末の夜に若者でにぎわうスペースがギャラリーに装いを変えている。8月3日まで。

 イベントは「フジタヤスヒロ展 曼荼羅(まんだら)画の世界」。障害者が芸術活動を通じて収益を得ることを目指す出雲市の事業所「わんぱく大使館」に所属するフジタヤスヒロさん(42)のアクリル画の作品16点を紹介している。

 フジタさんは19歳の時の交通事故がきっかけで幻覚や幻聴に悩まされるようになったが、絵画と出会って才能が開花。本格的に始めてまだ4年だが、錦織良成監督の映画「渾身(こんしん)」のポスターの絵を手掛けるなど、注目を集めている。今回は初めての個展という。

 イベントは、事業所を運営する同市のNPO法人「サポートセンターどりーむ」とクラブが協力して実現した。クラブの共同経営者の1人、渡部真史さん(29)は「音楽も絵も同じアート。芸術の分野で頑張っている方を応援したい」と開催の意義を語る。

 正午〜午後7時。無料。問い合わせは同NPO(0853・62・4872)。

毎日新聞 2013年07月29日 地方版

障害者にも暮らしやすい復興を

2013年07月30日 01時43分09秒 | 障害者の自立
震災からの復興に向け障害者も暮らしやすい街づくりをアピールしようと、車いすで移動しながら行う要望活動がきょう陸前高田市をスタートしました。
きょうは「奇跡の一本松」前で出発式が行われ、障害者9人とボランティア11人が震災犠牲者へ黙とうを捧げた後、砂利道を苦労しながら車イスで移動し市役所に向かいました。市役所では陸前高田市在住の村上岩根さんが、戸羽太市長に要望書を提出。その後、意見交換が行われ「子育て中の母親や高齢者のためにもバリアフリーを訴えたい」といった意見が出されました。一行は要望活動を行いながら車いすで北上し、来月9日に宮古市田老に到着する予定です。

ニュースエコー 岩手放送-(2013年07月29日 19:00 更新)

重度の障害者支えたい/ありのまま舎職員・小松千吉さん

2013年07月30日 01時38分00秒 | 障害者の自立
 電動車いす生活を送る小松千吉さん(65)=仙台市青葉区=は、震災で名古屋市に避難した体験をきっかけに、より重い障害がある人を支援するため働こうと、太白区にある社会福祉法人「ありのまま舎」に就職した。障害者福祉が手厚い名古屋への永住に心が傾きかけたが、「古里のために働こう」と考え直した。ゆくゆくは「自分でヘルパー事業所を運営したい」と夢を膨らませる。

◎ヘルパー事業所新設へ車いすで活動

 太白区茂庭台の「太白ありのまま舎」。昨年5月、知人の紹介で職員に採用された小松さんは、訪問介護のヘルパー事業所新設に向けて、書類を作成する業務を担当する。
 震災により、主に津波被災地では重度障害者を介護するヘルパーが不足。障害者や家族を対象にした相談機能も充実させなければならない。6月、宮城県亘理町にありのまま舎が開設した相談支援センターの設立にも携わった。

<名古屋が契機>
 「私はポリオ(小児まひ)で肢体不自由になって左手は動かないけど、もっと重い障害がある人のために働くことができる。こんな当たり前のことに気付いたのは、名古屋に行ったからでした」
 震災発生時、小松さんは原因不明の腰椎骨折で名取市内の病院に入院していた。日が落ちたころ、多くの人々が避難してきた。「家が流された」「家族と連絡がつかない」。悲痛な声が聞こえた。布団をかぶって一晩過ごした。
 困難は重なる。骨折により介護度が高まったため、一人暮らしをしていたケア付きの県営住宅を出なければいけなくなった。震災の混乱で新たな住居を探すのは不可能だ。
 「これからどうすればいいのか」。手を差し伸べたのは、支援のため被災地入りしていた名古屋市の社会福祉法人「AJU自立の家」だった。
 震災1週間後の3月18日、名古屋市内にあるAJUの障害者入居施設に入った。「カルチャーショックの連続。障害者自身の考え方が、仙台とはまったく違ったからです」

<セミナー参加>
 仙台では障害者はなるべく人の手を借りず、努力して自立することが大切。外出もできる人だけがするという雰囲気だった。
 一方、名古屋ではヘルパーを積極利用して社会参加していた。障害者同士が結婚し、ヘルパーの手を借りながら子育てをするケースもあった。障害者が、自分より障害程度が重い人たちのために事業を起こすのも当たり前だった。
 「障害者は努力して健常者に近づくべきだと、ずっと思い込んでいた。全く違う生き方が名古屋にはあった」
 刺激を受けた小松さんは、AJUが運営するケアタクシー事業所などでの就労体験を通じ、就労施設の在り方を学んだ。障害者の自立支援団体のセミナーにも参加した。
 名古屋の暮らしは魅力的だったが、仙台で障害者の潜在的ニーズを掘り起こし、解決する仕事をしようと心に決めた。昨年4月、仙台に戻った。

<力まず生きる>
 小松さんは授産施設にいた20歳代のころ、障害者自立運動に携わったことがある。「生活圏拡張運動」。1960年代末、仙台の障害者が全国に先駆け、バリアフリー社会実現のため声を上げたムーブメントだった。
 活動を続ける中で、「自分はもっと頑張れる」と信じて授産施設を出て、工場や映画館で働いた。だが、自分を追い込み過ぎて心が擦り切れた。施設に戻ったり、また出たりを繰り返す生活になった。
 「『障害者は頑張らなければいけない』という考えから抜け出せなかった。頑張らなくても達成感を得ながら暮らせる環境づくりを、障害者自らがすればいい」


河北新報-2013/07/05