ゴエモンのつぶやき

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[障害者スポーツ]伊藤数子「なぜ、障害者スポーツを事業化するのか」

2014年03月06日 01時34分48秒 | 障害者の自立
 熱戦が繰り広げられたソチオリンピックが幕を閉じました。日本は国外開催としては最多となる8個のメダルを獲得し、大いに盛り上がりました。メダリスト以外でも、見ている者を十二分に魅了してくれた選手や競技があり、改めてスポーツの力を感じることができた17日間でした。3月7日からはいよいよパラリンピックが幕を開けます。そこで今回は、障害者スポーツとビジネスについて一考いたします。

「おまえら障害者をネタに商売する気か!?」
 これまでこのようなことを何度言われたことでしょうか。障害者スポーツのイベントや体験会など、これまでにはなかった新しい事業を行うと、必ずと言っていいほど言われてきました。

 まだ障害者スポーツについて右も左もわからなかった当初の私は「はい、そうです」とも「いえ、違います」とも言い切れなませんでした。しかし、今ならはっきり言えます。「はい、私は障害者スポーツを商売として成り立たせようとしています」と。

「商売」と言うと、なんだかお金の亡者のようなイメージがあって、悪い人みたいに聞こえてしまいます。では「ビジネス」という言葉はどうでしょう。これも少しきつい感じがします。では、「事業」はどうでしょうか。
「私は障害者スポーツをしっかりとした事業にしていきます」
 これなら違和感なく聞こえる人もいるのではないでしょうか。

 そもそも一般のスポーツは立派に商売が成り立っているのに、なぜ障害者スポーツはそのように言われるのでしょうか? そこには、やはり障害者スポーツへの偏見があるように思われてなりません。

 なぜ、私が障害者スポーツで事業できると考えているのか。それは障害者スポーツは一般のスポーツと同等のものだと思っているからです。そもそも事業とは、商品やサービスをつくり、それをもって社会に価値を提供し、その対価として金銭を獲得すること。これが、ごく当たり前の姿であり、自然な姿です。購入者は、その商品やサービスの価値を認め、必要としているからこそ、あらかじめ決められた額のお金を支払うのです。これと同じ当たり前のことが、障害者スポーツでも成り立つはずです。つまり、障害者スポーツにもそれだけの価値がある。だからこそ、私は障害者スポーツをしっかりとした事業にしていきたいと思っているのです。

 望まれているビジネス化

 さらに言えば、障害者スポーツを事業とすることを、時代も、そして選手たちも求めています。2000年シドニー大会では国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)との間で協定が結ばれ、08年の北京から、オリンピックとパラリンピックの同一都市での開催が義務化されました。さらに10年バンクーバー大会の時には、パラリンピック組織委員会がオリンピック組織委員会に統合されるなど、オリンピックとパラリンピックは一体となって運営されています。ご存じのようにオリンピックは完全にビジネスとして運営されており、一体となったパラリンピックも然り、です。

 日本でも2016年大会の招致活動から、「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」という名称へと変わり、20年大会の開催が決定した今では「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会」となっています。また周知の通り、今年4月からはパラリンピックの管轄は厚生労働省から文部科学省へと移ります。世界的に障害者スポーツのエリート化が進み、今やパラリンピックはオリンピックと同じ扱いとするのが当然という動きが出てきているのです。また地域でのスポーツにも、障害の有無に関わらず共に参加するという機会が確実に増えてきています。例えば総合型地域スポーツクラブが主催するイベントなどには障害のある人ない人が一緒に参加するプログラムが出てきています。

 これらのことからも、障害者スポーツは一般のスポーツと分けるのではなく、スポーツの中の競技や種目とカテゴライズされていくことでしょう。そうすればそれに伴って、ごく自然にその中で事業が行われていくことになるのです。

 10年前、「障害者をネタに商売する気か!?」という問いに対して、私はYesともNoとも答えられませんでした。でも、こうして考えていくと、この質問自体がナンセンスであることもはっきりしてきました。それでも、また今そのように聞かれたら、「はい、私は障害者スポーツで事業をします」と答えます。いかがでしょうか。皆さんはこの言葉に違和感がありますか?

<伊藤数子(いとう・かずこ)>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことが きっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するため の「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある.

2014年03月04日(火) スポーツコミュニケーションズ

障害者施設へスロープ付き車両贈る 自動車総連

2014年03月06日 01時32分53秒 | 障害者の自立
 自動車メーカーや販売会社などの従業員による産業別労働組合「自動車総連」(東京都)が4日、大津市仰木の里東の障害者通所施設「おおぎの里」に、車いすのまま乗降できるスロープ付き軽ワゴン車1台を寄贈した。

 「おおぎの里」は社会福祉法人「おおつ福祉会」が運営し、28人が利用している。自動車総連は社会貢献の一環で福祉施設へ車両を贈っており、加盟する滋賀ダイハツ労働組合(栗東市)の藤本嘉彦執行委員長が、奥田正二事務局長と、車いすを使う利用者の堀井俊良さん(42)に、鍵をかたどったゴールデンキーと目録を添え、車を引き渡した。

 藤本委員長は「自動車を通じて皆さんの役に立てればうれしい」と話し、奥田事務局長は「車の送迎時に車いすへの乗り換えは一苦労だった。大変ありがたい」と喜んでいた。

(2014年3月5日 読売新聞)

障害者の人生設計考える講演会 財産管理は

2014年03月06日 01時22分25秒 | 障害者の自立
 障害者の生活設計について学ぶ講演会が2日、多久市中央公民館であった。必要な備えは、年齢や障害の程度などに応じて変わるとし、年金や手当の公的制度と、保険などの私的な準備を組み合わせて、さまざまなリスクに対応する方法を紹介した。

 知的障害者ら向けの保険会社、ぜんち共済の富岡竜一氏が講演した。特別児童扶養手当や障害基礎年金など年齢で変わる公的支援制度や、地方税の所得控除などの減免制度について紹介した。

 その上で公的制度を補う保険選びのポイントを説明した。本人が抱えるリスクのうち、虐待や経済的搾取といった他人からのリスクへの備えに保護者が気づきにくいと指摘。「障害程度が軽く、地域で暮らして人と接する機会が多い場合は補償を考えて」と助言した。さらに「若いうちは個人賠償が、40歳以降は入院リスクが高くなることも考慮して」と強調した。

 「親亡き後」の生活を守る手段として、信託商品などを紹介。家裁の指示がなければ信託契約を解除できない「後見制度支援信託」は、成年後見人による財産着服を防げるとした。保護者が病気や死亡で突然面倒をみられなくなった場合の備えとして、障害者本人が戸惑わないようにショートステイなどの事前の訓練を勧めた。

 講演会は佐賀県手をつなぐ育成会が主催、約150人が参加した。


「公的支援と私的な備えを組み合わせて人生設計を」と語る富岡竜一氏=多久市民会館

2014年03月05日更新 佐賀新聞

知的障害者と市民が競演 太鼓や琴など披露

2014年03月06日 01時09分35秒 | 障害者の自立
 障害者と市民が一緒になり音楽ステージをつくる「みんなの音楽祭inとす」が2日、鳥栖市のフレスポ鳥栖で開かれた。知的障害者のプロ太鼓集団「瑞宝太鼓」の迫力ある演奏も披露され、会場から大きな拍手を受けていた。

 共生社会の在り方を考える場として、鳥栖市障害者理解促進事業実行委員会(芹田洋志委員長)が、「障害の有無を越えた『個』の競演」と題したステージを企画した。

 会場では、「コスモス夢工房」など市内3施設の利用者による太鼓や大正琴の演奏、「キッズミュージカルTOSU」や「コールとりんす」など3団体の歌やコーラスのステージが繰り広げられた。

 長崎県雲仙市を拠点に、海外公演をはじめとした幅広い活動を展開する瑞宝太鼓は、メンバー6人が勇壮な演奏を披露。迫力に満ちた大太鼓や小太鼓の音が会場いっぱいに響き、買い物客も足を止めて聞き入っていた。


勇壮な太鼓演奏を披露する瑞宝太鼓のメンバー=鳥栖市のフレスポ鳥栖

2014年03月05日更新 佐賀新聞

兵庫)東北へ鎮魂の「木の葉の舟」 知的障害者ら手作り

2014年03月06日 01時06分10秒 | 障害者の自立
 朝来市出身で播磨にもゆかりのある児童文学作家、森はなさん(1909~89)の代表作「じろはったん」の一場面をヒントに、加古川市の団体が東日本大震災の発生から3年となる3月11日と翌12日、犠牲者を鎮魂する「木の葉の舟」を宮城県沖の海に流す。知的障害の青年と村人との交流を但馬弁で描いた童話にちなみ、知的障害者らが「舟」づくりに協力した。

 団体は、森さんをNHKの朝の連続テレビ小説で取り上げてもらおうと活動する「森はなの伝記を『NHK朝ドラへ』の会」(西尾真里会長)。「木の葉の舟」は、物語の終盤に知的障害の青年が戦死した親友「新やん」の死を受け入れるため、名前を記した紙を木の葉で海に流した場面をヒントにした。

2014年3月5日03時00分 : 朝日新聞デジタル