ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者という記号

2014年03月18日 03時35分51秒 | 障害者の自立

春分の日も近づき、いよいよ春のおとずれといった感じですね。障害の特性上、寒くなると筋肉が硬くなってしまうので、暖かい季節が心から待ち遠しいものです。

パラリンピックの熱き闘いが幕をおろしました。アルペンスキーでは狩野亮選手が堂々の金メダルを獲得し、さらにバイアスロン男子では鈴木猛史選手が銅メダルに輝くなど、本当にたくさんの選手が活躍してくれました。日本だけでなく、全身全霊で勇姿を見せてくれたすべての国の選手に、心からの拍手を!

今回のタイトルは、「障害者という記号」。いささか抽象的なテーマになってしまいました。

あらためて言うまでもなく、僕は障害者です。生まれつき障害を抱えた人間として、26年あまりの時間を過ごしてきました。僕自身、障害者と呼ばれることについて何ら抵抗はありません。だからこそ、時代の流れに半ば逆行するかたちで、あえて(障害)という表記を使いつづけてきました。障害者と呼ばれることをかたくなに拒絶することは、自分の障害から目をそむけるのと同じ意味だと考えるからです。

(参考 : アピタルなび 「障害? 障がい? 障碍?」)

僕自身は今のところ、障害というワードをあまり意識せずに生活しています。健常者への過剰なライバル心もありませんし、障害者であることを必要以上に卑下する気持ちもありません。それはきっと、幼い頃から健常者と自然に触れ合ってきた経験や、両親の教育方針のおかげだと思います。

世間一般にはまだ、(障害者)というだけで無条件にひと括りにしてしまう風潮があるようです。そのことを痛感するのは、ニュースなど、自分の手の届かないかたちで(障害者)が取り上げられるのを目にした時です。

古い話題を蒸し返すようで恐縮なのですが、昨年夏から秋にかけて、某有名女優の舞台降板騒動がワイドショーを賑わせました。上演作品の原案者の女性が身体障害を抱えていたこともあり、このニュースはもともとの内容以上にセンセーショナルに取り上げられました。

また最近では、十数年間にわたり、知人が作曲した楽曲を自分の作品として演奏・収録していた音楽家のニュースもありました。彼はのちの記者会見で自身が低音性難聴であることを繰り返し訴え、さらなる反論の姿勢を見せています。

ふたつのケースに共通するのは、(障害)というキーワードです。

少しだけ、角度を変えて考えてみましょう。もしも、ふたつのニュースに(障害)という要素が絡んでこなかったら、ここまで大々的に取り上げられていたでしょうか。最初のケースにしても、原案者が障害を持っていなければ、単純に主演女優のよくある降板劇で終わっていたかもしれませんし、各局のワイドショーを連日のように賑わせることもなかったでしょう。

音楽家の一件も同様です。もちろん、ゴーストライターの存在を隠していたことは明らかに問題ですし、倫理的な責任を問われるべき事柄です。しかしながら、ニュースの真相が徐々に明らかになるにつれ、批判の力点が(ゴーストライター隠し)よりも、(聴覚障害者になりすましたという疑惑)に移っていったように思えてならないのです。

世間にとって、(障害者)はひとつの記号なのではないかと、僕は考えるようになりました。記号には、特定のイメージが必要です。「障害者という記号」につきまとうイメージとは、一体何なのでしょうか。

一言で表すなら、それは(善)なのではないかと、僕は思っています。
障害者は優等生
障害者は頑張り屋
障害者はいつも前向き
障害者は笑顔
障害者は純粋
障害者は素直
障害者は頭がいい
障害者は苦労人
障害者は明るい
障害者は人に好かれる

以上がテレビなどでよく伝えられる、(表向きの障害者像)です。これらのイメージをひとつに凝縮すると、善、という言葉になるのではないでしょうか。

もちろん、これらのイメージが似合う障害者も大勢います。パラリンピックなどで日本の代表として活躍している選手の方々は皆、僕なんかは足もとにも及ばないくらい努力家で、精一杯頑張ってほしいと思います。けれど、障害者も人間です。善人、と単純にひと括りにできる人はいませんよね。ひとりの人間の中にも善と悪が共存し、微妙なバランスを保っている。

僕自身は、先ほど挙げたイメージからはずれた障害者を否定する気にはなれません。そもそも、それらは世間が勝手につくりあげた虚像であって、それに無理やり合わせる必要はありませんよね。

また、はた目には本当に根っからの努力家で前向きに見える人でも、自分自身ではそのイメージを窮屈に感じ、(本当の自分はそうじゃない!)と悩んでいる場合が多いものです。

勇気を出して直接訴えたところで、打ち明ける人を間違えれば、(そういうところも頑張り屋さんなのね)などとふわっとした言葉を押しつけられ、かえって何も言えなくなってしまう。本当の自分を理解してもらえないことほど、辛いものはありません。

ではなぜ、(障害者という記号)がこれほどまでに浸透してしまったのでしょうか。

それは、便利だからです。(どんな時でも清廉潔白な存在)という役割を障害者に背負わせておけば、自分たちはつねに安全地帯にいられて、社会のいやな部分からも目をそむけることができる。だからこそ、そのイメージから少しでもはずれた行動を取る障害者を自分勝手だと過剰に批判し、その反動として、障害者はつねに守られるべきだという極端な論調が出てくる。

エネルギーの方向性は違いますが、障害者の実像を理解していない(理解しようとしない)点において、ふたつの心理は共通しているのです。

立石芳樹という男が努力家というイメージが到底そぐわない、わがままで世間知らずな人間であることは、僕と半日間じっくり関わればすぐにわかります。

外出ボランティアというかたちで関わってくれている学生さんは、誰一人として僕のことを努力家とは言いません。それは照れ隠しでも何でもなく、僕という人間の弱い部分をきちんと見ようとしてくれているからです。かぎられた時間の中でこれだけ密度の濃い関係性を築いてこられたことを、僕は誇りに思います。

(仮面をつけて生きるのは、息苦しくてしょうがない)

ザ・ブルーハーツの曲の一節です。障害者というのが記号であり仮面だとしたら、いつどうやって脱ぎ捨てるべきなのか。お仕着せの人生はうんざりだ。けなされても非難されてもいいから人間臭く、人間らしく生きるんだ……。日本にも、ようやくその波がおとずれつつあるようです。当事者の声を無視して、真のノーマライゼーションはあり得ません。

もっと、知ってください。目の前の障害者を、ありのままに理解しようとしてください。何も知らなくて不安だから、ありきたりなイメージに頼って接してしまうのです。


障害者が積極的に外に出る



障害者のイメージが変わる



障害者がもっと外に出やすくなる


このプラスの循環をもっと広げるために、僕はこれからも障害について語ります。

ツイッターのハッシュタグは、

#晴れのちSunnyday

です。御意見・御感想、お待ちしています!

立石芳樹 (たていし・よしき)

1988年、神奈川県生まれ。生まれてすぐに脳性マヒ(CP)と診断される。中学校の頃から本格的に創作活動を始める。専門はショートショート。趣味は読書と将棋。ツイッター(@dupan216)も始めました。座右の銘は「一日一笑」。

 ・ より良い世界へ希望を込めて アピタルコラムの筆者、立石芳樹さん

障害者支援に理解を 事例紹介、県社福会館で勉強会

2014年03月18日 03時32分18秒 | 障害者の自立
 知的障害児・者の保護者らでつくる秋田市手をつなぐ育成会(高橋精一会長)の勉強会が16日、同市旭北栄町の県社会福祉会館で開かれた。県立横手養護学校教諭の高澤衣久子さんが講演し、地域での障害者支援の在り方に理解を深めた。

 高澤さんは昨年までの10年間、神奈川県の茅ケ崎養護学校に勤務。同校が茅ケ崎市社会福祉協議会と連携し、地域住民を対象に「障がい児サポーター養成講座」を開いていることを紹介し、「障害のある子どもとの接し方を理解するために、講座参加者が養護学校の子どもたちと遊んだり、一緒に大型ショッピングセンターへ買い物に出掛けたりする実習も行っている」と述べた。

 その上で高澤さんは「子どもたちが特別支援学校などを卒業すると、教師が支援できることは限られている。障害者が自立するためには、地域や職場の理解者を増やしていくことが大切」と強調した。

(2014/03/17 13:42 更新)秋田魁新報

精神障害者の思い代弁 アドボゲーター養成へ事例報告

2014年03月18日 03時27分14秒 | 障害者の自立
 岡山県精神保健福祉協会は、精神障害者の代弁者「アドボケーター」を養成するモデル事業の報告会を岡山市で開いた。同事業は入院中の患者の希望や要望を聞いて権利擁護を担ったり、退院支援につなげるのが狙い。長期の入院患者が退院に向けた準備を始めた事例などが報告された。

 同協会によると、アドボケーターには精神障害の当事者や家族、福祉関係者ら76人が登録。このうち39人を昨年8月から県内6病院の入院患者11人の元へほぼ毎週派遣し、思いを聞き取った。

 報告会では、同協会の藤田健三会長が患者アンケートで「事業に満足」との回答が多数を占めたことを説明。地域で暮らす精神障害者と話した入院患者が刺激され、退院意欲を示すようになった事例などを紹介した。

 アドボケーター経験者ら5人によるパネルディスカッションもあり、障害当事者として派遣された鈴木健司さん(39)は「『外の風』が病院に入ることで職員の患者への関わり方も変わったのでは」と指摘。山本昌知医師は「話をしっかり聞いてくれる人の存在は患者の安心感につながり、回復にもプラスになる」と述べた。


(2014/3/17 21:49)山陽新聞

障害者、女性、子供。国民が無批判で持ち上げる3大対象

2014年03月18日 03時22分49秒 | 障害者の自立
マスコミが持ち上げて叩くから、すべてマスコミが悪いという論調が未だに多いが、マスコミは営利を追求する民間企業なわけで、国民が見たいと思っているものを取り上げているに過ぎない。よくマスコミをマスゴミという言い方で揶揄するが、マスコミがゴミだとするなら、国民がゴミだということだ。マスコミも政治家も企業もすべては国民の鏡に過ぎない。

国民が取り上げてほしい3大対象といえば、障害者、女性、子供である。これを取り上げれば国民の多くは無批判に飛びつく。マスコミが全聾と称した作曲家、佐村河内守氏を過大に取り上げたのも、「普通の」単なるおっさん作曲家ではなく、障害者だからだ。そして見事に国民の多くは飛びついた。「障害者なのにすごい」と。

万能細胞騒ぎも同じだ。世に発表されるや否や、マスコミが強調したのが研究成果ではなく、「女性」研究者であることや「リケジョ」といったことだ。研究の中身なんかより「女性」であることにマスコミ的価値がある。それはマスコミがゴミというより国民がゴミだからだ。だからマスコミは国民が受けるように女性を強調する。

その証拠に佐村河内守氏を擁護する声はほとんどないのに、小保方晴子氏を擁護する声は非常に大きい。むしろ叩くマスコミが悪いみたいな。

なぜか。佐村河内守氏は障害者ではなかったから、「普通の人」だったからバッシングされるが、小保方晴子氏は女性だからバッシングされない。障害者、女性、子供。国民が無批判で持ち上げたがる対象から外れていないからだ。

だからもし佐村河内守氏が作曲はしていなくても、全聾というのが本当で、涙ながらに記者会見して、障害者であることをアピールし、国民に同情させる訴えをすれば、他人に作曲させて自分の名前で出す詐欺を働いたとしても、一部の国民は同情したのではないか。「障害者だから仕方がない」。「全聾だから仕方がない」。しかし佐村河内守氏の場合は全聾であることが虚偽であったために、国民から大バッシングを受けることになった。

それにしてもなぜ国民は障害者、女性、子供を無批判で持ち上げたがるのか。自分より下の存在だと思っているからだ。上から目線。かわいそうな障害者。実力のない女性、子供。そんな弱者ががんばって活躍しましたということに安心して応援できる。弱者で下の存在だから、嫉妬心を抱かずにすむ。被災者なんかも同じだ。

しかしもしこれが「普通の人」だったらどうだろうか。「普通の人」の成功や活躍をむしろ妬む人が多いのではないか。自分の存在が脅かされてしまうライバルとして警戒するのではないか。

身体障害一級でては使えず、足はあるが歩けない車椅子の、まるみえ星人こと柴野さんに話を聞いた時、こんな話をしていた。

「障害者は自分より“下の存在”。だからかわいそうなので助けてあげるという思考の健常者の人ほど、自尊心が低く、下の存在を庇護することで、自尊心を満たしているのではないかと感じることもあります」

障害者という言葉を女性や子供に置き換えても十分通用する。障害者、女性、子供を無批判に持ち上げたがる国民は、障害者、女性、子供をバカにしているのだ。力のないはずのあんたたちがよくできましたね!と。それは自分の弱さを正当化するためでもある。

マスコミが持ち上げて叩くのは国民のニーズがあるから。ニーズがなくなればマスコミは取り上げなくなるだろう。なぜなら「売れない」からだ。鶏が先か卵が先かみたいな話はあるにせよ、売れないものはマスコミは取り上げない。売れるからマスコミは取り上げる。売れるとはすなわちそれを望んでいる国民がいるからに他ならない。

マスコミも悪いがマスコミだけ悪いといっていても、何の問題解決にはならないだろう。

障害者、女性、子供だからという理由だけで、無批判に持ち上げていませんか?

2014年03月17日 08:55 BLOGOS

住友生命、NPO法人に「身体障害者補助犬健康管理手帳」を寄贈

2014年03月18日 03時16分20秒 | 障害者の自立
住友生命保険は「アシスタントドッグ育成支援事業」として、2001年度より身体障害者補助犬(盲導犬・介助犬・聴導犬)の支援活動に取り組んでいるという。このたび「身体障害者補助犬健康管理手帳」を2千冊作成し、認定NPO法人 全国盲導犬施設連合会に寄贈すると発表した。

身体障害者補助犬を同伴する際に所持する手帳で、ワクチン接種記録等を記載するなど補助犬の衛生管理のために、補助犬ユーザーに配布して活用できるという。

今後も豊かな社会づくりに向け、生命保険事業に加え社会貢献活動にもより積極的に取り組んでいくとしている。

身体障害者補助犬健康管理手帳について

身体障害者補助犬を同伴する際にユーザーの方が所持する書類

記載内容

補助犬の健康管理のための記録欄(ワクチン接種の記録、フィラリア・ノミ・ダニ駆除の記録、獣医師による健康管理記録)


「身体障害者補助犬の衛生確保のための健康管理ガイドライン(抄)」


サイズ等

縦125ミリメートル×横88ミリメートル、52頁(本文48頁、表紙4頁)ビニールカバー


点字シール付(点字表記内容:身体障害者補助犬健康管理手帳)

[2014/03/17]マイナビニュース