今年の高校野球は、東海大相模の優勝で幕を閉じました。神奈川県民としては、県勢から優勝校が出ると気分が盛り上がりますね。母校の結果はというと……また来年に期待します。
障害者福祉の世界では、「当事者主権」という言葉がキーワードになっています。障害者差別禁止法が制定されるなど、当事者の権利を最大限に尊重しようという機運が高まりつつあります。
当事者とはもちろん、障害をもつ本人のことです。主権の指す中身を大まかに言うと「自己決定の権利」になります。ただ、ひとくちに自己決定といっても、抽象的すぎてよくわかりませんよね。でもこれ、当たり前のことなんです。
想像してみてください。自分が朝何時に起きて、何時に寝るか。食事には何を食べて、趣味として何を楽しむか。どんな仕事に就いて、誰を一生のパートナーに選ぶのか……。
これらのことすべてがあらかじめ決められているとしたら、皆さんはどう感じますか。そんな人生、窮屈でたまりませんよね。日本の障害者は長らく、こんな息苦しい状況に置かれていました。それも、ほんの少し前までは。
家庭での介護が難しい重度障害者は行政措置として施設に入所させられ、自由のほとんどない管理された生活を強いられていました。教育を受ける権利も就職をする自由も認められず、待っているのはただただ単調な毎日ばかり。断種手術がなかば公然とおこなわれていたあたりに、当時の人権意識の低さがうかがえます。
なぜ障害者の自己決定権がこんなにも軽んじられてきたのでしょうか。
日本の障害者差別の根源は健常者の意識にあると、このコラムで何度も書いてきました。障害者を劣った存在として位置付けるのは、社会的マジョリティである健常者にとって都合がよかった。だから、障害者が声をあげにくい状況が長くつづいてしまった……。
けれど、果たしてそれだけなのでしょうか。確かに健常者の差別意識は大きな要素かもしれないけれど、もっと他に根本的な背景があるような気がします。
キーワードのひとつとして、(恐れ)を挙げたいと思います。
健常者は、障害者という存在を恐れてきたのではないでしょうか。障害者の主張が市民権を得てしまったら自分たちのポジション、あえて言えば既得権益がくずれてしまう。それを防ぐために、障害者を劣った存在として決めつけ、社会的にも隔離することで、ようやくバランスを保ってきた。
このように、特定の集団または属性に対して一方的にマイナスの記号を与える社会をスティグマ社会と言い、与えられる記号そのものをスティグマといいます。
スティグマ社会におけるレッテル張りは、意識化されたうえでおこなわれるとはかぎりません。
かつての断種手術および隔離政策には、(社会的弱者の心身の安全を保つ)という大義名分が掲げられていました。そうでもしなければさすがに国民の理解が得られなかったという事情もあるのでしょうが、この建前を心から信じて「合理的な隔離」推進にあたった役人が少なからずいたであろうことは、想像にかたくありません。
現在でも、面とむかって「障害者差別はなくすべきですか?」と聞かれれば、たいていの人がイエスとこたえます。それはそれで、まぎれもない本音なのでしょう。しかしその一方で、公立学校の入学拒否や介護施設の建設反対があとを絶たないのもまた現実です。
言葉のうえでは差別反対と言っておきながら、実際には障害者を排除するような行動をとってしまう。この二重性こそが問題の本質なのです。
(何も決めさせてもらえない)社会はもういやだ。どんなに障害が重くても、自分の人生は自分でデザインしたい……このコラムでも紹介したCIL(自立生活センター)は、障害者の自己決定権をひたすら追い求めてきた組織です。設立当初は社会との闘いの連続だったと、町田CILの代表者の方が話してくれました。
CILのような組織がなければ、障害者の人権レベルは今でも低いままだったでしょう。けれど、それほどの葛藤を繰り返さなければ本当の自由は手に入らないのかと思うと、やりきれない気分になります。
人権意識の遅れがたんに社会システムの不具合によるものならば、問題の解決は簡単です。障害者に有益な法律をつくり、システムをゼロからつくり直せばいいのですから。
けれど、現実を見るかぎり、障害者の社会参加が充分に進んでいるとはいえません。それは、システムとしての問題だけでなく、精神的な要素が大きくかかわっているからだと、僕は考えます。
- 障害者は弱い存在である
- 弱い存在は守られなければならない
- 守られているからには権利を主張せず、おとなしくしなければならない
- ゆえに、障害者が権利を主張してはならない
このような一連の価値観が社会に横たわっているかぎり、本当の意味での福祉先進国とは言えません。
さらにやっかいなのは、ここに紹介したいわゆる保護思想が、基本的に(善意)から出発しているということです。
保護思想を信じる人たちは、障害者から権利を奪ってやろうとか、自分たちが得をしたいから障害者の自由を制限しようとか、そういった(意地悪な気持ち)で考えているわけでは決してありません。実際はまったくその逆で、ただただ純粋に障害者を守らなければという思いで発言をしている人がほとんどです。
実はこの悪意のなさが問題をいっそうややこしくしているのですが、当人たちはおそらく気づいていないのでしょう。
近所に住むAさんという女性がいます。ふくよかな体型の気さくな人で、顔を合わせるとよく声をかけてくれます。
Aさんからの言葉で、忘れられない一言があります。
(お母さんを大切にしないとね。どんな時でも二人で一人。二人三脚なんだから)
受け取り方によっては、何ということのない、日常会話のひとつでしょう。けれどその時の僕は、この言葉に引っかかるものを感じました。
二人で一人ということは、僕だけでは一人前ではないという意味になります。あえてきつい言い方をすれば、個人としての人格を無視したセリフです。Aさんもきっと、悪意はなかったはずです。孫ほども歳の離れた僕に、親孝行の大切さを教えたかったのでしょう。
だからこそ、なのです。発言に悪意がないからこそややこしいのです。善意に反論する存在がいるとすれば、それはすぐさま悪者と見なされてしまいます。美徳を理解しない未熟者として社会から孤立し、ますます主張が受け入れられなくなってしまう……この悪循環をたちきらなければ、障害者を取り巻く環境は変わりません。
日本が閉鎖性から抜け出せないもうひとつの理由として、保護思想を障害者自身が受け入れてしまっている、という点が挙げられます。
すべての障害者がそうであるわけではありません。CILのメンバーのように、自由と権利を求めて日夜闘いつづけている方々もいます。けれど、新しい価値観をつくりだすほどの才能もなく、建前を正面から突き崩すような勇気もない障害当事者たちは、さまざまな不満を抱えながらも、社会的弱者というレッテルを受け入れながら生きている。
そうした生き方を否定しようとは思いません。ただ、その人生が誰かに押しつけられた結果であるなら、ちょっともったいないよね、と言いたいのです。人生をデザインする方法はいくらでもありますよと、おせっかいながら教えてあげたいだけなのです。
日本はまだまだ、障害者の自己決定権が充分に尊重されているとは言えません。けれど、社会は少しずつ変わりつつあります。その流れを確かなものにするためには、何よりも、当事者が声をあげることです。悪者になってもいいから、自分の理想を最後まで貫く覚悟をもつことです。
価値観を変えるには、途方もない勇気と覚悟が必要です。時には挫折もあるでしょう。けれど、その努力が決して無駄にはならないことを、勇気ある先人たちが教えてくれています。
立石芳樹 (たていし・よしき) 朝日新聞