発達障害のある宮崎市在住のピアニスト、野田あすかさん(33)が、この春から活発に活動している。人前での演奏が苦手だったが、自らの障害を知り、演奏会で観客の拍手や笑顔に触れることで前向きになることができた。「障害のある人や、つらい思いをしている人たちに、頑張り過ぎず、自分らしく生きていいんだよと伝えたい」と話す。
宮崎市内の特別支援学校でのコンサート。児童・生徒や保護者ら約200人を前に、自身と同じような障害があり、周囲との関係に悩む子どもたちへの自作のメッセージソング「手紙~小さいころの私へ~」を披露した。
「みんなと同じになれるよう頑張って 悔しい思いをしているけど いくら頑張っても 同じになれないこと感じてる」
「でもね 周りをよく見てごらん あなたを見守っている人が こんなにたくさんいること あなたに気づいてほしい」
歌の後で大きな拍手を受けると、「私の気持ちが届いたならうれしいな」。はにかんだ笑みを浮かべた。
2歳の時、親戚からもらったオルガンで初めて鍵盤に触れた。4歳からピアノ教室に通い、学校から帰ると、虫の鳴き声などをメロディーにして遊んだ。
幼い頃から人とのコミュニケーションが苦手で、人間関係に強いストレスを感じるとパニック状態になった。発達障害は当時知られておらず、周囲の理解不足から、高校ではいじめを受け、転校という悲しい経験もした。
音楽教諭を夢見て、宮崎大教育文化学部に進んだがなじめず、過呼吸の発作を繰り返し、2年で退学。医師の指示でピアノから約1年間遠ざかった。
思いを断ち切れず、宮崎学園短大音楽科の長期履修生となった。「あなたはあなたのままでいい」という教授の言葉に救われた。奏者の心が沈んでいると、どんな曲も悲しい音色になる。無理をしないで音楽と向き合う大切さを教わった。
22歳だった2004年8月、短期留学したオーストリア・ウィーンで過呼吸の発作を起こして病院に運ばれ、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害)と初めて診断された。「自分が友達と違うのは分かっていたけど、努力が足りないからだと考えていた。発達障害だと分かってホッとした」と振り返る。
宮崎の音楽コンクールで06年にグランプリを受賞。09年にはピアノ界のパラリンピックといわれる「国際障害者ピアノフェスティバル」で、銀メダル、オリジナル作品賞、芸術賞のトリプル受賞を果たした。宮崎県内の音楽イベントに招かれる機会も増えた。
「聴いてくれた人たちの拍手や笑顔は『上手だったね』ではなく、“心の音”を受け止めてもらえた合図なんだ」。自宅でのピアノ教室が中心だった音楽活動を広げることを決めた。今春以降、県内外の老人ホームや学校などでコンサートを開催。5月には、歩みをつづった「発達障害のピアニストからの手紙」(アスコム)を出版した。
「周りに苦しんでいる人がいたら、その人らしさを認めてほしい。言葉ではうまく表現できないけど、ピアノなら伝えられる」。メロディーに乗せて思いを届けたいと願っている。
コンサートで、手話を交え自作の歌を披露する野田さん
2015年09月05日 Copyright © The Yomiuri Shimbun