ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

四肢麻痺でもエーゲ海へ 「介護付き旅行」が生み出す幸福な人生

2018年01月03日 00時49分15秒 | 障害者の自立

先天的な四肢麻痺、言語障害のクライアントとエーゲ海旅行へ

高齢者や障がい者をサポートするという倫理的な営みと、「福祉をビジネスとして成功させる」という野望は、決して矛盾しない。いや、むしろ、そのふたつの思いが交差するところにこそ、日本社会における福祉の未来はある──。

要介護者など高齢者の付添い介護付き旅行事業を展開するNPO法人しゃらく代表理事・小倉譲さんの話を聞いていると、そう確信させられる。

思うように体が動かせず、徐々に心が閉じていってしまう、介護が必要な高齢者や障がい者の人々に、驚くほどのエネルギッシュさで、彼は「旅」を提供し、彼らが人生の豊かさを取り戻すサポートをしている。

「やり手のビジネスパーソン」ともいうべき手腕を発揮しながら、福祉業界を新たなフェイズに移行させようとしているパイオニアの話は、どこまでも熱を帯びている。


NPO法人しゃらく代表理事・小倉譲

──要介護者を中心にした高齢者の付添い介護付き旅行を中心事業に、オーダーメイド旅行やパック旅行、介護タクシーなど幅広く手がけていらっしゃいますが、具体的にはどのような内容なのでしょうか。

たとえば、オーダーメイド旅行の場合、しゃらくがお客さんのオファーを受けて、まずはきちんと直接お話を伺い、お体の状況やご要望を承ってから、プランニングや宿との交渉、当日の付き添いまでを全体的におこなっています。

多いのは、里帰りや故郷でのお墓参りですね。ご高齢の方は、加齢だけでなく、脳梗塞や心筋梗塞、アルツハイマー病などの様々な疾患によって、後天的に体が動かなくなっていきます。そのプロセスのなかで一番大きく損失しているのは、体の自由よりも、精神的な“自信”なんですね。

それでも里帰りをしたい、お墓参りをしたい、という思いをお持ちの方に、僕たちは丁寧に面談をして、フルサポートしますから大丈夫ですよ、と旅行全体のコーディネイトをさせていただいています。

──自信をなくされ、徐々に心が閉じていってしまいかねない高齢者の方にとっては、何よりの喜びですね。

もちろん、里帰りやお墓参りだけでなく、より幅広い旅行のプランも手掛けています。これは高齢者の方ではなく、先天的な四肢麻痺の方ですが、先日も10日間強の海外旅行にいってきたばかりです。言語障害をお持ちで言葉は喋れず、胃ろうなので食事も口からは摂れない方でしたが、エーゲ海クルーズに一緒にいってきました。



──重度の障害のある方でも、海外にも対応可能なのですね。そもそも、なぜそのような事業を手がけられるようになったのでしょうか。

もともと社会問題には意識が高く、起業への思いもあった人間なのですが、高校生のときに地元の神戸で阪神淡路大震災に遭い、ボランティア活動に参加しました。そこが私にとっての原体験だと思います。

結局、その時から、「何か自分にできること」を探していたんです。事業資金を集めようと中国に4年間留学していたころも、その後に日本の大学に入ったときも、ずっとビジネスへの思いはあったんです。
 
それから二つの転機が訪れました。ひとつは大学時代。四肢麻痺とまではいかないのですが、立っていられない(介護の用語で“立位”がとれない)友人がいて、彼が誕生日祝いのプレゼントで、僕が乗っていたバイクに乗りたいというんです。

サイドカーをつけたハーレーバイクを借りて、彼が着たいというレザーのジャケットを着てもらおうとしたんですが、残念ながら着ることができなかった。障害者用のブランドをつくろうとアパレルに就職したのですが、それはこうした事情があったからです。

──常に社会との接点において、また実際の当事者との間で、思いを巡らせながら実践に向かっていらしたのですね。

ただ、それもなかなかうまくいかなかった。そんな折、祖父と旅に出る機会がありました。かつては旅行にもよくいっていた人なんですが、認知症にがん、肺気腫に糖尿病が重なり動けず、かつ老々介護という状態だったんですね。見かねて、サラリーマンをしながら週末に介護していたんですが、祖父が故郷に一度帰りたい、と。



しかし、どこの旅行会社さんも、お手伝いをしてくださらなかった。じゃあ自分で連れてしまえと、旅行に一緒にいったんです。そうしたら、祖父が見るからに元気になった。

「旅はリハビリになる」という発見をしたのはそのときです。専門的な介護の経験も、旅行事業の知見もありませんでしたが、かねてよりの友人と一緒に極安の部屋を借りて、事業の準備をはじめた。

手取り30万円だったのが3万円まで落ちて、それは大変な日々でしたが、みんなで必死にバイトをして事業資金をため、「しゃらく」を立ち上げた、というわけです。

──並々ならぬ情熱に突き動かされている事業ということがよくわかりました。

「福祉をビジネスに」といっても、「ニーズ」という言葉でくくると、こぼれ落ちてしまうものがあると思っています。そもそも、旅行というのは「必要性」があるものではない。はっきりいって、旅行には行かなくたっていい。それでも、体の自由がきかない高齢者の方にも、旅行にいきたいという思いはある。

つまり、旅行は「ニーズ」ではなくて、「ウォンツ(欲求)」から生まれると思っているんです。だからこそ、お客さんと一緒に24時間の旅路を共にして、おむつも替えればお風呂も一緒に入り、一緒にご飯を食べて同じ部屋で寝る。つまり安全・安心であるということを実感してもらって、また利用したいという商品をつくりたいと考えています。

実際に、8割くらいの利用者の方は、リピーターとしてまた使ってくださいますから。そうしたホスピタリティは、これからも大事にしていきたいですね。
 
2017/12/31    Forbes JAPAN

東京大学の学生が国連で「協力者カミングアウト」提案

2018年01月03日 00時41分44秒 | 障害者の自立

 2017年12月1日、東京大学医学部3年生の飯山智史さんと工学部3年生の町田紘太さんは、国連ニューヨーク本部で開催された「災害や紛争時の障害者の権利に関するパネル・ディスカッション」に、世界の若者の代表として招待され、国連の持続可能な開発目標(SGDs)※の達成を目指す「東京大学EMPOWER」の活動を紹介した。

 東京大学の学生が参加したこのパネル・ディスカッションは、国連経済社会局が開催したもの。障害者権利条約の起草プロセスを取りまとめたルイス・ガジェゴス元エクアドル国連大使の司会のもと、UNICEFや世界銀行、非政府組織の代表が参加。この様子は世界に同時中継された。

 「東京大学EMPOWER」は、東京大学の学生が発端となり、「協力が必要な時は、お声を!」 という意味の「マゼンタスター」をシンボルマークにした「協力者カミングアウト」を推進する、持続可能な開発目標(SDG目標)達成のための国際プロジェクト。国連ニューヨーク本部で集中講義を行う全学自由研究ゼミナール「国連と文化」受講生を中心に結成された学生団体「UNiTe」のメンバーを中心に、教養学部・総合文化研究科教養教育高度化機構国際連携部門のプログラムの一環として、電通ダイバーシティ・ラボの協力のもと活動している。

 今回の発表では、一般的な妊産婦、障害のある人等の「当事者」がマタニティマークやヘルプマーク等をつける「当事者」カミングアウトだけでなく、「席を譲りたいが、声をかける勇気がでない」人たちなど、個人の属性に関わらず、「協力者」がカミングアウトを行う「みんなの違いが力になる社会作り」を提案。国連が提唱する障害の「社会モデル」に基づき、2020年東京オリンピック・パラリンピックでの「おもてなし」と、SDGsが目指す「誰一人取り残さない」社会実現に向け、交通機関や街の「物理的」アクセシビリティー、市民一人一人の「態度」や「行動」のアクセシビリティーの向上の必要性を呼びかけた。

 今後も、「東京大学EMPOWER」は、教養教育高度化機構のプログラムの一環として、電通ダイバ-シティ・ラボ、国連職員、アーティスト、そして世界中の若者や新しいパートーナーとも協働し、SDGsの達成に向けて、活動を続けていく予定。

 ※持続可能な開発目標(SGDs)とは、2015年9月の国連サミットで採択された「 持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された2016年から2030年までの 国際目標。持続可能な世界を実現するための17のグローバル目標と169の達成基準で構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っている。

2017年12月31日   大学ジャーナルオンライン編集部

 


五輪・パラまで2年 組織委理事で現役“水の女王”成田真由美さんに聞く 神奈川

2018年01月03日 00時33分39秒 | 障害者の自立

 ■人も街も変わるチャンス 目指す共生社会「優しさあふれる日本に」

 パラリンピックの競泳種目で通算15個の金メダルを獲得し、現役選手としてなお進化を続ける“水の女王”成田真由美さん(47)。国内外から多くのパラリンピアンを迎える2020年東京五輪・パラリンピックは「日本を変えるチャンス」と期待し、大会組織委員会理事として、バリアフリー促進や心の優しさの育成に努めている。川崎市出身の成田さんは今年「年女」。持ち前の明るさで、共生社会実現への“最前線”を進む。(聞き手 外崎晃彦)

                  ◇

 --東京大会で選手として活躍したいという思いは

 「いまは3月の代表選考会に向けて頑張っており、その先のことは考えていない。1年間、代表選手として選ばれることが目標。今秋ジャカルタで開かれるアジアパラ競技大会に出場し、メダルを取りたい」

 --リオ大会では日本新記録も出したが

 「パラリンピックは毎回、完全燃焼。リレーは共に戦った若い3人に対し、経験を東京につなげてほしいと思いながら臨んだ。個人種目も3種目で決勝に残り、日本新を出すことができた。もし悔いが残っていたら東京で晴らしたいと思ったかもしれないが、リオでは全てを出し切って大満足。心残りはない」

 ◆車いす「眼鏡と同じ」

 --車いすはいつから

 「中学1年の時に横断性脊髄炎を発症した。当初は病名が分からないまま発熱が続いた。点滴をして、痛みを伴う検査も続けているうちに、治らない病気だと分かった。入退院を繰り返し、中学3年ごろから車いす生活となった」

 --悲観はしなかったか

 「入院中、生きたくても生きられない子供たちを見届けるなかで、命について教わった。自分は死ぬ病気ではなく、視力の低い人が眼鏡をかけるのと、足が悪いから車いすに乗るのは同じことなんだと思えた。車いすがあればいろんな場所に行けるし、やれることもたくさんある。そう思えるまで時間はかかったが」

 --水泳との出合いもあった

 「23歳まで泳げなかった。当時、車いすバスケなどをするために通っていた横浜市内のスポーツセンターで、別の障害者の方から『障害者の水泳大会で25メートル泳げない?』と突然持ちかけられた。そこから1カ月間猛練習し、仙台市で行われた試合に出場した」

 --ただ、悲運が待ち受けていた

 「大会の帰り道、居眠り運転の車に追突された。左手にまひが残り、3本の指が開かなくなった。右手は普通に動くが、たまにしびれている。ショックは大きかったが、水泳に本腰を入れるきっかけの一つになったかもしれない」

 --きっかけとは

 「大会で一緒に戦った仲間が励ましてくれ、『この仲間たちと再び泳ぎたい』と思うようになった。事故後、横浜サクラ(現在も通う『横浜サクラスイミングスクール』)が受け入れてくれた。良いスイミングスクールと良いコーチに恵まれ、多くの大会で結果を残すことができた」

 ◆「何ができるか」

 --パラリンピックはアトランタ大会から4大会連続で出場したが、ロンドン大会(2012年)には選手申請しなかった

 「初めて観戦者の立場となって迎えたパラリンピック。日本ではオリンピックと比べて、報道がなぜこんなに少ないのかと感じた。自分が出場している間は、友人が『新聞見たよ』『テレビ見たよ』と言ってくれたが…。日本のパラリンピック報道は、ちょっとさびしいと思った」

 --その思いが再び世界の舞台へと向かわせた

 「東京大会開催決定を現地(ブエノスアイレスの総会)で見届けた。喜びと同時に『これがスタートだ』と強く感じた。オリンピックは選手も多く、自然に盛り上がる。でもパラリンピックの機運を高めるには、何かをしなくちゃいけない。自分に何ができるかを考えたとき、『もう一回選手として泳ごう』という思いがわいた。それがリオ大会出場につながった」

 --今後は理事の立場で大会を盛り上げたいと

 「パラリンピックはアトランタよりシドニー、シドニーよりアテネと、回を追うごとに知名度が上がり、近年は日本でも機運の高まりを感じている。20年はいよいよ東京。もっともっと盛り上げなくてはならない。いまは東京五輪・パラリンピックを契機に日本が変わるとき。変わらなきゃいけないときだ」

 ◆心のバリアフリーを

 --変革への課題は

 「前回の東京五輪(1964年)と同様、2020年に向けてどんどん建物ができ、街は大きく進化している。ただ、障害者にとって使い勝手が向上しているとはいえない。車いすやベビーカー専用のエレベーターも増えてはいるが、歩ける人が使ってしまい、障害者が優先利用できていないケースも目立つ。『心のバリアフリー』も必要だ」

 --心のバリアフリーとは

 「弱者に対しての優しさ、困っているところを見かけたら声を掛ける優しさがほしい。私が駅のホームで困っていたとき、見知らぬ黒人女性がスマートフォンで言葉を翻訳し、『何かお手伝いが必要ですか』と目の前にかざしてくれたことがある。そんな対応のできる人が日本人にももっと増えてほしい」

 --鉄道のサービスにも疑問を抱いている

 「ホームから改札までエレベーターがない駅がある。車いす・ベビーカースペースが何番目の車両にあるのか、電車が到着するまで分からないことも多い。鉄道会社や路線によってもまちまち。日本人の私でさえ困るんだから、20年に海外から来る人はどうだろう」

 --大会は2年後に迫っている

 「ソフト、ハード両面で改善するべき課題はなお多く、2年の間に直さないといけない。建物や設備など、物理的に直せないものについては、人の心のほうを変えればいい。人の意識を変えることにお金はかからないのだから。ただ、日本人は遠慮がち。手伝いたいけれど手伝えない、何していいのか分からない、そんな印象を受けることもある。優しい人、声を掛ける勇気のある人が、どんどん増えてほしい」

【プロフィル】成田真由美

 なりた・まゆみ パラリンピック競泳選手。昭和45年生まれ。川崎市多摩区出身。中学1年の時に横断性脊髄炎を発症、下半身まひとなり、車いす生活に。水泳を始めた23歳のときに追突事故で手指にも障害が残る。夏季パラリンピックに通算5回出場し、計20個のメダル(金15、銀3、銅2個)を獲得した“水の女王”。現役選手として活躍する傍ら、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事を務める。

2018.1.1    産経ニュース


暮らしの中で 人と在ることの大切さ

2018年01月03日 00時29分09秒 | 障害者の自立

 考えさせられます。

 2017年に生まれた赤ちゃんは、前年に続いて100万人を割り、人口減少数も40万人に上る、との推計値が公表されました。25年には高齢者が人口の3割を占める社会になります。

 少子化が進み、雇用は不安定なまま、格差は広がっている。政府は、経済成長が豊かな生活に結び付くとうたいます。その歯車はかみ合わなくなり、社会保障制度も機能不全に陥りつつあります。

 先の見えない不安感を共有し、協力し合う関係性が、これまでに増して必要になっている。

 人と人とのつながりを築き直そうとする現場を、この目で確かめたくなりました。

   <新たな関係を築く>

 東京都多摩市の「コレクティブハウス聖蹟」を訪ねました。

 一見、ちょっとおしゃれな地上2階、地下1階建てのマンションで、20〜70代の男女23人と子ども8人が生活しています。居住者が協力して管理運営し、広い共用空間で日常の時間を共にするところに特徴があります。

 掃除や戸締まり、会計、屋上の菜園での作業、植栽の手入れ、イベントの運営…。居住者全員が役割を担う。課題を話し合い、ルールを見直す毎月の定例会は数時間に及ぶこともあるそうです。

 「コモンミール」という夕食をいただきました。当番の人がメニューを考え、買い物をし、他の居住者分の食事を作ります。時刻になると、三々五々食堂に集まってくる。盛り付けや片付けをしながらの会話、子どもたちの声がにぎやかに響いていました。

 互いの存在が意識の変化をもたらしているようです。

 6年半前に単身で入居した60代の女性は、以前は関心がなかった子どもとの接点を積極的につくるようになったと言います。人付き合いが苦手だった40代の男性は、ハウスの外の住民との交流も深めたいと、2カ月に1度、お茶会や餅つきなどのイベントを開くようになっています。

 ハウスを提唱し、運営を支援しているのは、豊島区のNPO法人「コレクティブハウジング社(CHC)」。従来の家族観や住まいの形にとらわれずに緩やかな人と人との関係を築き、「共に住み、創る」ことを通じた暮らしの質の向上を目指しています。

 これまでに都内で4棟のハウスを実現させ、群馬や神奈川へと事業を広げています。増加する空き家を共有空間とし、周囲の住民が運営に加わる「タウンコレクティブ」も展開しています。

   <方法はさまざまに>

 社会学者の見田宗介さんが、こんなことを書いています。

 互いの利益のために、と始まることであっても、やがて効用への期待はなくなり「純粋な情熱と歓(よろこ)びの源泉」になり得ると。

 ハウスでも、そうした現象がうかがえます。高齢者が動けなくなり、共同作業を担えなくなったらどうするか―。居住者が言っていました。「放っておけない。福祉施設の代わりにはなれなくても、できることを探りたい」

 人と人との関係をつくるモデルを、CHCの取り組みにだけ求めるつもりはありません。方法は多様であっていい。

 複数の人が共同で生活する「シェアハウス」はよく知られています。最近は高齢者と若者が一緒に暮らす「異世代同居」の試みが各地で始まっています。石川県にはケア付き高齢者住宅や障害者施設が併存する「誰もが共に暮らす街・シェア金沢」がある。

 既存の共同体も捨てたものではありません。田舎暮らしに憧れて地方に移住する若い人たちが増えています。長野県を含め全国の自治体で活躍する地域おこし協力隊員の半数超が、そのまま定住する傾向も見られます。

 関係を結び直すハウスのような「仕掛け」、若者が移り住む「きっかけ」を、それぞれの地域で生かしたい。

   <小さなこと重ねて>

 超高齢社会への備えばかりがつながりを必要とする理由ではないと思うのです。

 身近な人間関係が薄れれば、人は国家や民族という漠とした集団に帰属意識を求めるのかもしれません。自らの価値観や利益に見合わない者、大勢に同調しない者にいわれのない非難を浴びせる風潮として表れています。

 それに、他者との間に境界線を引いた暮らしは物足りない。

 「以前の職場は残業続きで、食事も掃除もなおざりにしていた。小さなことをきちんとやる積み重ねが、本当の『生活』なのですよね」。ハウスで暮らすCHC理事矢田浩明さんの言葉です。

 人との関係づくりも、日常の小さなことの積み重ねから始められる。そうして、しなやかなつながりを紡いでいきたい。

 充足感をもたらす日々の体験の中には常に人との関わりがあります。人と在る時間をもっと大切にしていくことを、この1年の目標にしようと思っています。

(1月1日)    信濃毎日新聞