熊本のお笑い芸人「あそどっぐ」をご存じでしょうか? 難病で顔と左手の親指しか自由に動かせない、自称「世界初の寝たきり芸人」。自らの障害をネタにしたギャグが動画投稿サイトなどで注目され、昨年夏に発売された写真集も話題になった。笑っていいのか戸惑うこともあるが、本人は「僕は芸人。人を感動させたいんじゃなくて笑わせたいんです。遠慮なく笑ってほしい」と話す。
本名は阿曽太一さん(39)。熊本県合志市在住。幼い頃、全身の筋力が低下していく「脊髄(せきずい)性筋萎縮症」と診断された。移動は車いすではなく、大人の腰の高さほどのストレッチャー。寝そべったまま押してもらい、ステージには抱えてあげてもらう。顔の表情と言葉を駆使してギャグを披露する。
「生後1カ月のおいっ子がヨチヨチ歩きを始めた時、叔父を超えたな…と思う」。ピンクのドレスで女装して、「世界一安全な変態」。重度障害者としての日常生活を切り取ったギャグは自虐的と評されることもあるが、本人は「僕のネタはポップだと思う」。最近はライブを開いたり、NHKの障害者情報バラエティー番組「バリバラ」に出演したりしている。
福岡県内の養護学校高等部1年生の頃、怖い先輩に強制されて初めて披露したコントが大受け。同級生らの笑顔を見て、「人を笑わせる気持ちよさに病みつきになった」。一緒にネタをやった、筋ジストロフィーを患う同級生とコンビを組み、プロを目指すことを決意。しかし、同級生は23歳の若さで他界した。ショックで一時は諦めかけた。
再びプロを目指そうと、自作のギャグを2011年から動画サイトの「ニコニコ動画」や「ユーチューブ」に投稿し始めた。退路を断つため、収入源にしていた株取引もやめた。
初めてのお笑いライブは14年、福岡市で開かれたイベント。「客が引いたら、次からはお断りするかもしれません」と出演の条件を示され、「障害者ではなく一人の芸人として接してくれて、うれしかった」と振り返る。
初舞台では芸人仲間にいじられることから始めた。イベントを主催した福岡市のお笑い芸人「かんだ~にゃ」さん(40)は「あそどっぐさんはハートが強い。腫れ物に触るような雰囲気では面白くないから、遠慮なくいじった。本人もそれを望んでいた」と話す。
いまでは屈託なく障害を笑いにするが、つらい経験もあった。高等部3年の時、進路指導の先生にこう言われた。「重度障害者は高校を出たら家か施設で暮らすしかない。下手に夢を持たせてはかわいそう」
でも、今はその言葉に感謝しているという。「先生のおかげで僕は大学に行かなかったし、就職もしなかった。だからいま、芸人をやっているのかも」
写真集「寝た集」も
昨年夏には全112ページの写真集「あそどっぐの寝た集」を出版した。テーマは「誰も見たことがない、笑える写真集」。始祖鳥の化石のように手足を折り曲げて砂に埋められた姿や、ラッコの格好をしてストレッチャーのまま川に入っている場面を掲載。「寝たきりが一番ラク!」などの笑いを誘うフレーズを添えた。
撮影は東京都の写真家、越智貴雄さん(39)。14年に義足の女性の写真集「切断ヴィーナス」を出版して話題を集めた。00年のシドニー・パラリンピックで撮影してから、障害者アスリートに魅せられてきた。
初めは「カメラを向けていいの?」と戸惑ったが、体がぶつかり合う車いすバスケットの選手らの迫力に圧倒された。「感動が、障害のある人へのイメージを変えてくれた。僕自身の世界が広がった」
あそどっぐとの出会いは11年。撮影で腰を痛めて入院中、コントをテレビで見て、げらげら笑ったという。「自分が寝たきり状態の時、寝たきりを笑いにしてくれる人がいた。『寝たきり』のネガティブなイメージを変えてくれた。パラリンピックのアスリートと同じだと思ったんです」
「寝た集」の反響は様々だ。ツイッターには「遠慮なく笑うわ」「障害があろうとなかろうと面白かったらウケるし、面白くなかったら消えるだけ」「正直笑うのはきつい」……。大手通販サイトのレビューには「障害は個性なんてあそどっぐには通用しない。彼にかかれば障害は武器!」。
あそどっぐは「芸人冥利(みょうり)に尽きる、幸せな写真をたくさん撮ってもらった。小学生にも回し読みして楽しんでほしい」と話している。
「寝たきり芸人」として活躍し、写真集も出したあそどっぐ
2018年1月28日 朝日新聞