無理解、誤解…「門前払い」のダメージ
これまで、このコラムで何回か指摘してきましたが、視覚障害者に対する日本の救済制度は複雑です。急に障害者になった人が、生活に不自由さを抱える中、自分だけでこの救済制度を利用できるところまで到達するのは容易ではありません。
しかも、障害を持った当事者が最初に相談するのは、おそらく医師や病院・医院のスタッフだと思いますが、これらの人たちは診断・治療に関する専門家ではあっても、複雑な救済制度を理解したうえで患者に適切な情報を提供できるほどの知識を持っている人は少数です。結局は、当事者が自分で見つけてくるしかないのです。
障害者に寄り添うよりも…行政側は不正申請チェック?
最近の年金支給漏れのニュース「 年金機構のミス2万5426件…現在も月平均100件 」をみても、当の年金機構側が制度への誤解などからミスを発生させています。素人である一般の国民にとって、現在の社会保障制度が複雑すぎるという欠陥があることは明らかです(「 年金支給漏れ どう確認…改定通知書に振替加算額 」)。
いったい、省庁、地方自治体、年金事務所など行政機関の窓口担当者は、相談者に寄り添い、少しでも社会保障のセーフティーネット(安全網)を機能させようという姿勢で、最新の知識や制度を勉強して対応しているのでしょうか。
それらの担当者は多忙なこともあるかと思います。しかし、当事者が実際どれだけ不自由な生活を送り、どれだけ困っているのかについて考えて対応することよりも、制度を運用する法律などの文字面(づら)を睨(にら)んで、障害者からの申請がそれに合致するかどうかや、不正に申請しようとしていないかを厳密に調べることを求められているように見えてしまいます。
私の患者さんの中にも、明らかに障害にあてはまるのに、申請先の窓口担当者が勉強不足で、法改正などによる最新の考え方・取り組みを知らないために、救済制度の「適応外」と判断されてしまうことがありました。
まぶしさや痛み、目の渇きなどがおこる眼瞼(がんけん)けいれんという病気のため眼を開けて生活することが難しい人が、障害年金を申請しようとした時のことでした。
当時の窓口担当者は、この病名を初めて聞いたとのことで、以前に取り扱ったことはもちろんありませんでした。結局、この担当者の無理解や誤解によって、この患者の申請は門前払いされてしまいました。
私はそんな時、「それはおかしいから、もう一度別の人に話してみたらどうか」などと、勧めることがあります。しかし、いったん窓口で門前払いされた患者は、我々が想像するよりも数倍の心理的ダメージを受けており、なかなか次の行動に移せなくなります。
そうなることで、患者が自分の障害を受け入れるまでの時間が余計にかかってしまうだけでなく、国や自治体に対する不信感や諦めの気持ちを募らせることにさえなってしまうのです。
「小さな幸せ感」が生まれれば…
逆に、患者が円滑かつ迅速にセーフティーネットの支援を受けることができれば、「たとえ治らなくても、病気と共存して生活していこう」と前向きに人生を歩めるだけでなく、「良い国に生まれた」という感慨を持つでしょう。その周囲の人たちにも「小さな幸せ感」が生まれるに違いありません。
患者たちの申請がどうすれば通るのか、行政の窓口担当者が親身になって丁寧に説明すること、申請が通るまで支え続けることは、時間も労力もかかるかもしれません。しかし、当事者に寄り添うことは社会的に大きな価値をもたらすはずです。
窓口がそんな雰囲気になっていくには、どうしたらいいのでしょうか。まず政府が、障害者を交えた日本社会全体に温かい目を向けていることがわかる施策を行うことが大切なのだろうと思います。
このような「小さな幸せ感」は、必ずや、日本の社会や経済への大きな効果をもたらす「種」になるのではないでしょうか。
私の患者さんの中にも、明らかに障害にあてはまるのに、申請先の窓口担当者が勉強不足で、法改正などによる最新の考え方・取り組みを知らないために、救済制度の「適応外」と判断されてしまうことがありました。
まぶしさや痛み、目の渇きなどがおこる眼瞼(がんけん)けいれんという病気のため眼を開けて生活することが難しい人が、障害年金を申請しようとした時のことでした。
当時の窓口担当者は、この病名を初めて聞いたとのことで、以前に取り扱ったことはもちろんありませんでした。結局、この担当者の無理解や誤解によって、この患者の申請は門前払いされてしまいました。
私はそんな時、「それはおかしいから、もう一度別の人に話してみたらどうか」などと、勧めることがあります。しかし、いったん窓口で門前払いされた患者は、我々が想像するよりも数倍の心理的ダメージを受けており、なかなか次の行動に移せなくなります。
そうなることで、患者が自分の障害を受け入れるまでの時間が余計にかかってしまうだけでなく、国や自治体に対する不信感や諦めの気持ちを募らせることにさえなってしまうのです。