半世紀前に「東京パラリンピック」があった(5)
「障害があるから何か手を差し伸べるのではなく、その人がやりたいことを見守って、必要なときにちょっとだけ手を貸すということが、あちこちで自然に行われたらいいなあと思います。『何かお手伝いできることはありませんか』と問いかけていただけるとうれしいです。『大丈夫です』というときもあるかもしれませんが」
――人々の意識を変えるうえで、東京パラリンピックはどんな役割を果たせそうですか。
「パラの選手たちは障害があることを前提に、自分たちの限界に挑戦しています。できないことには目を向けず、できること、得意なことをさらに伸ばしていくと、一体どんなことができるのだろうという人間の可能性を示してくれるのがパラリンピックです。日本の若い人たちが今まで知らなかったカテゴリーの障害者を見て、『この人たちすごい』という羨望のまなざしになれば、『かわいそうな、助けてあげないといけない人』という固定観念はがらっと変わると思います」
――64年の東京パラは、まだリハビリに近いものでした。20年は格段に競技レベルが上がっているので、観戦する側のインパクトも大きいのではないですか。
「そうですね。ただ残念ながら、日本では障害者スポーツを見るときにフィルターがかかっていると思います。というのも私の夫はカナダでパラアイスホッケーをしていたのですが、大会があると地元の人たちはお金を払って試合を見に行きます。そして応援しているチームが、どうでもいいパスで失点したときはブーイングをします。『そんなところにパスを通したら駄目じゃないか』と、みなはっきり言うのです」
「でも日本ではブーイングはありません。障害のある人ががんばっているだけですごいんだから、思っても言わないのか。障害がある人に罵声を浴びせるのは、人間として失格と思っているのか。そうしたフィルターが消えたときに、私も普通の感覚で生きられるようになるのだと思います。見たものをそのまま感じて、言いたいことを素直に言えるようになったらいいなあと思います」
――20年の東京パラでは、会場を満員にしたいという声をよく聞きます。有料で、それができそうですか。
「私は、ただ人がいればいいわけじゃないと思っています。16年のリオのパラリンピックは満員ではありませんでしたが、来ている人がみなエキサイトしていました。だから満員の会場を上回る声援が送られていました。わけが分からず連れてこられているのなら、意味がないと思います」
(聞き手はオリパラ編集長 高橋圭介)