観・環・感

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袴田事件と死刑廃止論

2007年06月25日 | 日記
今日の「asahi.com」に”元プロボクサーの袴田巌死刑囚(71)が冤罪を訴えて再審を求めている「袴田事件」で25日、同死刑囚の支援者らが最高裁に上申書を提出した。一審の静岡地裁判決(68年)を担当した元裁判官の熊本典道さん(69)の陳述書も添付。「公判の当初から無罪の心証を持っていた。合議で他の裁判官を説得できず、死刑判決を書かざるを得なかった」などとしている。” という記事があった。
この裁判官は、良心の呵責に堪えられず、判決の翌年裁判官を辞めている。そして、「39年間、有罪判決を書いてしまった責を背負ってきた私に出来ることがあれば償いたい」と言っているである。
元自民党、今、国民新党の亀井静香氏(死刑廃止議員連盟勉強会会長)は、かねて「死刑には犯罪の抑止効果がない、かりに抑止効果があったとしても、冤罪というものが必ずつきまとう、冤罪は、本人にとってみれば、とりかえしのつかない100%の誤りで、そういう冤罪の危険を伴う死刑制度によって社会秩序を維持しようということには自分は同意できない。」と主張している。
まさにそのとおりだと思う。また、死刑になるような事件でなくても冤罪はあると思う。有罪判決を受けた人の中で気の弱い人とか、知能の劣っているいる人の中には、事件に全く関係なくても犯人にされている人はかなりいるのではないか。
特に日本の刑事裁判の有罪率は有罪率99.86%と異常に高い。アメリカでは一審で無罪なら無罪が確定するが、日本では検察が控訴できるので、有罪の可能性の高い人を一回の裁判で無罪確定という危険性はなく、慎重に対応できるのはいいのだが。日本は、起訴されるとほとんど有罪ということが常識になっているから、無罪になると検察は控訴してくる。
車の上手な人が事故を起こしたり、名医でも誤診することだってあるのだから。警察、検事や裁判官が誤ることだってあるはずだ。どんなに素晴らしい人間、いや、神でさえ間違うことはあると思うからだ。また、検挙率が年々下がっているのに、有罪率は変わらないということは、捕まった犯人はよほど馬鹿ということか。
犯人がなかなか捕まらないということは、捜査能力が劣っていないとすれば、犯人側が巧妙になっているのである。ということは、それだけ冤罪も増えるという計算になってくる。
死刑になってから真犯人が見つかっても、死刑になった人は生き返られないのだから、私は罪の厳罰化には賛成だが、死刑制度には反対だ。