
姓名判断や運命予知について
もっと詳しく書いてほしいという要望が
面識のある人 ない人 を含め複数の人から寄せられています
私と致しましても
もっと詳しく書きたいところです
書きたいけど書けない
書き始めても数行でキーボードを打つ手が止まってしまう
私の場合
姓名判断を初めとする 人間観察 の手法は
ほぼ、100% 経験と観察から導き出されたものです
私の人間観察の手法を人に説明しようと思うと
その根拠が必要になってきます根拠を説明しようと思うと、どうしても
実際に私が経験した事や私に縁がある人物の事を書かざるを得なくなります。
それを話さないと本意が伝えられないことが多くあります
しかしながら
私に縁がある人を 話のネタ する事に大きな罪悪感を感じます
私の信用にも関わってきます
明るみにしたら問題になる 裏話 も多くあります
仮名を使ったりしてもやはり罪の意識を感じます
話を少しアレンジして、ストーリーは違っても
骨組み は一緒にする と言った手法を使う事も事も出来ますが
そんな事をやると、私自身が
現実と想像の世界 の区別が付かなくなってしまう可能性があり
恐怖を感じます
自分の教養と経験を元に、それをアレンジして描いた架空の話を、
無意識のうちに
自分自身が現実の話として認識してしまう
そういったクセが付いて
しまう恐れがあるからです
凡人がそうなってしまうと、かなりの危険が伴います
マトモナ死に方が出来ない事になってしまいます
宗教家 や 小説家 には、この落とし穴に落ちた人が多くいます
これがもっとひどくなっ来ると、自分の知識から導き出された 言葉 を
「 神のお告げ 」 だとか 「 霊の声 」 「 霊感 」
だとか言い出す
かつて、宜保愛子 と言う霊能者がテレビに出て一大ブームになった事があります
彼女の場合まったくこのタイプだと思います
後に、彼女の子供がそれを裏付ける多くの告発をしています
彼女は自分が人から聞いた事を無意識に「自分が実際に見た事 」として認知し
それを記憶として残してしまう性癖があったとの事
子供は彼女の 霊感 を頭から否定していました
これの延長で、自分の知識を 「 霊の声 」 として感じる
習慣を身に付けたのではないかと思います
ただ、彼女には人の 「心」 や 「意識」 「拘り」 を察知する
鋭い感性があった事は事実のようです
霊言 とか お告げ 霊感 とかという話は
99パーセント「 意識の暴走 」であると思います
なぜなら、 霊言とか霊感は
その人の知識を超えた内容の言葉を発する事はできない
霊媒 霊言 霊感 の真偽は別として
その人がもつ意識や情報 以上の言葉は口から出る事はない
要するに 「 霊言 」とは
その人の潜在意識から出てくる言葉であり
潜在意識にないモノを再生する事はできない
すべてがそうだと思っている訳ではありません
例外もごくごく稀ではあるけど起こり得ると思います
その、例外的存在が 釈迦であり キリストであり マホメッド
ではないでしょうか
勿論、現代にも凄いお方は存在すると思います
現にそういうお方を知っております
でも、
そんのようなお方は無闇やたらと世間に顔をお出しにならない
私は、所詮 凡人
凡人が思い上がると厄介な事になります
大きな妄想に取り憑かれないよう常に注意しています
そういった事情で 姓名判断 や 占い的 な事はこのブログには
あまり書けないといった状況でございます
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