いまや別の意味で名物コラムとなった朝日新聞の「天声人語」。
本日も、相変わらず引用のみの文章に終始している。
もう完全にパターン化しているといってもいいだろう。
書いているのはいったい誰なんだと、あちこち検索した結果やっとわかった。
現在の執筆者は「高橋郁夫」というおっさんなんだそうな。
「朝日新聞東京本社の社会部長を務めるなど社会部での取材経験が豊富で、2000年夏~2002年末までは、夕刊のコラムの『素粒子』を担当していた方。56歳」だって。
残念ながら、これ以上のことはわからなかったが、天声人語に文句をつけているのは私だけではないこともわかった。
「paranoiacな日々」という、いかにもなタイトルをつけたHPの管理人がいて、この方は毎日天声人語に限らず、各紙のコラムや社説を読んではいろいろと批評をしている。
http://www.sol.dti.ne.jp/~die/2004_05.html
で、この方も・・・
「・・・・それでおしまいです。それに対する意見や、熱意に対する賞賛や、意気込みに対する賛辞は、何一つありません。まったくありません。事実を述べただけのコラムです。小学生のとき、読書感想文で『あらすじだけを書くのが読書感想文ではありません』と注意されたものですが。天声人語子はマトモな文章の書き方を学んでこなかったのでしょうか」
とか
「(中略)とりとめもない雑文、以上のものではないな。そういう方向性のコラムが多いのは、高橋郁夫氏天声人語の特徴かもしれません」とか、割と冷静に批判をしておられる。もちろん誉めていることもあるけど・・・
こんなふうに、ほぼ毎日チェック(茶々を入れる?)しているのはたいしたものだ。
ただ逆に言うと、それだけ天声人語に限らず「言っている意味がよくわからない」とか「それはおかしいんじゃないの」という突っ込みを入れたくなるようなコラムや社説が多いのではないだろうか。
「天声人語は大学入試によく出題される」などと自慢してはいるが、どこかの専門学校(マスコミ関係?)では、「今の天声人語は読むな」と指導しているとか。
「昔の深代惇郎や入江徳郎、荒垣秀雄などの時代の文章ならともかく、ここ数年の執筆者のモノは、読むに値しない」んだそうです。
でも、いまだに「文章力をつけるのなら、天声人語を読みなさい」って言っている人はいますよ、実際に。
本日も、相変わらず引用のみの文章に終始している。
もう完全にパターン化しているといってもいいだろう。
書いているのはいったい誰なんだと、あちこち検索した結果やっとわかった。
現在の執筆者は「高橋郁夫」というおっさんなんだそうな。
「朝日新聞東京本社の社会部長を務めるなど社会部での取材経験が豊富で、2000年夏~2002年末までは、夕刊のコラムの『素粒子』を担当していた方。56歳」だって。
残念ながら、これ以上のことはわからなかったが、天声人語に文句をつけているのは私だけではないこともわかった。
「paranoiacな日々」という、いかにもなタイトルをつけたHPの管理人がいて、この方は毎日天声人語に限らず、各紙のコラムや社説を読んではいろいろと批評をしている。
http://www.sol.dti.ne.jp/~die/2004_05.html
で、この方も・・・
「・・・・それでおしまいです。それに対する意見や、熱意に対する賞賛や、意気込みに対する賛辞は、何一つありません。まったくありません。事実を述べただけのコラムです。小学生のとき、読書感想文で『あらすじだけを書くのが読書感想文ではありません』と注意されたものですが。天声人語子はマトモな文章の書き方を学んでこなかったのでしょうか」
とか
「(中略)とりとめもない雑文、以上のものではないな。そういう方向性のコラムが多いのは、高橋郁夫氏天声人語の特徴かもしれません」とか、割と冷静に批判をしておられる。もちろん誉めていることもあるけど・・・
こんなふうに、ほぼ毎日チェック(茶々を入れる?)しているのはたいしたものだ。
ただ逆に言うと、それだけ天声人語に限らず「言っている意味がよくわからない」とか「それはおかしいんじゃないの」という突っ込みを入れたくなるようなコラムや社説が多いのではないだろうか。
「天声人語は大学入試によく出題される」などと自慢してはいるが、どこかの専門学校(マスコミ関係?)では、「今の天声人語は読むな」と指導しているとか。
「昔の深代惇郎や入江徳郎、荒垣秀雄などの時代の文章ならともかく、ここ数年の執筆者のモノは、読むに値しない」んだそうです。
でも、いまだに「文章力をつけるのなら、天声人語を読みなさい」って言っている人はいますよ、実際に。
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