はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

なんで国が立ち向かっちゃいけないの?

2014-05-03 | 日記
憲法記念日の今日、朝日新聞の看板コラムがまたまたわけのわからないことを言っている。

例によって全文引用する。


<5月3日の作品>

「バナナの輪」が世界に広がっている。先月末、サッカー・スペインリーグの試合で、観客がブラジル人選手に向けてバナナを投げ込んだ。サル扱いを意味する侮辱であり、人種差別である▼当の選手はこともなげに拾って皮をむき、一口ほおばって競技を続けた。そのクールな態度が称賛を呼んだ。ブラジルのスター、ネイマール選手はバナナを手にした自分の画像をネットに掲げ、「俺たちは皆サルだ」と書いて抗議の意思を示した▼元日本代表監督のジーコさんやインテル・ミラノの長友佑都(ゆうと)選手も輪に加わった。誰に指図されたのでもないだろう。差別反対を訴えるうねりの、あっという間の広がり方は爽快ですらある。この世界にはまだ希望があると感じさせる▼最近の我が世相を顧みる。サッカー競技場に「日本人のみ」の横断幕が出現した。四国の遍路道でも外国人排斥の貼り紙が現れた。ヘイトスピーチの当事者は、憲法が保障する表現の自由を盾に正当性を主張する▼もとより差別は自由を奪う。例えばナチスの記憶を受け継ぐドイツは、自由の敵には自由を与えない。ヘイトスピーチは法で罰せられる。不寛容を許さない姿勢は「たたかう民主制」と呼ばれる▼ただ、そこには、誰が敵かを権力が恣意(しい)的に決める危険性も潜む。だから、日本国憲法は自由の敵を初めから排除はしていない。この場合、敵にまず立ち向かわなければならないのは社会であり、個々人ということになる。そう、あのバナナの輪のように



「憲法記念日」にちなんで、差別の話から何とか日本国憲法に繋げようとしてるのだろうけど、所々に悪意が感じられる以外は、結論部分が意味不明だ。

そもそも、浦和レッズの「日本人のみ」横断幕は、人種差別ではない。

単に「応援の邪魔になるから」ということで、外国人は来てほしくない、ということだから、人種に関係なく「日本人以外はすべて」という意味であり、そこには「チョンはダメ」とか「黒人はダメ」などという意図はまったくないはず。

四国の遍路道での外国人排斥とは、逆にチョンが勝手に余計な貼り紙をしたことに対する抗議であり、「排斥」ではなく「勝手なことをするな!」という警告である。


そして、話はいつのまにか「ヘイトスピーチ」に変わり、ナチスへと飛ぶ。

人種差別に限るのであれば、ナチスが出てくるのは仕方がないとしても、最後の最後になぜか日本国憲法が出てくる。

しかし『日本国憲法は自由の敵を初めから排除はしていない』とは、どういう意味なのかよくわからない。

もしかして「集団的自衛権」のことを言っているのだろうか。

「自由の敵であっても、それを排除してはいけない」という意味にしか取れないのだが。

まるで「自由の敵」シナを念頭に置いているようにも取れる。

さらに『敵にまず立ち向かわなければならないのは社会であり、個々人ということになる』というのは、もっとわからない。

ここも「自由の敵が来ても、国がこれに立ち向かってはいけない」という意味にも取れる。

なぜ「自由の敵」が来たら、社会や個々人が立ち向かわなければならないのか。

善意に解釈すれば、「差別に対して国が関与すると、恣意的な動きがあっては困るから」というように取れなくもない。

しかし、「自由の敵」という言葉からイメージできるのは、今のところシナしかないので、どうしても「シナに逆らってはいけない」という意味にしか取ることができない。

たぶん、最初からそのような思惑があって、それを人種差別問題から強引に繋げようとしたのだろうとさえ思ってしまう。

何せ、朝日新聞の看板コラムですから!


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