老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    百葉箱

2018-02-09 10:04:37 | 俳句

    

    🐇     岳やいま百葉箱は雪の中

 いつ作った句?20年も前か。
立山へ登った。雷鳥が見たかった。
写真で見る雷鳥と期待が外れたのではない、大きさが違っていたのに驚いた。
目の前のはえ松の辺りで遊んでいる雷鳥の小さく可愛いこと。
何とも名前に似あわないイメージの鳥だった。

そこに、百葉箱があった。
強風に、はえ松は岩陰に本当に地に這うように低くある。それを想い出し雪の頃、この立山で見た百葉箱を詠んだ句だ。

農業試験場にも、百葉箱が。
それを見て記憶が甦った。

葉牡丹が美しく植えられていた。

      

その中の一花が昨夜の雪が融けかかって葉の上に散っていた。
花弁にすれば、牡丹より肉厚だが、牡丹の名前を冠るに恥ずかしくない綺麗な葉牡丹、花とあえて言う。

    🍒    葉牡丹や母はいつでも父をたて

    🍒    真珠のやう葉牡丹に雪の華のあり

本当は一家の中で母が一番強い。
しかし、表では父の後ろで脇役を務める。

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    いいこと聞いた

2018-02-08 11:50:33 | 俳句

 

             

 農業試験場で初めて見た。

             

 近くの花屋で見つけた花を庭に植えるのみで、私はガーデニングに凝る程ではない。新しい種を追い求めることもない。
綺麗な花、これ初めてと思ったのが、この花たち。

             

 そう、チェイラサンス と云う、名前の花である。
ストックの棚の横に飾られていた。
花舗に並べば、人気がでるであろう。強そうで長持ちしそうで、珍しい色もある。
アブラナ科であるから、アップすれば、菜の葉にそっくりである。
春だ。

                  

 テレビを観ていて面白いことを聞いた。
「辻仁成さん」
芥川作家であり映画の監督もする エトセトラ、、、、 多才の持ち主のミュージシャンある。
綺麗な女優さんと結婚を繰り返したが、別れた。

 彼が他人の悪口は空疎であるし悪口からは何も生まれないってなこと、、、、
悪口を言えば、天に向かって唾を吐くのと同じ、みな自分に返ってくるようなこと。
こういう趣旨のことを、一言一句正解ではないが、内容はこんな事を語っていた。

 嫌な人の、悪口や嫌味なことを言いたいときは、、、 ここからが 面白い。

トイレットペーパーに嫌な相手、悪口を言いたい相手の名前を書く。
そのペーパーを大の時に使用をする。「大ですよ」と誇張をしていた。

 試して合点、、、、いい事言う言うじゃない。 私も近々、実践をしてみるか。

 ①ば~ん    A
 ②ば~ん    S 

 ③・④  が、な~い
 ⑤ば~ん    己自身

 この行為で長年、私の身ぬちに巣食っている邪鬼を追い払うことができれば、何とお安いこと。
しかし、少し?醜い行為かな。? 

お利口ぶってんじゃないよ、それで鬱憤がはらせればいいじゃん。
早速、トイレにマジックインキを置いておこう、、っと 

しかし、作家ってのは創造性が豊かだ。七人の敵をそうやって辻氏は薙ぎ払っていたのだ。

 

 しりとり俳句から

     🎈    風船で縁取られたる出口かな    ラスカル

     🎈    風船のひとつは紐をもたさるる    ぴのこ

     ⛵    寒凪や舟の出はらふ小さき湾    むめこ

     🐦    春光の一湾統べる鴎かな    ラスカル

こんな具合に一昨日のしりとり俳句。    

 

 

 

 

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     生きていた時の 🐕 殿ちゃん

2018-02-07 10:55:14 | 俳句

    

 殿が生きていた時は、日常の外出は病院とデパート以外はいつも一緒にお供に連れ出していた。
毎日の散歩は勿論のこと、野暮用の時も、いつも先にたって車に乗り込むのは殿ちゃんであった。
殿ちゃんを連れていると、どんな露地でも迷って入り込んでも不審な目では見られたことは無い。
最近車で走りながら、あらゆる香川県の道という道を散歩していたと思いだした。
今ここ知らない場所を、一人で歩くと不審人物として建物の影からそっと監視されているに違いないだろう。
車で走っていると、「おしっこがしたいから車を止めて」と殿が催促をする。
車を止めて草むらでおしっこを終わるとその辺を10分ほど散策をする。
それで満足をした殿は、静かに目的地につくまではお利口にしている。

 本当に可愛かった。

       

 ある時、家の周辺を、いつものように散歩をしていた。
高校の門の前に二人連れの男性が立っていた。
挨拶をして通りすぎようとすると、その内の若い男性が「可愛い犬ですね」と声をかけてきた。
自慢、そう自慢、殿は一日に一回は誰かに逢うたび「可愛い」といわれていた。
名前まで知っている人がいて、「殿」と声をかけてくれる。

買物に行くと、自転車置き場に繋いで私の買物が終わるのを待っていたのだ。いつも、いつも誰かが遊び相手になっていてくれた。
殿の嫌いな場所は図書館。ここでは10分もするとワンワンと吠えて私を呼ぶ。
相手をしてくれる人もなく、寂しいか?それともここの雰囲気がきらいなのか、図書館では私もおちおちはしていられない。

 学校の校門の前で声をかけてくれたのもいつものことと思いつつ、すぎようとした。ふと声をかけてくれた若い男性の顔を見ると、タレントの 篠山紀信の息子のアッキー君。
「可愛い犬ですね、何という種類ですか?触ってもいいですか?綱を持たせて下さい」と話かけてくる。
「どうしてここに?」と尋ねると、ロケに来て、待ち時間があったので、、、」
と応えた。

 今朝、NHKの番組「あさイチ」を観ているとそのアッキーが泣いている。
「あさイチ」の番組が今年三月で終わると出演者が云っていた。アッキーもその番組の出演者で各地をリポートしていた。殿と逢った時もそんな時か?
今朝は番組が終わるのが悲しくて泣いていたのである。

         

 アッキー君を、それで今日は殿のことを、思い出してしまった。
 
 金毘羅へ歌舞伎のお練りを見に行った時。
お練りの行列が来るまで、待ち時間を公園のベンチに座った。
隣のベンチに座っていた個性的なヘアースタイルの男性が殿を見て、オオーおおーと云う。殿は喜んで尻尾を振って振って足元に行く。
篠山紀信さんであった。
親子二人して、殿は何かのご縁があったみたい。
篠山紀信さんは金毘羅歌舞伎の写真の撮影に来ているとおっしゃっていた。

 今年は 戌年。
殿のことを忘れてはいないが、今日はたっぷりと殿のことを偲んだ。
犬は殿、殿以外の犬を飼おうとは思わぬ。
野良犬の餌やりは毎日欠かさない。寒くてもいつもの場所で待っている。決してなつかないけれど。

       

 それなりの愛情はあるが。。。。
片足が無く近所の犬好きの何人かからも餌をもらっているみたいだ。よく肥えている。

 

  

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    鳥がいない、、、、

2018-02-06 12:28:00 | 俳句

        

 ふっと気がついた。
鳥の姿が見えぬ。
鳴き声がしない。

いつも来ていて、今まで気づかなっかた。

 去年、不注意から眼鏡を落としてしまった苦い思い出が残る椿園。
そこにも普通なら、この頃であれば、ひよどりや、雀など、どこでも見ることのできる定番の小鳥がいるはずである。
椿の葉がくれに枝渡りしているであろう鳥が一羽もいない。

     

椿園や、梅園を巡り、蠟梅の坂道を登ると、飛行場がある。

電波塔やくるくると回っている「何て名前」扇風機の大きな羽とような建造物。近くには管制塔がある。

     

 空には真っ白い春の雲が。、、、見ただけで旅心がわいてくる場所なのだ。離着陸する飛行機が見える。

 もしかすると、飛行機の離着陸の時に発する大きな爆音が、鳥たちが近かずけないでいるのではないのかと考えた。

       

 もうすぐ三春から讃岐に贈られてきた瀧桜が咲く。
あの日本三つに入る名にしおう桜、三春の瀧桜の子供。固い莟を付けている。

何棟も温室が建ち並び、県民がいつも花を見に来る農業試験場である。
小鳥の囀ずりが色を添えたら、もっともっと素晴らしく楽しい場所だと、少し残念だ。

 

しりとり俳句から

     🍒   梵字薄る磐に幣張る寒桜    (薄い )

     🍒   瀧桜讃岐へ嫁に三春から    (桜) 

     🍒   塗盆に粗相を残し雪うさぎ    (雪うさぎ)

      🍒   早梅や満ちたり欠けたり月ひと夜   (梅)

     🍒   父遺す今年も見事盆の梅     (盆)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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    未知の猫ちゃん、、、

2018-02-05 11:04:24 | 俳句

     

 散歩をしていると、10メートル前方に猫がいる。
模様の綺麗な猫である。
どこかの家の飼い猫、それとも野良猫か?初めて見かけた猫である。
首に鈴?見えない。
ポケットからスマホを出す間に段々と遠ざかって行く。
後ろを振り向きもせず、勝手知ったる天下の公道と悠々と歩いている。

 もう一度会いたい。

                   

 それに比べ我が家の 姫ちゃんは、ストーブの傍から離れない。終日、電気毛布を敷いたうえで、まどろんでいるばかり。少し動くと大きく肩で息をする。
もう一度若さを取り戻してやりたいけれど、せんない願だ。

         

 ある所にはある。畑のこと。
野菜が雪の被害で、全国で高値が叫ばれている。
散歩の途中、キャベツが青々と畑に有るのを見た。
ここは畑に塵ひとつ、草一本も生えていない、まことに綺麗な畑だ。
かって農協に勤めていた人の菜園。いつも見事な野菜を作っている。
この人に限らず、この辺りの家は若い時は、サラリーマン。退職をしてから、米を作ったり、果樹の栽培、野菜作り、、と老後を楽しんでいる。
我が家にいつも、果樹や野菜を下さるのも、昔は私鉄に勤めた鉄道マンであった。
別れる時はいつも、「じゃぁ」と最敬礼をする。
店頭に並んでいる野菜に手を伸ばし、値段が高い時はため息をつきながら、寒い時、暑い時の農作業を見ているものだから、彼等の努力が頭の中をよぎり、高い安いなぞと云っていられないと思う。

 

    ☆    甘藍の玉巻くまえの青さかな     佐川広治

    ☆    月光に冬菜のみどり盛りあがる    篠原梵

 田舎住の私には、本当の眼前を詠んで余すところ無く、足らぬものも無い詠みっぷりだ。いつも接している風景が浮かびあがる。

 

     🍒    今日も来て冬菜畑の隅に婆

     🍒    あまねく日冬菜畑の息づいて

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