老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    躑躅

2019-06-05 11:59:28 | 俳句

   

(恋ツツジ) ハートの型をしているから、そのものずばり 恋つつじ と名前が付いている。

栗林公園の人気のスポットだ。池の中の島に咲いている ツツジが剪定中にこんな型になって現われたそうだ。最初からこのような型にやろうと思ったのではなく、偶然に刈りこんでいたらハートの型だった。

恋人がスマホで、恋ツツジをバックに写真を撮っている。

結婚式の記念写真の前撮りもさかんに撮っていた。

 

      ☆     前庭に燃え広がりし躑躅かな     櫂

読めば、あそこの庭だろうか、あの公園だろうか?景色が眼前に浮かぶ。 私には、屋島東照宮の鮮烈な赤色が印象深かった。

 

      ☆     日の昏れてこの家の躑躅いやあな色    鷹女

三橋鷹女のこの句、口でころがすと、何倍も素敵な、好きな句になる。想像力を働かせば、嫉妬に狂った女の句だな。身の置き所がなく躑躅にあたっている。

 

 

 

 

 

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     あえて この俳誌の元で

2019-06-04 10:23:08 | 俳句

     

 

俳誌が届く。

いつも後ろから見る。自分の名前があった時の嬉しさ。

最近は五十音順になっているから、自分の名前と選をされた句の数が同時に分る。勿論、全没だと名前も無い。

こんな、はらはらどきどきが、月に一度はあるのだ。

今更、新しい結社に入会をして一から出直すつもりもないし、時間も残っていない。

 

     

 

「干潟」の句を詠んで投句をしていたらしい。 投句をした句を残しているページがあるが、今は、そこさえ見ない。なるようになって、全没だって、そう、反省もやらぬ。師はどうして全没になったか、良く考えろ!、、、とおっしゃるが、そこまで勉強をする熱意が失せてしまっている。

「干潟」たまたま上載の「干潟」の写真があったが、こんな「干潟」の規模ではない。一面オード色の潟が広がっている。橋の上に立っていると、両岸は蘆と乾いた浜辺が拡がっている。(早春の砂州)

相引き川と新川が合流をして、瀬戸内海に流れ込む砂州だ。まことに荒涼とした景色。しかし蘆原からは春の足音が聞こえそうで、いつも車で通りすぎるが、たまに散歩の足を伸ばしてここまで行く。

 

        🐢     大干潟目測ながら鳥五百

        🐢     大干潟十五の吾のゐるような

        🐢     大干潟一つの影もなかりけり

 

今月も最後のページから読んだ。上記の干潟の句が選に入っていた。

遠くへ旅や吟行をやらずとも、我が家周辺は。季語の宝庫だと今更に思う。     

 

 

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    日傘

2019-06-03 22:58:24 | 俳句

    

 

         ☆     白日傘道に沿ふたり外れたり    櫂

 

栗林公園の菖蒲園で美しいご婦人が着物に白い日傘をさして歩いているのが、遠目に見えた。

 

最近、少し考えた事が。

最近、コーラスに行っている。声は少しも出ない。しかし、皆さんと歌っていると本当に楽しい。

昔は音大出の先生が指導をしていたコーラスグループで、発声練習から始まったちょっと本格に近いのに参加をしていた。そこも楽しかった。引越しで退会をしてしまった。

今はご近所さんの、ちょっとはコーラスをかじった人のお世話で、それなりに楽しく歌っている。パートもなし。ソプラノの人はそれなりに、アルトの人もそれなりに。大きな声でそれなりに合唱をって感じだ。

それが楽しい。ストレスの発散にもなるし。

 

俳句の事も、、、、

師は厳しい。俳句の世界でどんな賞をとったからって人も、全没は全没。いくら世間から評価を受けようが、昨日俳句を始めた人もベテランも平等に扱う。良い俳句でなければならない。

コーラスで云えば自分のパートの音が出るまで、何回も発生の練習をやって、、勉強!変に妥協をしない。高みを目指し、音程の狂いに目をつぶらない。それはそれで又、楽しい世界。

結社の主宰がいて、投句をされた句を選する。  弟子が可愛いのでは無い。自分が可愛いのだ。 誌友が減っては俳誌の運営も難しい。巻頭の句を持ち回りで巻頭のページに載せて弟子離れを防ぐ。誌友達は嬉しい。もちつもたれつ、外の世界は見ないで、上手になった気分になる。それで良いと思う。そこも俳句の座の仲間達。自分が可愛い人の集まりだ。

近所のコーラスもそこの類い。ニコニコ傷つけあわず、な~な~で歌ってお終い。それで良いのだ。時間潰しにはもってこいのサークル。一言で、言うなら、歌好きのおばちゃんの集まり。その日が良ければ、パート?いいじゃん!楽しいもん!吾を忘れて歌ってたちまち時間が過ぎる。

 

俳句の結社も様々。コーラスと名を借りた集まりも様々。楽しければ良い!

どこが良い、どれが良い、、、世界は一つでは無いとこの歳になって、終活期になって気づくなんて、私はまことお山の大将が。

 

     ☆     摘みためて石の重みや梅の籠    櫂

 

二句とも先日の公園の景が思い浮かぶ。 良い師に巡りあったと思う。

 

 

今日は日傘を作ろうと思い、傘の骨、(材料)を買った。さあ、好きな柄で世界に一つの日傘を作ろう!

 

     ☔     形見の絽手づくり日傘となりにけり

 

 

 

 

 

 

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 睡蓮 菱の花 躑躅 そんな花々の公園

2019-06-02 09:39:05 | 俳句

 

 

睡蓮の花を見に行く。

今まで睡蓮の句を、詠んでいない。詠んで投句をしたかも?しかし残っていないのは全没だったのだろう。

石橋を境に向う側は蓮の池に。

今は葉は巻葉ばかり。葉巻の煙草を思いだした。

 

    

 

写真を撮っている人が多い。写真の愛好家の気持ちが分る。

私は俳句を拾いに。そして愛鳥家もちらほら。大樹を見上げては、鳥の声のする方へ歩んで行く。

今日も外国からのお客さまが、80パーセントくらい?なんだかんだ摩擦のある国の人も?

公園の中のお土産やはこの人達で潤っているのは目に見える。

 

      

 

悠々と目の前にやって来たのは、人間馴れをした青鷺?

首を高く低く。脚を直角に折り前に進む。池の中にいた餌を見つけた?10センチくらいの長さの紐状の物? 咥えるとさっと低く飛んで行った。

 

    

 

水路は繋がっている池は、あめんぼうが遊んで?いる。菱の花の咲いている池だ。しばらく佇んで見ていたが、、、俳句は生まれてこなかった。

栗林公園もすっかり夏に模様がえをしていた。

グループで吟行に来れば、さてどんな句が生まれる?  そんな経験の出来ぬ自分を可哀そうでもあり、諦めてもいる。

 

 

          佇みゐ湖畔青鷺まなかひに

          あめんぼうに家族ありなし見て飽きず

          一流のカッター選手ぞあめんぼ

          睡蓮の池の泥より鯉現れる    

          松の芯講釈ながきボランティア

          サヌカイトと琴の合奏泉殿 

          羊草病みてひととせぶりの旅

          睡蓮に水豊かなる大名邸

          羊草あな恐大き人面魚

 

もっともっと見たままの報告俳句は出来る。締切も近い。推敲推敲、死ぬまで推敲せよと吾が結社。 どないかせんとな~。   

 

 

 

 

 

 

 

 

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