2015=平成27年9月も、拙ブログを宜しくお願い致します。
今月は「防災月間」。前世紀の1923=大正12年9/1に発生、戦中の東京大空襲時とほぼ同等の、約10万の犠牲を生じた関東大震災の災禍を偲び、これからの災害に際し、少しでも犠牲被害を抑えるべく努める月間として定められた経緯があるやに聞く。折しも外は、秋の長雨に突入。今週半ばまでは降雨がちの空模様になりそうで、大雨による水害などができるだけ小規模で済む様祈りたい所。又、多雨量と日照不足は良く知られる様に、青物野菜を初めとする農産物の生育に芳しからぬ影響をもたらす。これも折しも、動物による農産物食害や盗難などが頻発している折、大きなマイナスとならない事を望みたい所であります。
さて、昨夜より公共放送N局にて、防災特番がシリーズで始まった。司会進行はTVの重鎮 タモリさん。+以前「ブラタモリ」で共演したアナウンサー 久保田祐佳さんの応援も得て、来月にかけ放送が進められる様だ。初回の昨夜は、巨大台風の生い立ちと地球温暖化の関わりなどに触れていたが、この先、大地震や火山活動など、我国の社会・経済活動に大きな支障や影響をもたらしそうな所を取り上げて行く見込みなので、俺も注視して参ろうと思っている所である。
昨夜の同番組でも取り上げられていた所だが、この所我国でも全国的に、降雨のパターンなどが変わって来た様に感じるのは事実。以前は多かった、梅雨時などでも弱い雨が半日なり一日なり一定して降るあり様が減り、急な大雨や雷雨などが徐々にだが増えて来ている様な気がするのだ。この傾向は、今後何十年かは続く事を覚悟しておいた方が良いかも知れない。又、数百年に一度と言われる、我々日本人はおろか、全人類の運命を左右する程の大きな気候変動が近い将来起きる可能性も指摘され、事実なら人類存亡の正念場と言う事態も生じ得る。例え、叡智によって核戦争を100%回避できたとしてもだ。
勿論、天変地異の試練はこれだけではない。前述の防災特番でこれから触れるであろう大地震や津波、火山噴火によるそれらも顧慮されなければならず、こうなれば国民市民の避難活動など、従来の思考や方法などが根底から見直しを迫られる事態もあり得よう。避難場所や手順、水や食糧衣料の確保、家族や仲間などとの連絡方法などを普段から確かめておくべきは勿論だが、その想定レベルを超える事態が起こり得る事も、少しは頭の片隅に置いておいた方が良さそうだ。大事なのは、どこまで行っても「自らの身は、自らで守る」と言う事ではないだろうか。
防災を考える時、懸念されるのは、多くの方々がお感じの様に、先の大戦後の日本国憲法下で進められた、自由さや便利さ、快適さを偏重し続けて来た「戦後レジーム」が、果たしてこれから続いて起きるであろう大規模災害の試練に耐えられるのだろうか?と言う疑問だ。俺個人はあくまで「素朴な疑問」だと思うのだが。終戦直後も、福井地震や枕崎台風など、歴史に残る災禍がそれはあったが、今後のそれは、これまでとは規模や度合いが違う可能性が大きくあるのだ。戦後復興が最優先され、余裕のなかった時代に策定された沿革は分らなくもないが、その一方で、かねて問題視されている通り、日本国憲法同様、時代に応じた見直しがされなければならないのも事実であり、その辺りの国民的認識がどの程度なのか、疑問符がつくのも事実。いざと言う時、余りにも「大自然には勝てない」事が顧みられていない、その為に有事の時、適切な避難行動やその関連の協力活動などができ難い様に感じられるのだ。
左派野党やエセ人権派などの護憲原理勢力は、概ね戦後レジームによる「大いなる利権」を得続けて来た連中と見て良い。だがしかし、それは戦後復興の後、大した災害に遭遇する事なく歩む事のできた、高度成長期の恩恵による所が大きいのも事実。もう昭和後期から指摘されて来た事でもあるのだが、これからの、国際面をも含めた社会経済の大変動と共に、こうした気候の大変化による災害の増える時代に、一度も見直される事のなかった18世紀的自由放任思考に依拠する戦後レジームがそのまま耐えられるものでない事は、誰の目にも明らかであろう。現在、安倍内閣が進めようとしている安保関連法制整備は、一面で憲政の原則に問題のある所は事実なるも、防災の為に自衛隊の機敏な活動を期する為にも有効であり、そうした評価もされるべき法案と心得る。他国の不穏な動き同様、気象変動への備えも必要は当然で、安保を非難し、防災にも不真面目な左派勢力が「己だけは大丈夫」などと高を括っているとしたら、言語道断であろう。戦後一貫して、本当は必要な納税もせず、戦後の平穏に乗じてひたすら暴利を貪り続けた多くの巨大企業も、又同罪である。
今回の最後に、全国の防災備蓄物資の盗難がこれも頻発している様だ。大いに遺憾なのは事実だが、倉庫の立地が普段人目につかない場所が多いのも問題ではあろう。防犯カメラの設置が強く望まれる所だが、防犯の専門家の方の見立てでは、カメラによらずとも、防犯灯火や警報ブザーの設置だけでも一定効果があり、コストもそう高くはないらしい。是非速やかな設置普及と共に、高価な発電機などが盗まれ易い所より、犯人はこうした備品の転売で差益を得るのが動機かも知れず、そうした可能性より、高価な備品などは市役所や町村役場など、夜間でも保安の効く場所への保管替えをも視野に入れるべき。こうした防犯対策も、いつまでも同じ事の繰り返しではいけない。
今月は「防災月間」。前世紀の1923=大正12年9/1に発生、戦中の東京大空襲時とほぼ同等の、約10万の犠牲を生じた関東大震災の災禍を偲び、これからの災害に際し、少しでも犠牲被害を抑えるべく努める月間として定められた経緯があるやに聞く。折しも外は、秋の長雨に突入。今週半ばまでは降雨がちの空模様になりそうで、大雨による水害などができるだけ小規模で済む様祈りたい所。又、多雨量と日照不足は良く知られる様に、青物野菜を初めとする農産物の生育に芳しからぬ影響をもたらす。これも折しも、動物による農産物食害や盗難などが頻発している折、大きなマイナスとならない事を望みたい所であります。
さて、昨夜より公共放送N局にて、防災特番がシリーズで始まった。司会進行はTVの重鎮 タモリさん。+以前「ブラタモリ」で共演したアナウンサー 久保田祐佳さんの応援も得て、来月にかけ放送が進められる様だ。初回の昨夜は、巨大台風の生い立ちと地球温暖化の関わりなどに触れていたが、この先、大地震や火山活動など、我国の社会・経済活動に大きな支障や影響をもたらしそうな所を取り上げて行く見込みなので、俺も注視して参ろうと思っている所である。
昨夜の同番組でも取り上げられていた所だが、この所我国でも全国的に、降雨のパターンなどが変わって来た様に感じるのは事実。以前は多かった、梅雨時などでも弱い雨が半日なり一日なり一定して降るあり様が減り、急な大雨や雷雨などが徐々にだが増えて来ている様な気がするのだ。この傾向は、今後何十年かは続く事を覚悟しておいた方が良いかも知れない。又、数百年に一度と言われる、我々日本人はおろか、全人類の運命を左右する程の大きな気候変動が近い将来起きる可能性も指摘され、事実なら人類存亡の正念場と言う事態も生じ得る。例え、叡智によって核戦争を100%回避できたとしてもだ。
勿論、天変地異の試練はこれだけではない。前述の防災特番でこれから触れるであろう大地震や津波、火山噴火によるそれらも顧慮されなければならず、こうなれば国民市民の避難活動など、従来の思考や方法などが根底から見直しを迫られる事態もあり得よう。避難場所や手順、水や食糧衣料の確保、家族や仲間などとの連絡方法などを普段から確かめておくべきは勿論だが、その想定レベルを超える事態が起こり得る事も、少しは頭の片隅に置いておいた方が良さそうだ。大事なのは、どこまで行っても「自らの身は、自らで守る」と言う事ではないだろうか。
防災を考える時、懸念されるのは、多くの方々がお感じの様に、先の大戦後の日本国憲法下で進められた、自由さや便利さ、快適さを偏重し続けて来た「戦後レジーム」が、果たしてこれから続いて起きるであろう大規模災害の試練に耐えられるのだろうか?と言う疑問だ。俺個人はあくまで「素朴な疑問」だと思うのだが。終戦直後も、福井地震や枕崎台風など、歴史に残る災禍がそれはあったが、今後のそれは、これまでとは規模や度合いが違う可能性が大きくあるのだ。戦後復興が最優先され、余裕のなかった時代に策定された沿革は分らなくもないが、その一方で、かねて問題視されている通り、日本国憲法同様、時代に応じた見直しがされなければならないのも事実であり、その辺りの国民的認識がどの程度なのか、疑問符がつくのも事実。いざと言う時、余りにも「大自然には勝てない」事が顧みられていない、その為に有事の時、適切な避難行動やその関連の協力活動などができ難い様に感じられるのだ。
左派野党やエセ人権派などの護憲原理勢力は、概ね戦後レジームによる「大いなる利権」を得続けて来た連中と見て良い。だがしかし、それは戦後復興の後、大した災害に遭遇する事なく歩む事のできた、高度成長期の恩恵による所が大きいのも事実。もう昭和後期から指摘されて来た事でもあるのだが、これからの、国際面をも含めた社会経済の大変動と共に、こうした気候の大変化による災害の増える時代に、一度も見直される事のなかった18世紀的自由放任思考に依拠する戦後レジームがそのまま耐えられるものでない事は、誰の目にも明らかであろう。現在、安倍内閣が進めようとしている安保関連法制整備は、一面で憲政の原則に問題のある所は事実なるも、防災の為に自衛隊の機敏な活動を期する為にも有効であり、そうした評価もされるべき法案と心得る。他国の不穏な動き同様、気象変動への備えも必要は当然で、安保を非難し、防災にも不真面目な左派勢力が「己だけは大丈夫」などと高を括っているとしたら、言語道断であろう。戦後一貫して、本当は必要な納税もせず、戦後の平穏に乗じてひたすら暴利を貪り続けた多くの巨大企業も、又同罪である。
今回の最後に、全国の防災備蓄物資の盗難がこれも頻発している様だ。大いに遺憾なのは事実だが、倉庫の立地が普段人目につかない場所が多いのも問題ではあろう。防犯カメラの設置が強く望まれる所だが、防犯の専門家の方の見立てでは、カメラによらずとも、防犯灯火や警報ブザーの設置だけでも一定効果があり、コストもそう高くはないらしい。是非速やかな設置普及と共に、高価な発電機などが盗まれ易い所より、犯人はこうした備品の転売で差益を得るのが動機かも知れず、そうした可能性より、高価な備品などは市役所や町村役場など、夜間でも保安の効く場所への保管替えをも視野に入れるべき。こうした防犯対策も、いつまでも同じ事の繰り返しではいけない。