Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「キラキラネーム」は一部の自己満足でしかないと解すべし

2019-03-14 21:02:54 | 社会・経済

コナサン、ミンパンワ!久しぶりで、この挨拶を使わせて頂きます。以下に述べる本題を考えると如何かとも思ったが、敢えて記す次第。勿論 受け止めは読者各位の自由であり、批判的思考や心情自体は存在するに吝(やぶさ)かではありません。

本題です。数日前の事だが、山梨県下在住の 高校生の若者が、母親からの命名が、極めて特異な所謂「キラキラネーム」だった事に長らく違和感を抱き、家庭裁判所に申し立てていた改名の申し出が許可された由。愛情、或いは思いやりの故といえど、常軌を逸した命名は 子供の将来を左右するなどやはり芳しからぬ影を落とすものの様だ。以下、某ネット記事を引用して 見て参りたい。

「山梨の 18歳『王子様』改名 キラキラネームに疑問 家裁が許可」

山梨県在住の高校 3年生、赤池 肇(あかいけ・はじめ)さん (18)が 親に命名された「王子様」から改名を申し立て、3/5に甲府家庭裁判所が変更を許可したことが 3/12分かった。極めて特異で個性的な「キラキラネーム」とも呼ばれる名について「本人が嫌なら行動できる」と話し、これから親になる人々に「よく考えて!」と訴える。

元の名は「唯一無二の 王子様の様な存在」という母親の想いが由来。「子供の頃なら可愛いのかもだが、80歳になっても『王子様』とはいかない」と疑問だった。改名を意識し始めたのは 中学 3年生以降。自己紹介をした時、女子生徒から噴き出す様に笑われたのがショックだったという。(引用ここまで)

記事を一読しても、日本人として、母親と息子のどちらが常識を弁えているかは一目瞭然だろう。顕在化してきた児童虐待や様々ないじめ問題などとも通じるものがあるのではないか。少し「キラキラネーム」について調べてみたのだが「一般常識から著しく外れているとされる 珍名に対する表現」とされている様だ。一般的には「悪魔」など悪意のある単語の名前を指すらしい。類似語に その名前をマイナス・イメージに捉えるとされる「DQNネーム」なる表現もある由。

確かに、前述の赤池 肇さんにとっては 当初の「王子様」なる命名は、少なくとも思春期に入った中学生の頃からは「DQNネーム」になり下がったという事だろう。彼の母親が「唯一無二の王子様」を祈念しての命名だったにせよ、人名は一生もの。命名された子供は、それを一生背負って生きなければならないのだ。拙偏見は承知だが、どうも若い世代の親達は その重い事実をよく自覚していないのではないかと思わざるを得ない節がある。肇さんの「よく考えて!」の切実な訴えは、我国の大人全員が耳を傾けるべき問題ではないのか。

この様な芳しからぬ事共が目立つ背景には、やはり戦後教育と報道メディアの不良なあり様が絡んでいる様だ。「我が子に どんな命名をしようが自由」などとするのは浅はかな短絡思考だろう。その親の子であると同時に、一人の日本人なのである。人名は、皇統及びそれにまつわる元号などと並ぶ 我国固有文化の根源ではないか。子供達の命名にあたっては、そうした事共が十二分に顧慮されなければならないはずだ。終戦直後から引きずる 被占領的な思考が、この様な文化破壊的現象を招いていると感じるのは拙者だけか。

もう一つ、報道及び出版メディアにも重責があろう。「キラキラネーム」が目立ち始めた平成初期、育児関連雑誌が紹介記事を載せたのがきっかけの一つだったらしいが、日本人の命名についての見識がしっかりしておれば、大問題にはならなかった気がする所だ。そうした思考を疎かにしたメディアも 責任の一端を追わなければなるまいて。

拙者は、人の親になり損ねた立場につき これ以上の多言は控えるが「キラキラネーム」の蔓延はいけない。愛とか思いやりのつもりでも、日本人として行ってはならない「ならぬものは ならぬもの」があるはずだ。親の自由を一定尊重するとしても それはあくまで一部の満足に留まり、国民的な幸せにはなり得ない事をよく自覚すべきと心得るものだ。今回画像は、かなり以前に JR新潟駅にて目撃した 旧北陸・信越両線を縦走した大阪からの臨時夜行特急列車到着の様子。先頭に、所謂「ヘッド・マーク」と呼ばれる銘板を掲出して走るのが常でしたが、これとても平仮名でなく 古来の漢字表記でも良かったのでは?と、今も思う所です。

コメント (4)
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