Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

当地国際芸術祭「中止展示」再開など論外だ

2019-09-25 20:48:49 | 社会・経済

全く、関係各位の見識を疑う方向性を見てしまった想いだ。今日、開催中の国際芸術祭「あいち・トリエンナーレ 2019」中 当初開会も抗議等多数により中止されていた渦中の「自称美術展 表現の不自由展・その後」につき、愛知県メインの検証委員会が、ほぼ 30名に及ぶ 大村県知事や各界専門家、県職員らにヒアリングを行い 議論を経て「観覧の安全面や脅迫などの対策が整い次第、速やかに再開すべき」との中間報告を表した由。この決定 誰がどう見てもと申したいが、少なくとも保守の側からは偏っているとしか思えず、到底支持承服できる代物ではない。

愛知県側は「必要な議論は経た」としているが、果たして公正な立場、見地からの見方なのだろうか。津田芸術監督以下、作り手の一方的な見方(それが「表現の自由の尊重」という強弁)ばかりが優先され過ぎ、一部にせよ 市県民多数の血税が投じられた公設の行事である以上、観る・・というより観させられる側を慮った「公共の福祉」からの視点が全く欠けているとしか思えない。その根底には、我らが祖国日本の独立や国家としての尊厳を著しく損なう展示表現を故意に認知しようとする不良意図も見え隠れする様だ。国家の独立と尊厳を重んじる事こそ、究極の「公共の福祉」ではないのか。

検証委の面々もそうだが、前述の不良な展示再開を図る連中は 今までなかった公設展示の実績が、喉から手が出る程欲しいという事だろう。今回の出来事は、或いは次回以降の不良な展示継続に繋げる為のきっかけ作りという見方もできるかも知れない。それだけに、我々対立側としても 初めの対応が大切という事だろう。一旦安易な形でこうした事共を認めてしまうと、こうした左派或いはそれに近い勢力は 次回以降も執拗に開催圧力や揺さぶりをかけて来る事は容易に想像できるからだ。

少しだけだが、前述展示の企画段階の事も分かってきた所がある。多くの不興を買った大村県知事も、この展示の意図を明かされた初期には違和感があった様で、例えば大韓民国の作者が「平和の少女像」と称した 極めて慰安婦像に近いとの指摘ある塑像については「画像パネルでの展示にできないか」との打診を試みた様だ。しかし作者側の強硬姿勢に負け、同様に傾いた津田監督も折れる形で実像展示を認めたのだとか。事実なら多分に政治色の濃い経緯であり、美術展には相応しくない展示といえるのではないか。他にも批判の多い 昭和天皇と分かる人物の肖像を棄損したものや、戦没日本人を蔑む意図の感じられる諸作も、似た背景があるのではないか。

先の連休などは、当地名古屋市内にて 労組関係者など左派勢力による再開要求集会が数百人規模で行われたというし、又 朝日新聞などはデジタル版で冒頭の報告を嬉々として速報していたが、あくまでも中間報告たる実態を「会合」とかいう表現でぼかし、恰も最終決定であるが如き印象を読者に与えんとする不良意図が感じられた。だから「朝日」は疑われるのだ。それはさておき、公設の場でのこの展示を再開すべきではないというのが拙所感。

一部の映像作品は、日を改めて別会場で公開見込みとなる様だが、是非「それは民間施設にてだろうな?」位の糾しはすべきだろう。勿論、全展示の公設利用をやめ、私設の場での再開にすべき。「表現の自由」とは、あくまで観る側に立った「公共の福祉」を尊ぶ姿勢と対を成すものでなければならない。「表現の不自由展・その後」関与の連中に、そうした姿勢は期待薄だろうが。今回画像は、その「あいち・トリエンナーレ」のメイン会場に近い TV塔周辺の様子を。以下に、関連記事を二件リンク致します。前の記事主様の「反半島系」コメントは拙者 ちょっと距離がありますが。(せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」様) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53332829.html?1569411969#comment-3   (Ameba TIMES 8/20付) https://times.abema.tv/posts/7015216

 

コメント (2)
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