うさSAN今晩は。今夏も「残暑お見舞い申し上げます」の時季となりました。日中は猛暑なるも、朝晩は少しは凌ぎ易くなるのでしょうか。深夜も繰り広げられた蝉共の合唱会も、そろそろ終幕の気配です。
ここ暫く、お父様のご健康が優れない様で大変な所と心得ます。看護介助も要する様で、誠にお疲れ様です。お母様と共に、心より労いたい想いであるのも事実です。拙方も、既に両親が高齢の域にある為、決して他人事ではない様に感じます。
実はこの夏前、私ももう少しで貴方と似た事態に遭遇する所でした。
5月下旬、それまでのほぼ80年間、若い時の盲腸炎とか流行り風邪以外は目立った病気もしなかった父に、ある異変が生じたのであります。
何の前触れもなく、突然話言葉が乱れた由。初めは「薬のせいだから問題ないだろう」と話していたのですが、母と、今は実家の近所に勤める妹が「ただ事やないから、直ちにお医者さんに会うべし」となだめながら主治医の方の所へ。
医師の方のご見解はやはり芳しからぬもので「脳梗塞の疑い有り。専門病院にて精密検査の事」とのご指示。
それに従い、病院へ移っての検査結果は、やはり脳梗塞。胃腸などは至って健やかであっただけに「そうか、やはりそっちへ出たか」の想いがしたのも事実です。
原因には心臓も関係しており、心臓に生じた血栓が脳に移動して血流を不良にしていた由。放っておけば、半身不随にも陥りかねないだけに、集中治療室ICUにての、再発を避ける為の治療に臨んだ次第。正直、ICU入りを告げられた時は、高齢とは言え我心が暗くなるのを止められない思いがしたのも事実です。
幸い症状は間一髪、半身不随の様な最悪の事態をを免れはしたものの、再発の不安は去っておらず、その折には救急車にての来院を強く通達された由。やはり「いつまでも健やかに」が如何に難しいかを、親の事例より学んだ気がしている所です。
入院はほぼ2週間に及びましたが、幸いにも今回の病院は拙通勤コースより遠くなく、退勤後短時間なるも見舞いの機会が少なくなかったのは良かったと思います。
「心配無用」とは言いながら、見舞いに訪れると、父は内心喜んでいた様です。私にしても、昨今父と短時間でも話をする機会には中々に恵まれないだけに、この見舞いは貴重な会話の場でもありました。
6月のある夜、私が見舞った折も、父と雑談をする機会があったのですが、私が健康面を懸念する意思を表した所、父の言葉は以下のものでありました。
「俺達の間柄も、そう言う時季になったんだよ」
これはつまり、父と子の間柄も、遠くない時季に終わるぞ、と言う事を伝えたかったのだろうと思います。
命が有限である以上、親兄弟の間柄でも、いつかは永久の別れが訪れます。あるいは難しいかも知れない。あるいは言わずとも分り切った事かも知れない。しかし、それらを顧みても、残りの日々が限られているのなら、私は両親との日々を、少しでも大事に過ごす事ができればとも思うのです。同時に、看護や介助に当たる必要のある貴方達のご対応より、少しでも多くの事共を学ばなければと思っている所です。
今日の貴方達の問題は、明日私が見舞われるかも知れない。決して遠くないその日の為に、今を決して無為にしない様にしたいと強く思っている所です。
盆を過ぎたとは言え、まだまだ日中は暑さが続きます。貴方達のご健康安全、そして願わくばお父様の回復を心よりお祈りして、今回記事とさせて頂きます。どうもご理解有難うございます。*(病院)*
ここ暫く、お父様のご健康が優れない様で大変な所と心得ます。看護介助も要する様で、誠にお疲れ様です。お母様と共に、心より労いたい想いであるのも事実です。拙方も、既に両親が高齢の域にある為、決して他人事ではない様に感じます。
実はこの夏前、私ももう少しで貴方と似た事態に遭遇する所でした。
5月下旬、それまでのほぼ80年間、若い時の盲腸炎とか流行り風邪以外は目立った病気もしなかった父に、ある異変が生じたのであります。
何の前触れもなく、突然話言葉が乱れた由。初めは「薬のせいだから問題ないだろう」と話していたのですが、母と、今は実家の近所に勤める妹が「ただ事やないから、直ちにお医者さんに会うべし」となだめながら主治医の方の所へ。
医師の方のご見解はやはり芳しからぬもので「脳梗塞の疑い有り。専門病院にて精密検査の事」とのご指示。
それに従い、病院へ移っての検査結果は、やはり脳梗塞。胃腸などは至って健やかであっただけに「そうか、やはりそっちへ出たか」の想いがしたのも事実です。
原因には心臓も関係しており、心臓に生じた血栓が脳に移動して血流を不良にしていた由。放っておけば、半身不随にも陥りかねないだけに、集中治療室ICUにての、再発を避ける為の治療に臨んだ次第。正直、ICU入りを告げられた時は、高齢とは言え我心が暗くなるのを止められない思いがしたのも事実です。
幸い症状は間一髪、半身不随の様な最悪の事態をを免れはしたものの、再発の不安は去っておらず、その折には救急車にての来院を強く通達された由。やはり「いつまでも健やかに」が如何に難しいかを、親の事例より学んだ気がしている所です。
入院はほぼ2週間に及びましたが、幸いにも今回の病院は拙通勤コースより遠くなく、退勤後短時間なるも見舞いの機会が少なくなかったのは良かったと思います。
「心配無用」とは言いながら、見舞いに訪れると、父は内心喜んでいた様です。私にしても、昨今父と短時間でも話をする機会には中々に恵まれないだけに、この見舞いは貴重な会話の場でもありました。
6月のある夜、私が見舞った折も、父と雑談をする機会があったのですが、私が健康面を懸念する意思を表した所、父の言葉は以下のものでありました。
「俺達の間柄も、そう言う時季になったんだよ」
これはつまり、父と子の間柄も、遠くない時季に終わるぞ、と言う事を伝えたかったのだろうと思います。
命が有限である以上、親兄弟の間柄でも、いつかは永久の別れが訪れます。あるいは難しいかも知れない。あるいは言わずとも分り切った事かも知れない。しかし、それらを顧みても、残りの日々が限られているのなら、私は両親との日々を、少しでも大事に過ごす事ができればとも思うのです。同時に、看護や介助に当たる必要のある貴方達のご対応より、少しでも多くの事共を学ばなければと思っている所です。
今日の貴方達の問題は、明日私が見舞われるかも知れない。決して遠くないその日の為に、今を決して無為にしない様にしたいと強く思っている所です。
盆を過ぎたとは言え、まだまだ日中は暑さが続きます。貴方達のご健康安全、そして願わくばお父様の回復を心よりお祈りして、今回記事とさせて頂きます。どうもご理解有難うございます。*(病院)*