Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

時季~雷鳴を聞きながら

2011-08-19 23:52:00 | インポート
うさSAN今晩は。今夏も「残暑お見舞い申し上げます」の時季となりました。日中は猛暑なるも、朝晩は少しは凌ぎ易くなるのでしょうか。深夜も繰り広げられた蝉共の合唱会も、そろそろ終幕の気配です。

ここ暫く、お父様のご健康が優れない様で大変な所と心得ます。看護介助も要する様で、誠にお疲れ様です。お母様と共に、心より労いたい想いであるのも事実です。拙方も、既に両親が高齢の域にある為、決して他人事ではない様に感じます。

実はこの夏前、私ももう少しで貴方と似た事態に遭遇する所でした。
5月下旬、それまでのほぼ80年間、若い時の盲腸炎とか流行り風邪以外は目立った病気もしなかった父に、ある異変が生じたのであります。
何の前触れもなく、突然話言葉が乱れた由。初めは「薬のせいだから問題ないだろう」と話していたのですが、母と、今は実家の近所に勤める妹が「ただ事やないから、直ちにお医者さんに会うべし」となだめながら主治医の方の所へ。
医師の方のご見解はやはり芳しからぬもので「脳梗塞の疑い有り。専門病院にて精密検査の事」とのご指示。
それに従い、病院へ移っての検査結果は、やはり脳梗塞。胃腸などは至って健やかであっただけに「そうか、やはりそっちへ出たか」の想いがしたのも事実です。
原因には心臓も関係しており、心臓に生じた血栓が脳に移動して血流を不良にしていた由。放っておけば、半身不随にも陥りかねないだけに、集中治療室ICUにての、再発を避ける為の治療に臨んだ次第。正直、ICU入りを告げられた時は、高齢とは言え我心が暗くなるのを止められない思いがしたのも事実です。

幸い症状は間一髪、半身不随の様な最悪の事態をを免れはしたものの、再発の不安は去っておらず、その折には救急車にての来院を強く通達された由。やはり「いつまでも健やかに」が如何に難しいかを、親の事例より学んだ気がしている所です。

入院はほぼ2週間に及びましたが、幸いにも今回の病院は拙通勤コースより遠くなく、退勤後短時間なるも見舞いの機会が少なくなかったのは良かったと思います。
「心配無用」とは言いながら、見舞いに訪れると、父は内心喜んでいた様です。私にしても、昨今父と短時間でも話をする機会には中々に恵まれないだけに、この見舞いは貴重な会話の場でもありました。

6月のある夜、私が見舞った折も、父と雑談をする機会があったのですが、私が健康面を懸念する意思を表した所、父の言葉は以下のものでありました。

「俺達の間柄も、そう言う時季になったんだよ」

これはつまり、父と子の間柄も、遠くない時季に終わるぞ、と言う事を伝えたかったのだろうと思います。

命が有限である以上、親兄弟の間柄でも、いつかは永久の別れが訪れます。あるいは難しいかも知れない。あるいは言わずとも分り切った事かも知れない。しかし、それらを顧みても、残りの日々が限られているのなら、私は両親との日々を、少しでも大事に過ごす事ができればとも思うのです。同時に、看護や介助に当たる必要のある貴方達のご対応より、少しでも多くの事共を学ばなければと思っている所です。
今日の貴方達の問題は、明日私が見舞われるかも知れない。決して遠くないその日の為に、今を決して無為にしない様にしたいと強く思っている所です。

盆を過ぎたとは言え、まだまだ日中は暑さが続きます。貴方達のご健康安全、そして願わくばお父様の回復を心よりお祈りして、今回記事とさせて頂きます。どうもご理解有難うございます。*(病院)*

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回顧~雷鳴を聞きながら

2011-08-16 23:37:00 | インポート
ココさん今晩は。政治社会に対する鋭い貴見解には、いつも敬意を表したく思います。

昨日は、66回目の終戦記念日でありました。厳密には、敗戦記念日と言われるんですが、祖国日本が臨んだあの大変な時代の事は、反省点はあるも、必ずしもその全てが悪ではなかったし、戦没並びに戦災犠牲の方々の全てが、左派勢力が折々に揶揄する所謂「犬死に」と呼ばれる無駄死にではなかったものと心得ます。それ故、そうした方々の犠牲によりもたらされた豊かさを享受し得る我々は、心よりの感謝と追悼の意を表さなければならない訳ですね。

我々の知人の方に、毎夏東京・九段の靖国神社参拝を欠かさない方がいらっしゃいます。私も数年前の秋、生来初めて参拝を果たしましたが、本当に戦没各位の表敬の事に、我々はもっと気を遣っても良いと思うのです。
勿論、戦争当時我国の統治下にあった、大韓民国を初め朝鮮半島や、台湾出身の各位の合祀の問題を今後どう扱うかの課題はありましょうが、海外に対しても、理解と得心を得られる誠実な説明を心がけ、国際的理解が得られる様努力する必要がありましょう。又、東京裁判こと極東国際軍事裁判にてA級戦争犯罪人とされた7名の各位、所謂「殉国の七士」の合祀は問題なしとするのが拙見解であります。
そもそも「勝者のリンチ裁判」と揶揄される東京裁判は公正な視点に欠け、歴史的負債を残したとされます。
一例を挙げれば、1941=昭和16年暮れに生じた大東亜戦争こと太平洋戦争は、海軍の主導にて戦線拡大して行ったのだが、同裁判にて罪責を問われたのは陸軍の要人と一部の文官だけ。海軍の要人は誰一人咎められていません。この一事を見ても、同裁判は不良だった事が窺えます。
それを何ですか、菅内閣総理大臣は「A級戦犯が祀られている場に参拝などできない」と言下に靖国参拝を拒否、それは、申し合わせた様に同内閣の全閣僚に及んでいて、それが民主党政権に交代して以来、ずるずると続いている。そも、罪責の有無さえ定かでない同胞を「戦犯」呼ばわりする菅大臣の見識の方がおかしい。それに安易かつ単純に同調する閣僚の姿勢も不良です。

一事が万事、先の震災復興に対する不良姿勢も、その延長線上にあるのではないでしょうか。
福島県下の原子力発電所事故向けを含め、被災地が速やかに元気を取り戻す様な有効な支援策を打つ事もなく、政権の維持に汲々としている。挙句に具体的なビジョンや裏付けも取る事なく、安易な増税路線を認知しようとする姿勢は、もう権力の座にある資格がない事を自ら表している様にも見えるのです。

勿論、菅大臣も、民主党政権の不良体質の言わば「尻拭い」を強いられている立場にある事は認めます。
前任の鳩山前大臣の罪業は更に悪い。「政権交代」「政権公約」など実現不可能な甘言にて我々国民を騙し、結局は国内外の情勢を悪化させただけで、民主党の党勢拡大の為だけに動いたと申しても過言ではないでしょう。良くも菅大臣の事を「ペテン師」などと言えたものだ。

先の震災義援金拠出も拒否した挙句、安易に増税にも同調する鳩山!詐欺師はお前の方だ!!

それを、自らの不徳に頬かむりしつつ公然と支援した小沢最高幹部も同罪でしょう。
これらの不始末を引き起こした元凶は、やはり寄せ集めの烏合の衆、民主党だと私は思います。

戦後、我国の道徳観念が廃れて利己志向が増幅したのは日本国憲法のせいだとは良く言われます。勿論、半分は当たっている。
大看板、第9条第1項を降ろすべきではありませんが、第2項の戦力不保持とは、対外侵攻の軍備はしない意であって、我国の尊厳を守る備えまで否定するのは論外。憲法改正に当たっては、この点をはっきりさせる必要がありましょう。
もう一つ「自由と平和」は並び立たない事も、我々は心得る必要があるかと思います。
例えば「平和の宗教」と言われるイスラム教は、平和の為に信者が実践すべき心がけを細かく定めている事で知られており、詳しくは存じないものの、預言者ムハンマドは、平和を続かせる為になすべき事を良く心得ていたのだと、感銘を受ける所もありますね。
振り返るに、我国の基本的人権は、公の安寧や、多数の幸せとの整合がされて来なかった。第12条にて、権利の濫用防止や公共への責務などが総論的に定められてはいるが、放縦と化した現代への歯止めとはなっておらず、こちらも見直さなければです。取り上げたくはありませんが、つい先日貴地元にて生じた様な凶悪事件などが続いて起こり、やがて我国の安全を内より蝕む事となりかねません。それを助長しているのが、民主党の困った現状であるのはご存じの通りです。これは主に、日教組こと日本教職員組合の思想活動などによる、戦後教育の不良が主な原因でしょう。

此度の震災は、確かに国難であるのは事実で、我々も引き続いて復興の応援をして参らなければならないが、その一方、必要以上の豊かさや便利さを見直す、問い直すきっかけとなった有意義な所があるのも事実で、復興の道すがら、祖国日本が本来の健やかさを取り戻すきっかけを掴む事を、今は祈りたいものであります。*(日本)*
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盛夏~近所の写真撮りⅡ

2011-08-14 15:34:00 | 日記・エッセイ・コラム

残暑お見舞い申し上げます。

とは申しても、日中は猛暑、夜間も熱帯夜の日々が続く当地名古屋ではある。折しも兵庫県下の阪神甲子園球場にては、全国高等学校野球夏季大会が盛大に進行中だが、この試合の決勝戦までは高温のまま推移するのだろうか。と同時に、今世紀に入ってからの夏の猛暑は、前世紀のそれより更に気温が上がっている様に感じるのだが、気のせいだろうか。

今回ご紹介するのは、当地名古屋市の北・守山両区の境界を流れる庄内川水系の矢田川に架る国道19号線 天神橋上からのもの。守山区側へ向かって右側に、JR中央線の橋が臨め、列車編成の全貌を捉えるのは難しいものの、渡河の様子を収める事ができる。春などは河原に菜の花が多く咲き、訪れる愛好者も少なくない様だ。この上流側には名古屋鉄道瀬戸線も通い、遠方より来訪の向きは、この両方を絡めて撮影の行程を組む方もある由。

想えば遥か以前、この画像の後方の下流側、矢田川が庄内川本流と合流する新川中橋付近にて、矢田川大花火が催され、夏の宵に見物に出かけたのは良き思い出である。現在は、諸事情により中止されてしまっているが、又いつの日か、復活を望んでいるのは俺一人ではないと思うのだが・・・。

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希望~雷鳴を聞きながら

2011-08-11 22:28:00 | インポート
はみSAN今晩は。貴足跡にもあった先の災禍、東日本大震災より、今日で5ヵ月が過ぎました。貴地元を中心に、東北三県は大変なダメージを被ったのは、まだ記憶に新しい所です。貴方にあっても、大切なお住まいが失われた由。改めて、心よりお見舞いを申し上げます。

決して単純に喜んではならないのは心得ているつもりですが、それでも貴生存の報に「良かった!」と叫びたくなる思いがしたのも事実です。
あの3/11午後は、当地名古屋にてもかなりの揺れを感じました。特徴的な、嫌な横揺れが執拗に続き、一時は立っているのも困難な位でした。

程なく、東北の凄惨な情報を得、貴方初め、東北にお住まいの知人各位の安否を気遣ったものでありました。
他の方々の無事が伝えられる中、貴方の安否が最近まで判らず、我が心にずっと引っかかっていたのも事実です。
本当に「全部とられた!」を地で行く大地震と大津波。言葉を失う一方で、「命まで持って行くなよな!」と嘆きが出たのがもう一方でした。

一時は、芳しからぬ思考が脳裏を過りもしましたが、(本当は)遅い復興のあおりもあって、夏場になっても尚、10万に近い方々が避難所にての起居を余儀なくされている現実に接した事もあり、私は貴生存を信じる様になって行きました。そして、先日拝見した、久々の貴足跡・・・本当に喜ばしく「万歳!」を叫びたくなったのが本音であります。又、拙生涯で初めて、己を信じて良かったと思ったものであります。

震災の復興はまだこれからですね。生じた多くの瓦礫などの処分と、街や産業の再生など、まだまだ多くの課題が山積しておりましょう。更に、南隣の福島県にては、原子力発電所事故への対応と言う歴史的難題も横たわります。だからこそ、今回は災禍を免れた我々は、復興に臨む貴方達を、これからも真摯に応援し続けて参ろうと思う次第です。

今、米合衆国の秀逸な社会学者 D・カーネギー博士の著作を読み返しています。かつて、私が社会人になりたての頃、以前の勤務先の上司の勧めで拝読したのが始まりで、先日書店にて、同じ本の最新版を見かけ、その名声と信頼の厚さに、改めて感銘したものでした。
その本の中に「今日1日の枠の中で生きてみろ」と言う意味の項目がありまして、私も今、その意味を問い直している所。
つまり、辛い苦しい過去をいつまでも引きずったり、未来への不安を一旦は断ち切って、今日一日で何ができるか、何が最善かを考えて、寝るまでの時を有意義に過ごす様心がけるべきだとの主張である様です。我国には似た意味で「日々是好日」との言葉があるのは良く知られています。この名著のタイトルは「道は開ける」と言いました。

「今日1日を 全力で」と申しても、中々にできる事ではないかも知れませんが、朝起きて、寝るまでどうするか位は、私でも考えられるかなとも思い始めた所。貴地元初め、東北一円の震災復興もこれからが大変でしょうが、1日1日の積み重ねが好ましい状況を作って行くのでは、と言う事位は分る様な気がします。
何が一番大事かとか、復興の順序をどうするかは行政の役目かも知れないが、とに角、貴方を含め被災の方々が、少しでも早く再び歩き出せる様、望ましい方向が打ち出される事を、今はお祈りする事とします。

同時に、此度の震災より、将来大地震に見舞われるとも言われる東海地方の我々も、多くの事を学ばなければなりません。
「東北の次は、東海だ」とも良く言われます。地震予知や速報のあり方、避難の方法や防災のあり方など、我々は此度の災禍と逃げずに向き合い、万一見舞われた時に、被害をできるだけ小さく抑える責務を負っていると思うのです。だからこそ、被災より復興までの、貴方達の軌跡を真摯に見守らなければとも思う所であります。

この記事の最後に、大変な状況下を生き抜いた、貴方の勇気に心より一礼を致し、私も、どの様な災禍にあっても、必ず生き抜こう、との強い意思が得られた様である事をお伝えします。

はみSAN、希望と勇気を 有難う。
猛暑の折、どうか、ご健康に。そしてご安全に・・・。*(日本)*
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進路~雷鳴を聞きながら

2011-08-09 00:12:00 | インポート
ブルースさん今晩は。今夕も、不安定な天気より、雷が聞こえました。
暫くは、こんな空模様でしょうか。一時空が暗くなっては時雨位は降るのですが、猛暑を抑え込む程の力はない様です。

今日8/9は、貴地元の原爆忌。お仕事の日程もあって、式典にお出になれない様な事をも伺いましたが、そうだとしてもやむを得ない事と心得ます。要は、あの惨禍に遭った方々の犠牲を悼み、被害を見舞う気持ちの問題であって、地域に尽くしながらそうした祈りの気持ちを表す道もあるかと心得ます。因みに、明日は私も出番でして、11am過ぎの原爆投下時刻には、内心で静かに一礼を致すつもりです。

昨日の拙地元紙 C新聞に、核兵器廃絶と原子力発電依存の脱却へ向けた見解が記されていました。普段ですと、その記事の全文を載せたりする所なんですが、この所の猛暑にて貴方もお疲れの所かも知れませんので、ざっと要点のみご紹介しておきたく思います。
それによると、戦後の原子力平和利用の促進は、当時の東西冷戦下にての、米合衆国の世界戦略の一環であった事、資源小国の我国の立場を顧みても、原子力発電は将来に向かっては高くつく事、それに事故対応や安全管理に万全を期せない以上、人類と原子力は共存できない事などが表されていました。

まあ、T電力福島第一原子力発電所の体たらくをご覧になればお分り頂ける事と思いますが、放出された放射線の総量は、1986=昭和61年に旧ソビエト連邦にて生じた、チェルノブイリ発電所事故より相当に多い様ですね。
最近の貴日記でも触れられていましたが、福島県他のダメージは計り知れない。避難された方の総数は10万に近く、第一次産業はほぼ壊滅状態。同県の浜通りの復旧は、そのきっかけさえ掴めない状況の様です。
更に悪い事に、事故現場周辺の子供達の体内被曝が確実視され、一部の子達は将来の発癌に繋がる恐れが高いとされる、甲状腺被曝まで進んでしまったとの情報もあり、事実とすれば放射線風評被害と並び、本当に遺憾極まる事態です。将来への禍根ともなりかねないでしょう。

そも最初の事故対応も不良だった様ですね。最初の温度上昇時において「大した事はない」などと決めつけ、監督省庁への報告も杜撰だった様だし、取り返しがつかなくなるまで欧米の原発保有国の優れた安全技術を学んで採り入れようともしなかった。良く「原子力関連の官庁や事業者は、閉鎖性が強くて外部意見を良く聞かない原子力村だ」との声も聞きますが、村どころか意思疎通の道路さえ通わない「原子力離島」だったのではないでしょうか。その体質が、福島の事故の初期対応を損なわせ、結局は取り返しのつかない大事故に繋げてしまった所はあると思います。

行政の対応も悪い。大体、事業者や原発を進める行政と距離を置くべき原子力保安院が経済産業省の管掌では、緊急の場合でも安全面のチェックが十分にできない恐れがありましょう。もっと以前の段階で、環境省とかが抑えていなければならない所でしょう。

後、この期に及んで使用済み核燃料の再処理利用、所謂プルサーマルに拘泥し続ける姿勢も頂けません。
原子力依存の強いフランス国はとも角、世界の国々の大半が手を引いた再処理燃料は、結局は高くつき、危険性もあって将来性は薄いとされます。それを分っていて捨てようとしないのは、再処理燃料が軍事転用容易であり、将来核兵器の開発でもするのでは、と思われても仕方がないでしょう。
私は、健全であればナショナリズムを肯定し、国家の尊厳保持の為には一定の防備も止むなしとの立場ですが、広島・長崎の史実よりも、核武装は断じて認められない立場であり、こんな動きを見過ごす訳には参りません。

今は、原発よりも秀逸な発電技術が陽の目を見ています。良く言われる自然エネルギーの他にも、液化天然ガスLNGによる火力発電は、長期的には原子力発電より効率が良く、将来のコスト下げ余地もある様です。更に、我国周辺の海底に多くあるとされる新燃料 メタン・ハイドレートによる火力発電もいずれ可能となるでしょう。これらを真摯に開発して行けば「脱・原発」は現実味を帯びて来るでしょう。

結局の所、先日の原子力事業出身でもある与謝野経済財政相の見解の如く、原発を残そうとするのは、以前より言われる官僚勢力の天下り先の保持と、それに絡む利権の巣窟たる原子力産業を温存したいだけの様に私には映るのですが、貴方は如何お感じでしょうか。

今年、来年とかのスパンではそれは難しいだろうが、福島の事故でボロの出た原発は、これからは縮小廃止の方向へと進むべきでしょう。その事が、まだ僅かに残っている原子力の軍事転用への道を絶つ力にもなる事と思います。
新しい火力発電の手法も、どうも強い開発姿勢に欠ける所があって感心しない。本気で脱・原発を目指すのなら、原子力に充てる予算を年毎縮小し、その替わりに自然エネルギーやLNGなどの利用に振り向けるべきでしょう。そうであれば、国民も、多少の電気料金引き上げを被っても納得して下さる事と思います。

とまあ、半分は愚痴っぽくなってしまった所はどうかお許し下さる様。

今春は、拙地元よりも盛んに行われていた被災地への燃料輸送、今夏も一部では続いている様です。
この一事を見ても「震災は、まだ終わらない」事を痛感させられます。*(地球)*
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