コナサン、ミンバンワ!師走12月も、拙ブログを宜しくお願い致します。今冬は日によって寒暖差が大きく、着衣などの調整には各位ご苦労の様だ。下手をすると、風邪など体調を崩す事に繋がりかねないので、できる範囲で良い、少しでも臨機応変な適応ができると良いと思う。
首都圏にては、本日より2年ぶりの自動車の祭典、東京モーターショーが久し振りで都内に会場を戻して盛会中の様で何よりだ。環境整合志向も良いが、今回は「車が人にどんな貢献ができるか、幸せをもたらす事ができるか」と言う夢の原点に回帰した事が好感されている様だ。叶う事なら、俺も拝見したいものだが、ここは後日の名古屋モーターショーを待つ事にした方が賢明かも知れない。
さて、車の祭典が順調な滑り出しを見せているのに引き換え、野田民主党政権は新たな火種を抱えてしまった様だ。現防衛大臣 一川保夫さんが1995=平成7年に生じた在沖縄米合衆国軍関係者による深刻な性暴力事件につき、「自らは詳細を知らない」などと発言した為に、野党各党より問責決議を求める動きが相次ぎ、与党執行部よりも問題視されている様だ。同大臣は、先月のブータン国王ご来日に際しても、歓迎行事を欠席して内輪の事を優先したとして批判されたばかり。果たして、閣僚としての適格が疑われる事態と相成っている次第。先日の全国紙「S新聞」に寄せられた作家 曽野綾子さんのコメントを引用して考えて参りたく思う。
『危うさ感じる 閣僚の意識』
「先頃から、ブータン国王歓迎の宮中晩餐会を、一川保夫防衛相が民主党議員の政治資金パーティーに出席するために欠席し、蓮舫行政刷新担当相は宮中の別の席で携帯(電話)を使っていたことも明らかになった。どちらも大したことではないが、この程度の人たちが閣僚になるということにはいささか問題があるだろう。
11/23付の世界日報によると、一川防衛相は「(ブータン国王に)手紙を出すことを含めてしっかりと対応したい」「反省すべきところは反省しながら自分の職責をしっかり努めあげたい」と辞職の意志はないことを示した。
この一言でも一川大臣が全く常識に欠けた人物だということは分かる。一大臣が、国王に謝罪の手紙を出すなどということは無礼だということも分からないのである。自分の内閣の閣僚の不始末を国王に謝れるのは(内閣)総理(大臣)だけであり、一大臣はこういう非常識な行為をした時には、謹慎して世間が忘れてくれるのを待つほかはないだろう。
言葉で謝れば許してくれる、などということは、本来外交にはない。天皇や王には、仁慈という徳の意識があるだろうし、最初から一人の欠席者のことなど問題にもしていないだろう。許しているのは相手が謝罪の意を表したからではなく、国王から見ると小者の行為だからである。改めて言うが、国王と一大臣は決して対等ではない。
私たち国民が困るのは、こういう常識さえ最初から持っていない人が政治や防衛の責任者になるということなのだ。一川大臣はと就任に当たって「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール」だと言った人だ。こういう人物は市井の人ならいいのだが、政治家にも、閣僚にも、指揮官にもなってもらうと困るというものだろう。
外国々王の歓迎晩餐会を欠席して民主党議員のパーティーに出席し、「宮中行事より、私にはこちらの方が大切だ」という迷文句を口にしたのは、この手の政治家は国家や日本のために地味な任務を果たそうとしているのではなく、自分が政治家や閣僚になるために動いているのであって、関心も視線もそちらにだけ向けられていることを示している。
蓮舫大臣の携帯事件も、私の周囲の若い人たちは、「映画館だってまず携帯は切りますよね。私だってそれくらいの礼儀は守ってます」と、国家的行事と映画館をごちゃまぜにしている所はあるが、それが近年では、庶民さえ守る礼儀になっていたのである。
オウム裁判が終わって、被害者の人たちの17年間の忍耐が一挙に吹きだしてきた感はあるが、私は死刑判決に判を押さない法務大臣の卑怯さを改めて感じている。
死刑に反対するのは一つの見解だ。しかしそれなら、現状では期日内に死刑を執行する義務を有する法務大臣のポストだけは、請われても辞退するという信念を見せて当然だ。またそれは簡単にできることなのだ。人間としての器はないのに、大臣のポストだけに恋々とする人を見るのは、実に興ざめなことである。民主党には、本当にこれほど人材がいないのだろうか。それとも逸材は隠れていて、(内閣)総理(大臣)に人を見る眼がないということなのだろうか。」
今回も、曽野さんは概ね的確なご指摘の様だ。ほぼご見解の通りであり、民主党内の人材の欠乏と、野田首相の眼力のなさも半分は本当。与野党の双方よりその適格を疑問視された以上、一川大臣の進退が問題にされるべきだし、任命した野田首相も、その責任の一端が問われるべきだろう。週明けの野党よりの動議が注目されよう。