Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

ハラスメント

2006-02-19 | 想い・雑感
 ハラスメント(harassment:悩ますこと、迷惑、嫌がらせ)はもう外来語として、日本語化してきている。子供の頃から、人の嫌がることはするなと教育されてきた。しかし、同じ言葉でも人により、感じ方が大きく異なる場合があるので難しい。また同じ人でも、そのときの精神状態で大きく反応が変わってくる場合もある。いやならまずは言葉に出すしかないのだろう。

 所詮、他人がどう感じているのかを完全に自分のものとして感じるなんて、人を超えた存在でなければ無理だろう。「どうせ私の気持ちなんて分からないのよ!」とは陳腐なドラマでよく聞く言葉だが、「当たり前だろう。」といいたくなる。そこに単なる甘えを感じるからかもしれない。

 しかし、多くの人はちょっと傷ついた位では言葉にに出してまでは抗議しない。だからこそ人の気持ちを汲み取ろうとする姿勢は、大切だし、尊いものといえる。

 現在、医療の現場では、いろいろな意味で説明責任を問われる場合が多い。検査の必要性や危険性、病名、治療方法、手術の方法やその危険性などなど、すべてについてである。それも本人に伝えるべしとの国からのお達しも出ているのだ。基本的には家族にでも、本人の許可が無ければ説明をしてはいけない。真実を本人が知りたくないのならば、その旨を伝え、代わりに誰に説明を聞いてもらうのかを指示しなければならない。

 例えば癌の場合も、その旨を本人に伝える義務と責任が医師にはあるのである。ここで事務的に進行度や予後などを伝えるのならばことは簡単なのだが、やはり一人ひとりの感じ方が違うので、様子を見ながら徐々に説明を深めていく必要がある。

 私も様子を見ながら、その人に合わせて説明を進めているつもりだが、あくまでそれは私自身の判断であり、その人の感じ方とは、ずれている可能性も十分ある。というより細かく見ればずれている場合の方が多いのかもしれない。ずれているなら修正する必要がある。双方向のコミュニケーションを行い、そのずれを修正していく努力が必要であろう。思ったことは伝えなければ分からないのである。
 
 同様に、「○●ハラスメント」という場合も、いきなり言うのではなく、その前にコミュニケーションを図る姿勢が必要であろう。

接する態度

2006-02-19 | 想い・雑感
 消化器外科を主に担当していると、入院されている方はほとんどが悪性疾患を患われている。中心は60才代から70歳代。ほとんどが自分より人生経験の豊富なかただ。その上、命という問題を直視しなければならない状況にある方だ。丁寧に接しすぎるということはないと思うし、自分なりに注意してきたつもりだ。

 しかし、医療関係者の中には、親しみを込めた態度とぞんざいな態度とを勘違いしていると思われる人もいる。これは若い方に限ったことでなく、あらゆる年齢層にいる。ここでは医療を提供する側と、受ける側との年齢が問題なのではない。患者さんのほとんどは、健康面での自信を大なり小なり失った状態なのだ。それを支えるということを考えていれば、多少は態度に出てくるはずだ。
 
 態度というのは、言葉も含め、全体として相手に与える印象のことであり、自分がどういうつもりで行動しているかではない。相手がどう感じるかを時には自省し、自分がどう見えるかを同僚などに聞いてみるということが必要なのだろう。

 以上、当然自省の意味を込めている。私は、話し出すとまだよいらしいのだが、時に話しかけにくい態度をかもし出しているらしい…。