数日前、同じ町にある他の病院からの要請で、手術の手伝いに行った。
術後、手術場のすぐ横に併設されている、ICUを覗いた。
私の母が息を引き取ったベッドには、あの日と同様、呼吸器につながれた人がやすんでいた。
思わず目をそらし、その場を離れた。
今から9年ほど前、母が倒れたとの連絡を受け、病院に駆けつけたとき、ちょうどCT室から出てきた母の右手がわずかに動いていた。
脳梗塞であった。それもかなり広範囲に梗塞巣は及んでいた。
その後気管内チューブが挿入され、人工呼吸が開始された。
極めて低い可能性だが、生あることを祈った。
しかし、約10日後、心拍は徐々にその間隔を広げ、ついに止まった。
倒れてから亡くなるまで、ついに会話することはかなわなかった。
術後、手術場のすぐ横に併設されている、ICUを覗いた。
私の母が息を引き取ったベッドには、あの日と同様、呼吸器につながれた人がやすんでいた。
思わず目をそらし、その場を離れた。
今から9年ほど前、母が倒れたとの連絡を受け、病院に駆けつけたとき、ちょうどCT室から出てきた母の右手がわずかに動いていた。
脳梗塞であった。それもかなり広範囲に梗塞巣は及んでいた。
その後気管内チューブが挿入され、人工呼吸が開始された。
極めて低い可能性だが、生あることを祈った。
しかし、約10日後、心拍は徐々にその間隔を広げ、ついに止まった。
倒れてから亡くなるまで、ついに会話することはかなわなかった。