長崎その1~100年後の街
長崎は私の母方の曽祖父の生まれ故郷だ。
13歳の時に、上海へむけて家を飛び出して
その後はシンガポール、香港、そして
東京・・・と活動の場を求めたので
今は長崎には親戚もいない。
でも長崎の血が流れているせいか
昔から、九州の土地柄も、人も、言葉も好きだ
”ハウステンボスにしか行ったことない。”
そう言うと色々な人に、笑われた。
今回、はじめて、祖先の生まれた地に
足を踏み入れたのだった。
長崎空港から市内まではバスで40分くらいかかる。
バスを降りた後、道オンチな私は
地図をひっくりかえしてみたり
横からみてみたりして
現在地とホテルの場所を確認する。
宿泊先のJALシティホテルに荷物を置いて
すぐに私は街へ飛び出す。
どうしても、真っ先に行きたいところが、
あるのだ。
昔の地名と地図をたよりに
曽祖父の生まれた場所を探す。
私は、曽祖父が生まれてから
丁度、100年後に生まれた曾孫だ。
100年後、まさか自分の曾孫が
自分の生まれた場所を探しにくるなんて
曽祖父は思っていなかっただろう。
でも、もし、例えば私の曾孫が
いつの日か、
私の住んでいた場所を探して歩いているとしたら
なんだか、とっても嬉しくなって
”ここよ、ここ”と合図を送るだろうな
くろがねばし
よろずばし
ちょうど、昔の資料で見ると
このくろがね橋とよろず橋の間、
くろがね橋から3件目あたりが
曽祖父の生まれた場所。
くろがね橋のたもとは
土佐商会、海援隊発祥の地でもあり
ここらへんの土地のパワーは
”世の中をよりよいものにしよう”!という
人間を生み出す力を持っているのだろうか。
土佐商会跡
土佐商会跡に白い猫がいた。
実は私の曽祖父はこの目の前の
中島川に落っこちて、溺れて、一回死んだのだった。
お葬式の日に、ふっと息を吹き返して
街中の人が驚き
”猫魂の持ち主だ。”と言われたという。
白い猫は私が近づいても
逃げるふうでもなく、じぃ~っと私を見ていた。
もしかしたら、
<Welcome>と言ってくれていたのかも、しれない。
・・・ここらへんだろうな。
と足を止めた瞬間、頭の上の上の上のほうから
びぃぃぃ~んと何かが私の周りを取り囲んだ(感じがした)
多分、曽祖父母からのメッセージだ。
暫く、そこの地に佇んだ。
目を閉じ、耳を傾ける。
100年前の人々の生活の音が聞こえてきた(ような気がした)
貿易商だった曽祖父の実家には
きっと大勢の人が出入りして
にぎやかだったことだろう。
よろず橋からくろがね橋を眺める。
この夕焼けちかい太陽の光が
川に映り、
ゆるやかな風に柳が揺れる風景は
もしかしたら、100年間、変わっていないかも、しれない。
その場所から10分もしないところに、
<出島>がある。
もっと大きな島かと思っていたら
とても小さな場所だった。
こんな小さなところだけで
外国との取引が行われていたなんて
そして、私の曽祖父が海の向こうへ
思いを馳せ、旅立った気持ちが良く分かる。
だって、出島がお隣にあるんだもの。
出島の跡は当時の模型やら倉庫などの
様子が復元されていた。
そして、出島の表門から外を見てみる。
こんな小さな門が
世界への唯一の扉だったなんて
出島の表門
出島を歩きながら
私が関わっている中国とのこと、
そして偶然に姉が今
オランダにいること、
出島とリンクして、不思議な気持ちになった。
長崎の中華街
その日、長崎は足元から凍るような寒さだった。
ひとしきり、歩ききった私は
そういえば朝から何も食べていなかったことに
気づく。
時計は午後4時。
ホテルの隣は、長崎の中華街になっている。
そこで、温かい<ちゃんぽん>を頂くことに、する。
入ったお店は<江山楼>という
大きなお店だ。
ちゃんぽんの味の評判が高いという
”王さんの特上ちゃんぽん”を注文。
ふかひれや干しナマコなど
20種の豪華な食材から出たうまみが
特徴なのだそうだ。
とにかく、カラダが冷え切っていたので
温かいスープから、頂く。
ミルキーで、栄養がありそうなスープ。
お野菜もたっぷりで
これひとつで、栄養バランスもとれそう
江山楼
100年前に曽祖父が生まれた街を歩く。
ココロが色々な気持ちで満タンになって
美味しいちゃんぽんでお腹も満タンになった
長崎、西浜あたりの、100年後の街の、散歩。
長崎は私の母方の曽祖父の生まれ故郷だ。
13歳の時に、上海へむけて家を飛び出して
その後はシンガポール、香港、そして
東京・・・と活動の場を求めたので
今は長崎には親戚もいない。
でも長崎の血が流れているせいか
昔から、九州の土地柄も、人も、言葉も好きだ
”ハウステンボスにしか行ったことない。”
そう言うと色々な人に、笑われた。
今回、はじめて、祖先の生まれた地に
足を踏み入れたのだった。
長崎空港から市内まではバスで40分くらいかかる。
バスを降りた後、道オンチな私は
地図をひっくりかえしてみたり
横からみてみたりして
現在地とホテルの場所を確認する。
宿泊先のJALシティホテルに荷物を置いて
すぐに私は街へ飛び出す。
どうしても、真っ先に行きたいところが、
あるのだ。
昔の地名と地図をたよりに
曽祖父の生まれた場所を探す。
私は、曽祖父が生まれてから
丁度、100年後に生まれた曾孫だ。
100年後、まさか自分の曾孫が
自分の生まれた場所を探しにくるなんて
曽祖父は思っていなかっただろう。
でも、もし、例えば私の曾孫が
いつの日か、
私の住んでいた場所を探して歩いているとしたら
なんだか、とっても嬉しくなって
”ここよ、ここ”と合図を送るだろうな
くろがねばし
よろずばし
ちょうど、昔の資料で見ると
このくろがね橋とよろず橋の間、
くろがね橋から3件目あたりが
曽祖父の生まれた場所。
くろがね橋のたもとは
土佐商会、海援隊発祥の地でもあり
ここらへんの土地のパワーは
”世の中をよりよいものにしよう”!という
人間を生み出す力を持っているのだろうか。
土佐商会跡
土佐商会跡に白い猫がいた。
実は私の曽祖父はこの目の前の
中島川に落っこちて、溺れて、一回死んだのだった。
お葬式の日に、ふっと息を吹き返して
街中の人が驚き
”猫魂の持ち主だ。”と言われたという。
白い猫は私が近づいても
逃げるふうでもなく、じぃ~っと私を見ていた。
もしかしたら、
<Welcome>と言ってくれていたのかも、しれない。
・・・ここらへんだろうな。
と足を止めた瞬間、頭の上の上の上のほうから
びぃぃぃ~んと何かが私の周りを取り囲んだ(感じがした)
多分、曽祖父母からのメッセージだ。
暫く、そこの地に佇んだ。
目を閉じ、耳を傾ける。
100年前の人々の生活の音が聞こえてきた(ような気がした)
貿易商だった曽祖父の実家には
きっと大勢の人が出入りして
にぎやかだったことだろう。
よろず橋からくろがね橋を眺める。
この夕焼けちかい太陽の光が
川に映り、
ゆるやかな風に柳が揺れる風景は
もしかしたら、100年間、変わっていないかも、しれない。
その場所から10分もしないところに、
<出島>がある。
もっと大きな島かと思っていたら
とても小さな場所だった。
こんな小さなところだけで
外国との取引が行われていたなんて
そして、私の曽祖父が海の向こうへ
思いを馳せ、旅立った気持ちが良く分かる。
だって、出島がお隣にあるんだもの。
出島の跡は当時の模型やら倉庫などの
様子が復元されていた。
そして、出島の表門から外を見てみる。
こんな小さな門が
世界への唯一の扉だったなんて
出島の表門
出島を歩きながら
私が関わっている中国とのこと、
そして偶然に姉が今
オランダにいること、
出島とリンクして、不思議な気持ちになった。
長崎の中華街
その日、長崎は足元から凍るような寒さだった。
ひとしきり、歩ききった私は
そういえば朝から何も食べていなかったことに
気づく。
時計は午後4時。
ホテルの隣は、長崎の中華街になっている。
そこで、温かい<ちゃんぽん>を頂くことに、する。
入ったお店は<江山楼>という
大きなお店だ。
ちゃんぽんの味の評判が高いという
”王さんの特上ちゃんぽん”を注文。
ふかひれや干しナマコなど
20種の豪華な食材から出たうまみが
特徴なのだそうだ。
とにかく、カラダが冷え切っていたので
温かいスープから、頂く。
ミルキーで、栄養がありそうなスープ。
お野菜もたっぷりで
これひとつで、栄養バランスもとれそう
江山楼
100年前に曽祖父が生まれた街を歩く。
ココロが色々な気持ちで満タンになって
美味しいちゃんぽんでお腹も満タンになった
長崎、西浜あたりの、100年後の街の、散歩。