こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

父の涙

2018年11月29日 00時50分37秒 | Weblog
いきなり涙は沸き上がった。大げさではない。父の目は、みるみる涙に覆われた。
「ウ、ウ、ウ……」
 何かを訴えているが、言葉にならない。口惜しさが、口をわなわなと震わせた。
「おじいちゃん、泣いてる。どうしたん?」
 話しかけた妻の声が届いているのかどうか、父の涙は、一向に止まらない。父が涙を流すのは稀だ。これまでに三度しか見ていない。 
不肖の息子、わたしが仕出かした不祥事で顔が上げられずにいると、背後にその嗚咽は聞こえた。いや感じた。唇をかみしめて耐える父の口から洩れる、音を伴わない嗚咽の直撃に、頭は空白になった。
 確かめようのない父の涙は、不肖の息子の心を改めさせるに充分だった。七十直前に至る半生、間違いを起こしかけるたびに、父の音なし嗚咽が脳裏に蘇り、物事の善悪を思い出させた。おかげで、いっぱしの不良にならずに済んだ。
 二度目は兄の結婚式。新郎新婦に感謝の言葉を受けた瞬間、目を潤ませた父を目撃した。
 その兄は事故死した。父に仕込まれてブリキ職人になると、着実に後継者の道を歩んでいた最中だった。仕事に出向いた現場で、高所から落下。即死だった。父の目前で、起きてはならぬ悲劇は起きてしまった。
 不思議なことに、兄の死から葬儀、法事に至るも、父は一切涙を見せなかった。その心中を、いまだに理解できないでいる。
 三度目の涙は、不肖の息子の結婚式だった。結婚と無縁でしかなかった次男の奇跡に、父は熱い涙を流した。その涙が、結婚生活を三十六年維持したいまを迎えさせた。
 すべて子供のために流した涙だった。寡黙な性格の父との会話は、「あー」「うー」おー」で殆ど通じた。そんな父が流す特別な涙は、感謝してもし足りないものだった。
 今回目撃したのは、父が自身のために流す涙だった。失われた言葉が託されていた。
 脳梗塞に倒れた父。前日までグランドゴルフを楽しんでいた。九十五歳とは思えぬ矍鑠ぶりが、突然絶たれた。
「ホールインワンしたんやど、わし」
 偶然に過ぎなくても、よほどの感激だったのだ。もう一回を期した父の挑戦は、続いていた。その中途で、すべてが終了した。
 車いすに乗り、自由にならない四肢を踏ん張る試みを、繰り返す父を感じた時だった。父は涙で訴えた。ボロボロと……そう、確かにボロボロと流した。無念の涙だった。
「おじいちゃん、つねよっさんが来とるよ。分かってる?おじいちゃんの息子だよ」
 妻の声は、確かに届いた。声に藩王らしきものを見せた父の目玉が証明している。
「分かってるんだよね。おじいちゃん、分かってるんだよね」
 単純に喜ぶ妻に、涙がきらりと光った。
 翌日、脳梗塞の再発をみた。父の涙は、あっけなく奪われてしまった。そう永遠に!
 
コメント
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